【イスラエル旅行記】Day3 イスラエル入国は「ノースタンプ」って言わなくてもノースタンプだった!

国境まで行くにはバスやタクシー等の手段があるが、我々は昨日ペトラに行くのに利用したJETTというバス会社のバスを利用することにした。JETTのホームページ(http://jett.com.jo/)では、ちゃんと国境までのバスのスケジュールが書かれていて、毎日朝7:00に出発する(2014年時点で確認)。

JETTのホームページには「Abdali – king Hussien bridge」というのがあるので、これが国境行きのバス。2014年現在では8.5JDとなっている。

ここで、プチトラブルが発生。昨日ペトラに行った時にはほぼ時間通りにバスが来て出発したので完全に安心していたのだが、今日は待てど暮らせどバスが来ない。とっくに予定出発時間は過ぎているのだ。

我々の他にも、話好きのノルウェー人夫婦と、寡黙なフィリピン人も待っていた。ノルウェー人のおばちゃんが何度かチケット売り場の係員に「どうなってるんだ?」的な事を問い詰めていたが、係員は「もうちょっとで来るから待て」的な対応で、それを何度か繰り返した後、とうとう2時間近く経ってしまった。ノルウェー人のおばちゃんはとうとうシビレを切らせて、「返金しろ」と言いはじめた。我々も「いいぞ~!いいぞ~!」と心の中で応援していて、結局バスは来ず、係員は返金に応じた。我々もそれに乗っかって、彼らとタクシーをシェアしようか?と思っていた。

すると、どこから来たのか?係員の知り合いらしき人たちがわらわらと何人か集まり始めて、そのうちの一人が「俺が送ってやる」的なことを言ってきた。値段を聞くとバスの値段より若干安めの値段だったので、ノルウェー人夫婦とフィリピン人夫婦とシェアすることに。

バスオフィスの裏手の駐車場には「大丈夫か?」と思ってしまうほどのボロボロのミニバンが停まっており、明らかにおっさんの自家用車。しかもあまり人が乗るようになっておらず、「普段は荷物運ぶのに使ってんぢゃないの?」って感じだった。座席も十分ではないので、何故か我々6人と運転手のおっちゃんが車両の前方にぎゅうぎゅうになって座り、一路国境を目指すことになった。


通勤時間帯でそれなりに車の交通量もあった

おっちゃんのボロボロのミニバンに揺られること40分ぐらいで、ちゃんとヨルダン国境に到着。(ここら辺からは、国境ということもあって、完全に写真を撮り忘れているので地図が続きます)

アンマン市街からのタクシー(といってもおっちゃんのミニバン)は、国境オフィスの前に到着。建物を回りこむように歩いたところに入り口があるので入る。入って左側に行くと待合所がありそこそこの人数の人たちが待っていた。その前に4つに仕切られた部屋(というかブース)があり、まず左手前側のブース①で出国カードに記入。パスポートと一緒に係員に渡す。んで、係員が隣のブース②にパスポートを送るので、そのブースの前で待つと「後ろのブース③で手数料を払え」的なことを言われて、素直に払う。さらにその隣のブース④で、領収書的な物をもらい(この辺の記憶はあいまいなので実際は違うかもしれない)、「そこの待合所で待て」と言われるので素直に待つ。この段階でパスポートは手元になく、係員が預かっている。

しばらく待っていると「バスに乗れ」という指示があって、「えっ?パスポートは?」と思いつつ、他の人もわらわらと移動してバスに乗っていくので、我々も素直にバスに乗る。バスの値段は3.5JDぐらいだったと思う。


ヨルダン出国オフィスはこんなレイアウトだった

バスの中でしばらく待っていると、係員が乗り込んできて一人ひとり名前を呼ばれ、パスポートが返却される。ヨルダン出国のスタンプは押されていないが、特に問題は無いので心配する必要はない。

余談になるが、キングフセイン橋(アレンビー)ボーダーは、正確にはヨルダンとイスラエルのボーダーではなく、ヨルダンとパレスチナ自治区とのボーダー。パレスチナ自治区は各国の認識は異なるものの、国家としての存在としてはあいまい。現在のところ、ヨルダンとイスラエルの国交は正常だが、ヨルダン的にはここから向こうへ行くのは正式にはヨルダンを出国したわけではないという立場らしく、出国スタンプは押されないらしい。(ただし不正確な情報なので、あまり信用しないでいただきたい)

バスの中の全員にパスポートが返却されるとバスは出発する。バスはヨルダンとイスラエル国境の緩衝地帯を5~10分ぐらい走る。途中に「水流れてる?」的な橋があるが、これが正確には「キングフセイン橋(アレンビー端)」。ちなみにこの橋は日本のODAにて架け替えられたものなのだ。(http://www.jica.go.jp/oda/project/9906200/index.html参照)

橋を渡ってすぐの所にイスラエルの入国管理オフィスの建物がある。さて、いよいよイスラエル入国なのだ。いやがおうにも緊張が高まる。

さて、肝心のイスラエル入国管理の通過についてであるが、あまりの緊張で気づけば1枚も写真を取っておらず、しかも建物内のレイアウトもうろ覚えになってしまっているので、残念ながら細かいことは書けないが、ざっと以下の通り。

まず、建物の外にベルトコンベアーみたいなのがあって、通常飛行機で預け入れる荷物ぐらいの大きさの荷物を持っている人はそこで荷物を預ける(我々はバックパックだけだったので、若干「大丈夫か?」的な心配を持ちつつも預けずにそのまま行った)。我々が行った時には、この荷物を預ける部分で激混みしており、我々は結果的には関係なかったが、よくわからずその列に並んだため、時間を相当ロスした。

荷物を預けると、やはり外にパスポートをチェックするブースがあるので、そこでパスポートを渡す。パスポートをチェックされて特に問題が無ければパスポートの外側にシールが貼られる。噂によるとこのシールでもイスラエル入国歴がバレるので、イスラエルと敵対するアラブの国ではイスラエルスタンプが無くてもこのシールがあると入国拒否される可能性があるらしい。このパスポートチェックは凄く簡単だったような気がするが、入国目的ぐらいは聞かれたような気がする。「観光だよ」とでも答えておけば、それ以上問い詰められない。

さて、いよいよ建物内に入る。建物に入るといきなり手荷物チェックと金属探知機でのチェックがある。噂によると「ここで引っかかると後々面倒だ」と聞いていたので、自分は靴まで脱いだが、後ろに並んでいたパレスチナ人に笑われた。だが「スムーズに通過するためにはしょうがない」と思っていたが、今考えれば、特に危険なもの・怪しいものとか持っていなければ、仮に金属探知機でベルトや靴の金具ぐらいで引っかかってもその後面倒なことにはなりそうにもなかった。

手荷物検査とボディーチェックを通過するとその後いよいよ入国審査ブースになる。「凄い怖いおねぇちゃんにあれやこれやと質問される」とか「ここで怪しまれると、別室に連れて行かれて結構時間を食う」とかいう事前情報をネットで見ていてかなりビビッていた。

んで、いざ我々の番になってパスポートを渡す。我々は夫婦一緒にブースに行ったが特に問題は無く審査開始。たまたま英語が喋れる妻が前に立ち、ほとんど喋れない夫(私)が後ろに立つポジションだったので、自然と妻が質問に答える感じになった。入国審査のおねぇちゃんは確かに厳しい目つきだったが、「足を骨折しているみたいで、ギブスをしており杖をついている」という、どうでもいい情報だけは、はっきりと覚えている。

さて、予想通りの質問が始まる

審査官:「入国の目的は?」
妻:「観光です」
審査官:「ふ〜ん、観光ね〜、どこへ行く?」
妻:「エルサレム市街と死海です」
審査官:「他には?」
妻:「・・・・。」

固まる妻。計画は私が立てているので、妻はイスラエルで行こうと思っている所をあまり把握していなかったが、エルサレムの旧市街と死海に行くことは伝えていた。またパレスチナ地区の「ベツレヘム」に行く予定にしていたが、イスラエルの入国でパレスチナ地区に行く予定があることがバレると結構面倒なことになるらしいという情報を得ていたので、「ベツレヘムに行くって言わないで」とは伝えてあった。主だった「行く場所」は本当にそのぐらいだったのだが、審査官に「他には?」と聞かれて困ってしまったのだ。彼女は純粋なので「適当にごまかす」とかいうことがとっさにできないタイプなのだ。ということで、とっさに私が答える。

俺:「我々は明後日またヨルダンに戻るんだ。だからエルサレムの付近をブラブラ観光する予定なんだよ」
審査官:「ふ~ん」

「明後日ヨルダンに戻る = あまりいろんな所へは行かない」という印象づけるのに成功して、わりと簡単に説き伏せることができた。さらに追加で聞かれたのは

審査官:「パレスチナ地区に行く予定はないわよね?」
私:「行かない、行かない」

「そんなとこ、行くわけないぢゃん!」的な感じで首を横に振りつつ答えたら、普通に納得していた。質問されたのはそんな感じ。「滞在期間は短いよ」的なアピールをすると割とすんなり行くかもしれない。思ったよりも厳しくなく、他の普通の国に入国するのとあまり変わらない印象を受けた。ただし、これは我々のパスポートにイスラエルと敵対するアラブの国々(イランやレバノン等)の入国歴がないからであって、もしそれらの国々への入国歴があるようだったら、こんな簡単には行かないと思う。

と書かれていた。あまりにも「ノースタンプ」を主張する人が多いのだろうか?そんな情報は全くなく、もしかしたら最近変わったのかもしれない。なので、パスポートへのイスラエルスタンプについては全く心配は不要。

わざわざパスポートの期限が切れる時に合わせて行ったので、我々的には正直スタンプが欲しかったのでちょっとがっかり。

さて、入国審査を通過してしまえば、もうこちらのもの。もう一度か二度パスポートのチェックがあったような気がするが、特に質問もなく通過。その後、荷物を預けた人はターンテーブル的なところで預けた荷物を受け取ると、ようやく建物の外(入ったところとちょうど裏側ぐらい)に出られる。

建物を出たところにエルサレム行きのバス乗り場があって、ミニバンぽいバスに乗る。料金は忘れてしまったが、事前情報ではイスラエルのお金(シュケル)でないと払えないようなことが書いてあったが、ヨルダンのお金で普通に支払いができた。

バスに乗ると、一路エルサレム旧市街付近まで。時間にして30分〜1時間くらいだったような気がする。途中、検問所みたいな場所があって、機関銃を持ったイスラエル兵がバスに乗り込んでバス内をチェックするが、特に問題なく通過する。

国境からのバスはエルサレム旧市街の『ダマスカス門」の手前ぐらいに到着した。我々は予約していたホテルにバックパックだけでも置きたかったので、ホテルに向かう。この時いきなり道に迷ってしまい、かなり歩いたが、なんとかホテルに到着。

今回予約したホテルはRitzホテル(https://www.jerusalemritz.com/)というホテルで結構綺麗なホテル。Booking.comでホテルを検討していて、最終的に2つのホテルに絞った。んで、間違って「こっちにしよう!」と決めたホテルと違うホテルに予約を入れてしまい、さらに運の悪い事に「返金不可」の安いプランにしてしまった。急いでBooking.comに連絡してホテルに連絡してもらったが、「キャンセルできない」という冷たい回答があって、しょうがなく泊まることにしたホテルだった。

んで、ホテルに到着して、チェックインしようとしたら、「予約入ってませんけど・・・。」と言われる。「はっ? だったら、泊まろうと思ってた方のホテルにしたわっ!」と思いつつ、事の成り行きを説明して、念のため印刷して持って行ったBooking.comの予約確認書を見せてクレームを言うと、普通に部屋を用意してくれた。

泊まろうと思っていたホテルと違ったホテルだったのだが、結局ここのホテルに泊まって良かったと思う。なんせ思ったよりも部屋がかなり綺麗で高級感もあった。砂漠地帯で水が貴重な地域なので、シャワーなんてかなり厳しい(水量が少ないとか、お湯ぢゃないとか・・・)を想像していたのだが、じゃんじゃかたっぷりのお湯が出て最高だった。

イスラエルのお金(シュケル)を持っていなかったので、一旦ホテルで落ち着いた後、ホテルのフロントでATMのある場所を聞いて向かい、いくらかのシュケルを降ろした。んで、そのままエルサレムの旧市街に向う。

エルサレムの旧市街はぐるりと一周城壁で囲まれており、いくつかの門(ゲート)があって、そこから入るようになっている。我々はホテルから一番近い「ダマスカス門」から旧市街の中に入る。

ダマスカス門から真っ先に向ったのは「嘆きの壁(西壁)」。ここはこの旅で最も見たかったポイントの一つなのだ。旧市街に入ってみると、そこは外とはちょっと違った空気が流れていて、さらにちょっと迷いそうな感じもある。

ダマスカス門から徒歩でほんの数分で嘆きの壁(西壁)に到着。西壁の前はちょっとした広場のようになっている。

嘆きの壁(西壁)とは、ユダヤ人にとっての聖なる場所。昔あった神殿を取り囲んでいた壁の一部で、神殿等は長い歴史の中で全て壊されてしまい、現在残っている物はこの「嘆きの壁(西壁)」しかない。実際のところユダヤ人はこの壁を「嘆きの壁」ではなく「西の壁(West Wall)」と読んでいるので「嘆きの壁」と言ってもあまり通じないかもしれない。

ユダヤ教にとっての聖地がここしか無いこともあってか、熱心なユダヤ教の人達がこの壁にすがり付いて熱心にお祈りをしている。自分がユダヤ教徒でないこともあるが、その光景はちょっと異様な光景にも見える。

嘆きの壁では男性は帽子を被らなければならいので注意が必要。もともと砂漠地帯で日差しも強いので、旅自体に帽子を持っていくことをオススメするが、帽子を持っていかなくても、入り口付近でキッパ(頭頂部に置くぐらいの小さな帽子のようなもの)を貸してもらえるので、それをかぶれば(頭頂部に置けば)良い。

嘆きの壁は男性ゾーンと女性ゾーンが分かれていて、壁に向って左側は男性ゾーン。右側は女性ゾーンなのだ。先ほどまでの写真は私(夫)が撮った男性ゾーンの写真で、この写真は妻が撮った女性ゾーンの写真。

男性ゾーンと女性ゾーンの間は、ちょうど人の背丈ぐらいの高さの壁で仕切られており、覗けないことは無いが、男性ゾーンから女性ゾーンを覗くのは若干難しい感じになっていた。

上から見ると男性ゾーンと女性ゾーンはこんな感じで分かれている。写真を撮った時分は女性ゾーンの方が若干人が多い感じかな。

男性ゾーンの左側にはちょっとした部屋のようになった部分もあり、そこにも入ってみた。ここにも西壁から続いた壁がありやはりここもユダヤ人にとって聖地。

ここでもたくさんの熱心なユダヤ教徒がお祈りをしていた。むしろ外の西壁でお祈りしている人よりも熱心な感じの人が多く、入ってみるとさらに異様な空気が流れていて、写真を撮るのも若干気が引けるぐらいだった。

現在ちゃんとした形で壁が残っているのはこの西壁ぐらいだが、最近になってこの西壁から北側のいくらか行った部分まで壁は残っていることが分かったらしく、現在も発掘が続いているそうだ。壁の基礎部分に至っては、ぐるりと一周残っていることが分かっているらしい。

西壁付近にはイスラエル国旗もたくさん掲げられており、ユダヤ人にとっての誇りを示している感じがした。

余計な解説かもしれないが、ここでユダヤ教・ユダヤ人・そしてイスラエルについての解説を少し。

昔むかし、このエルサレムの地に発祥したのがユダヤ教。ユダヤ教で信じられている神はキリスト教やイスラム教で信じられている神と同じで、唯一の神。我々日本人が信じているような「山の神」や「水の神」はたまた「トイレの神様」のようにいろいろと神様がいるわけではない。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ神を信仰していることは覚えておいたほうが良い。

キリスト教で有名な「イエス・キリスト」はもともとユダヤ教を信仰していたが、ユダヤ教の教えに疑問を持ちその疑問点を指摘して新たな教えを開いた。これがキリスト教。なので、ユダヤ人から敵意を抱かれ最終的に磔(はりつけ)となった。ユダヤ教は若干教えが厳しいところもあり、それがキリストが疑問に思ったところなのである。

ユダヤ教の教えをまとめたものが聖書で一般的に「旧約聖書」と言われている。「旧」とは別に「古い」という意味ではなく、キリスト教やイスラム教からしたら元からある聖書で、キリスト教で使用している聖書の以前からある為に「旧」と言われている。なので、ユダヤ教の信仰者からすれば「旧」でもなんでもない。

普通「日本人」とか「アラブ人」とか言ったら、外見や言葉、文化・居住地域などが似通っていて、いわゆる「民族」的なものを指す場合が多い。一方「ユダヤ人」とはユダヤ教を信仰していればユダヤ人。もしくはユダヤ人の母親から生まれた子供はユダヤ人なのだ。なので外見は明らかに日本人で言葉も日本語を話していても、ユダヤ教を信仰していれば、立派な「ユダヤ人」なのだ。そう考えると、もともとユダヤ教を信仰していた「キリスト」も「ユダヤ人」となる。

長い歴史の中で「ユダヤ人」はキリストを磔(はりつけ)にしたことで、キリスト教信者から敵意を受け、世界中に散らばった。そんな中、ナチスドイツのユダヤ人大量虐殺が「アンネの日記」で世界に広く伝わると、世界中からのユダヤ人に対する同情の考えが発生し、またユダヤ人の中でもカナンの地(エルサレム)に戻ろう!という運動があって、エルサレムのある土地にユダヤ人が集まった。そうして出来た国が「イスラエル」なのである。

さて、嘆きの壁(西壁)から我々は旧市街の中を歩いて、キリスト教の聖地「聖墳墓教会」に向う。旧市街の中はかなりゴミゴミとした狭い通路が張り巡らされていて、日本で言う「路地裏」的な感じがある。そこに並ぶのはほとんどが「お土産屋」。いくら世界の中で有数の聖地だと言っても、そこに住んでいる人間にとっては関係なく、生きていかなくてはならない。となると、世界中から来る観光客相手にお土産屋をやって生計を立てていくのが一番手っ取り早いんだと思われる。

嘆きの壁から「聖墳墓教会」までは歩いてほんの数分の距離にある。こんなに近くにユダヤ教とキリスト教の聖地があるなんて、ちょっと不思議な感じがする。

「聖墳墓教会」がある場所は、ゴルゴタの丘と考えられている場所で、キリストが磔(はりつけ)にされて絶命した場所だとされている。そのご数々の奇跡が起こったりして、ここがキリスト教の聖地とされているのだ。

教会に入ってすぐ目の前に、ちょっと大きめの長方形の大理石があって、人だかりになっている。これは十字架から降ろされたイエスの聖骸に香油を塗ったと伝えられる場所。

熱心なキリスト教の信者がその大理石をさわったり、はたまたキスをしたりするなど、思いおもいの方式で、キリストゆかりのものにあやかろうとしていた。

観光客はいっぱいなのに、なんとなく厳かな空気がキープされているところを考えると、やはりここはキリスト教信者にとっての聖地では別格なんだと感じられる。

中央のドームの天井にはイエス・キリストの像が描かれていて、ここにいる者たちを静かに見守ってくれているかのように、キリスト教信者ではない自分でも感じてしまう空気があった。

ひと際人々が列を成している場所が2つあって、そのうちの一つが一階にある「イエス」の墓。列に並べばキリスト教信者ではない者であっても拝観することはできるのだが、他人の心に土足で入るような気がして、我々は入らなかった。でも普通に入っている日本人カップルとかもいた。単に我々が「ビビリ」だったのかもしれない。

ただ、間違いないことは、キリスト教信者でなかったとしても、必ず「敬意」を持って拝観しなければならないと思う。

もう一つ人々が列を成しているのが、教会に入ってすぐ右の階段を上がったところ。ここは、イエスの十字架が建てられた場所だと伝えられているところで、ヴィア・ドロローサのステーションにもなっている。

たくさんの人が整列をして自分の順番が来るのを待ち、そして、自分の順番が来ると、祭壇の前で熱心にお祈りをするので、列はなかなか進まない。

聖墳墓教会を後にした我々はお腹がすいていたので夕食にすることに。旧市街を抜けてヤッフォ門から外に出てガイド本に載っていた「アル・アイェド」という店に向う。

ヤッフォ門は、何となく旧市街の「メイン門」的な感じがあって、門を通る人は結構多い。

隠し撮りみたいな撮り方になってしまったが、正統派のユダヤ教の人はこんな感じの格をしているのですぐ分かる。あと、人にもよるが、全体的に冷たい対応される場合が多いので、気をつけた方がいい。

旧市街の前、ダマスカス門側に最新の路面電車が走っている。気軽に使えるし、新市街やバスターミナルに行く時なんかも凄く便利。

イスラエルはやはり敵対する国が多いこともあって、テロの標的になる場合も多い。特に電車や人が集まるターミナルなどは、テロへの警戒心も強く、所在者不明の荷物なんかがあると、厳戒態勢になったりする。ちょっと荷物を置いてその場を離れたぐらいでも大騒ぎになってしまうので、自分の荷物は常に自分の横においておくようにしなければならない。

最近はそれほど発生しないらしいが、やはりテロが発生したりする。となると人がたくさん集まる所なので、電車やターミナルに行く場合は「そうゆうことがあるかも」という気持ちで行った方が良い。なんらかの対策が立てられるものでもないが、本当に心配だったら、人が集まる所はなるべく避ける等の行動にするしかない。

さて、話は元にもどって、レストラン「アル・アイェド」でのお味はどうだったか?というと、普通に美味い。アンマンから感じてきたことだが、中東の国の食事は基本的に「肉」。野菜は少なめだ。なんせあまり緑豊かな国ではないから。「野菜は貴重なんだ」ってことは、レストランに行けばすぐに感じる。肉を食べるための主食は「パン」だが、パンと言ってもケバブを包んでいるようなパン。どこに行ってもひたすらそんな感じなので、日本人にはすぐに飽きてしまうかもしれない。ただ、決してマズイわけではないので、誤解の無いように。

写真の米は、なんとなく久しぶりの「米」って感じで、なかなか美味かった。

肉は場合によっては「ラム」ということもあるので、ラムが苦手な人は気をつけておいた方がいいかもしれない。肉は単純に焼くだけというのが基本スタイルだが、やはりほとんどのメニューが肉主体とあって、肉の扱いは日本人より上手な気がした。

さて、明日は不思議体験の「死海」に行く予定。

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