【イスラエル旅行記】Day4 死海って本当に体が浮くの?

今日は朝から「死海」に向かう。死海はこの度でもメインの観光地の一つなので、朝からテンションは高めだ。

さて、死海に行くには、路線バスで行くのが一般的。バスはセントラルバスステーションから出ている。セントラルバスステーションまでは、路面電車で行けば簡単だ。

さて、余計な話だが、路面電車の乗り方をちょっと紹介。

路面電車の駅は「これ、駅?」という感じで「線路の途中でちょっと綺麗に整備された場所」的なところが駅。特に改札とか入り口とか隔離された場所でもなんでもない。

(写真はgoogleストリートビューから拝借)

駅のホームには写真のようにチケットの自販機がある。画面は英語も選択ができるので心配はいらない。

あと、この時開通してからそんなに経っていないからなのか、観光客が多いからなのか、良くわからないのだが、チケットの買い方に不慣れな感じの人が多く、何故かド観光客の我々が現地の人に買うのを手伝ったりした。

チケットはこんな感じの紙のタイプ。シングルチケットは使い捨ての為、何故かチケット自販機の所に大量に捨てられていたりする。

チケットは車内にある改札機に、こんな感じで打刻する。ちなみに車内には車掌みたいな人はいないので、「別にチケットを買わなくても乗れちゃうんぢゃね?」とも思ったが、そんなことをしてはいけません。

(写真はエルサレム路面電車会社のホームページhttp://www.citypass.co.il/english/から拝借)

こういった都市を走る地下鉄や路面電車の車内ってのは、どこに行っても一緒だなぁ〜と思う。日本の場合は「携帯は禁止」だが、「食べるのはOK」。でも海外のスタンダードは「携帯はOK」で「食べるのはNG」だ。

さて、路面電車は「セントラルバスステーション駅」で下車。駅を降りたら目の前がバスステーション。この駅で降りた人のほとんどはこのバスステーションに向かうので、人の流れについていけば、バスステーションにたどり着ける。

バスステーションはさすがに人が集まる場所なので、入り口に金属探知機のゲートが設置していたが、全て壊れており、地元の人にとっても普通のことなのか、みんな無視して通っていた。事前情報では、各地でチェックが厳しいとの情報だったので、かなり拍子抜けだ。

バースターミナルの3階にはチケット売り場(窓口)と乗り場がある。窓口では「エン・ゲティー」とか「デッド・シー」とか言えばどこまで行きたいか分かってくれる。情報によると、往復で買った方が安いらしい。乗り場は確か5番だったような気がするが、変わっているかもしれないので、チケットを買うときに「乗り場は何番?」と聞けば、愛想は良くないが普通に教えてくれる。


バスに揺られること1時間ちょいで、死海に到着。ちなみに途中ず~と死海沿いの道路を
走るので、テンションも上がる。話はそれるが、死海の海抜はマイナス400mぐらい。海面よりも低いところにある。普通高い山とかになると上がるたびに気圧と気温が下がるのは、容易に体験できる事だが、逆にマイナス400mともなると、気圧と気温は上がっていく。気圧まで体感するのはなかなか難しいが、気温が上がるのは体感できると思う。普段なかなか出来ない体験なので、そんなところも死海の面白いポイントだ。

一般的に死海に入れるポイントは、「エン・ゲティ」という場所で、そのビーチにも有料のビーチと無料のビーチがある。我々は無料のビーチに向った。
バスは無料のビーチに先に停まり、そのあと有料のビーチに停まる。さらに乗っていると「マサダ要塞」に行くことが出来る。

エン・ゲティまではいくつかのバス停に止まるが、突然たくさんの人が降りるバス停があったので、「おっ!ここか?」と思って降りようとして、念のため妻が運転手に「パブリックビーチ(無料のビーチ)ですか?」と聞いたら、「ここぢゃなくて次だ」と言われ、危うく全然関係ないところで降りそうになった。海外のバスではアナウンスなんか無いのが普通なので、気をつけてもらいたい。やはり運転手に聞くか、降りるバス停になったら知らせてもらうように前もって頼んでおいた方がいいかもしれない。

さて、バス停を降りて道路を挟んで死海側には駐車場があり、その先にちょっとした建物がある。正直かなり賑わっているんだろうという勝手な想像をしていたのだが、全然人がおらずかなり不安になる。とりあえず建物の方に向って歩いていく。

建物を通ってビーチに行くところは、ちょっとしたゲートっぽくなっていて、その脇で一軒の売店があり、ひげもじゃでちょっと太めの店員が居た。そのゲートの(死海に向って)左側が男性用更衣室・トイレ・シャワー室となっていて、右側が女性用更衣室・トイレ・シャワー室になっている。ここのシャワー室は入るのにお金が要る。シャワーだけならビーチのすぐ脇にもある(そちらのシャワーは無料)

(ゲートの写真は完全に撮り忘れていたので、この写真はgoogleストリートビューから拝借)

ゲートを抜けるとさらにビーチへと続く歩道があって、てくてくと進んでいく。ちなみにこの段階でも人は全然おらず、さらに不安は増す。でもとりあえず整備されているので、ビーチ的ポジションとしては間違っていないのだろうと思う。(写真はgoogleストリートビューから拝借)

海岸線(湖線)まで来ると「えっ?これビーチ?」って感じのビーチが広がっている。普通ビーチって言ったら、白い砂浜が広がってて、のんびりできる感じだが、ここは崖的なところを降りたとたんに水際となる。「をぃ!どこでくつろげばいいんぢゃ!」と思わず言ってしまいたくなったが、それでも死海に入っているカップルとかが居たので、間違いなくビーチなんだと思う。あと、シャワーも完備されている。死海ではこれ大事。

死海は見た目ではいたって普通の海みたいだった。死海を挟んで反対側はお隣の国ヨルダンで、地図上では結構近いので「ヨルダン見えるかな?」とか思っていたが、全く見えず。そりゃそうだわな。

んで、早速入ってみる。事前情報だと「お~!浮くよ~!」とか言う感想をかなり読んだので、期待大で入ってみると・・・

「ん? 思ったほど浮かないぞ(汗)」。確かに浮いているような気はするが、それなりに体のポジションを気をつけていないとマズい感じだ。死海に入った人の写真は大体こんな感じのポーズなのだが、確かに自然とこんなポーズになる。

あと、事前情報によると、「デリケートゾーンがヒリヒリと痛くなってくる」とあって、すぐに上がってしまうらしいのだが、我々夫婦は心配したほどデリケートゾーンが痛くなることはなかった。

ついでに、死海お決まりのポーズでも一枚。そこら辺に捨ててあった新聞を拝借してやってみる。写真を見るだけでは余裕でできそうに見えるが、この体勢を保持しつつ、新聞を濡らさないようにするのは結構大変。新聞を読むどころではないが、普通の海だったら出来ないとは思う。

死海の強烈な塩分濃度と、これまた強烈な日差しにより、波打ち際にある石なんかには芸術品のように塩の結晶が出来ていた。入ったぐらいでは塩分濃度なんか分からないが、この塩の結晶がキープされるということはかなりの塩分濃度なんぢゃないの?ってことは分かる。

死海から上がってほんの数分で濡れていた体が乾いてくる。強烈な日差しに加えて空気自体が乾燥している為、すぐ乾いてしまうのだ。

乾いた皮膚の表面を見ると、写真のように白くなる。これはもちろん塩で、このことからも死海の塩分濃度が分かる。

さて、死海に入って感じた注意点だが、「死海の水は目に入るとチョー痛い!」ってこと。「死海に潜る」なんてのは自殺行為とも思えるぐらい、数滴目に入っただけで強烈な痛さになるのだ。先ほどの写真でビーチサイドにシャワーがあったが、目に入ったらすぐにこのシャワーに走って行き、洗わないとやばい。なのでビーチサイドのシャワーは超重要。シャワーが無い場所で入るのはかなり危険なのだ。「顔をつけなきゃいいぢゃん!」とも思われるが、顔を浸けなくても、風で飛んだ水しぶきや自分が動くことで発生する水しぶきが運悪く目に入ってしまうことが結構あるので、油断していると大変なことになる。

さて、旅のメインの一つに据えていた死海だったが、デリケートゾーンが痛くなるという予想のもと「10分ぐらいでさっさと上がるんだろうなぁ~」と思っていたが、別に痛くなることもなく、結局、なんだかんだで2時間ぐらい楽しんでしまった。

さて、死海からあがった我々は、ゲート近くにあるトイレ兼更衣室で着替えを済ませると、来るときに降りたバス停と反対車線で、さらにエルサレム方向にちょっと歩いた所にあるバス停で帰りのバスを待つ。ちなみに道路上にバス停らしきものは1つしかないので、バス停の場所に迷うことは無い。ただし、バス停には時刻表が無いので「果たしてバスはいつくるんだろう?」という心配はある。でも、ここは一本道でバスは必ず走っているので、バスは来ないことは無いし、待ったとしても最悪30分ぐらいでバスは来るのではないか?と思われる。まあ、時刻表があったとしても、海外のバスの時刻表なんて「あってもないようなもの」なので、結局待つことに変わりはないと思う。

我々は運よく待ち始めたらすぐにバスが来たので乗った。チケットは往復で買っていたので、乗るときに運転手に「エルサレム?」と聞いたらうなずいたので心配なく乗る。
ビックリしたのは行きに乗ったバスと同じ運転手だった。パブリックビーチはバスの終点ではないので、このバスはさらに行った所まで行き、また戻ってきたんだと思われるが、幸か不幸か、このドライバの運転が超荒く、すでに行きの時点で激酔いしていた妻は、帰りも同じドライバーの荒い運転で激酔いするという、天罰のようなものを受けていて辛そうだった。

帰りも行きと全く道を通って帰ることとなる。途中死海の海岸線沿いをしばらく走ることとなって、なかなか綺麗な景色を楽しむことができる。見ているだけでは、なんとなくどの場所からでも入水できそうだが、先ほども書いたようにシャワーが無い所で入るのは自殺行為なので、やはり「ビーチ」と決められた場所でしか入れないと思う。

バスはセントラルバスステーションに無事に戻る。

セントラルバスステーションの目の前がトラムの駅なので、どこにでも行けるが、我々が次に向ったのは「マハネー・イェフダー市場」。セントラルバスステーション前の駅からトラムで旧市街方向に向って乗り、3~4個目ぐらいの駅で降りる。結構近いので、セントラルバスステーションから散歩がてらのんびりと歩いて行くこともできる。

トラムが通っている通りは「ヤッフォ通り」という名前なのだが、マハネー・イェフダー市場のヤッフォ通りに面したところにパン屋があって、お客さんがひっきりなしに買っていくので気になって買ってみた。表面にたくさんゴマがまぶされた大きめのパンだったのだが、一口食べて衝撃が走った。超うまいのだ。

別に惣菜パンでもなんでもなく、ただのパンなのだが、パン自体が凄く味わい深い。具が入っていないパンで、一口めでこんなに美味さを感じたパンはこれまで無かった。超オススメ。

実は以前より、知り合いの人から「ユダヤ人はパン作りがうまい」という噂を聞いていた。というのも、これはイギリスの話なのだが、イギリスにあるユダヤ人地区にあるパン屋のパンが超うまいらしいのだ。なので、ユダヤ人の本場ともなれば、やはり美味いんぢゃないか?というちょっとした期待を持っていたのだが、見事に期待に答えてくれたのだった。

店の中で、ものすごい勢いでパンを焼いているのだが、買っていく人もたくさんいる為、在庫過剰になる感じが全然なかった。なので、いつ買っても焼きたてに近いパンが食べれられる感じだった。

ちなみにこのパン屋以外にもマハネー・イェフダー市場にはパンを平積みしたブースのお店が結構あった。買ってはいないのだが、たぶんクオリティーは高いと思う。

さて、マハネー・イェフダー市場に入ってみると、ド昼間なのに結構な賑わい。エルサレムでは「大きなスーパー」的な店はほとんど見かけなかったので、ここが「庶民の台所」的な位置づけなんだと思われる。

ここら辺の土地は乾燥した土地なので、野菜をあまり見かけないのだが、さすがに市場には野菜が並んでいた。ただし、日本でよく見かけるような「葉物野菜」なんかはさすがに少ない。

良く見かけるのは水をある程度保持できるような根菜類のような物。

オリーブの実などは充実していた。

乾燥した土地に強いトマトなんかは、ここでも健在。日本ではトマトは完全に1つ1つ分かれてしまっているが、こちらで売っているトマトは房(ふさ)でいくつか繋がっていてまとめて買う感じだったし、トマトらしくておいしそうに感じる。

さて、死海ではしゃぎまくってお腹も空いてきたので、マハネー・イェフダー市場内にあった一軒のレストランに入ってみた。

この旅で食べてみたかったメニューの一つは、この写真の「フムス」。茹でたひよこまめを潰してペースト状にして、さらにニンニクやオリーブオイルなどが一緒に混ぜられており、こちら特有のピタパン(トルコのケバブを包むようなパン)と一緒に食べる、アラブ世界では定番の料理。

さて、一口食べてみると、味は完全に豆なのにペーストの食感という、不思議な食べ物なのだが美味しい。ピタパンと一緒に食べてちょうどいい感じで、単独で食べると結構思い。なんせペーストの豆にニンニクやらオイルなんかが混ざっているのだから。他の客は主菜のように普通にピタパンと食べていたが、日本人的には「パンに塗るバター」的な下地に使いたい感じだ。

さて、もう一つ頼んだのは、ひき肉と野菜等を一緒に混ぜて成型してトマトソースで煮込んだような料理。まあ、形は違うがハンバーグと言ったところだろうか。これは普通美味い。

お昼時ということもあって、店内はかなり賑わっていた。観光客も多いからか、店内よりもテラス席で食べている客が多かった。我々は中東特有の強烈な日差しを避けたかったので店内で食べる。地元民も多く、我々のアウェー感はすごかった。ただし、イスラエルはもともとたくさんの人種が集まっている国でもある為、こんなアジア人が居ようとも大して気にしている感じはなかったのがありがたい。

余談だが、自分はそれほど感じなかったのだが、南米のペルー・ボリビアに行った時には、妻は地元民からかなりの視線を感じていたらしい。やはり単一民族に近い人種で構成されている国に、我々のようなアジア人が突っ込んでいくと「異人」と思われるのかもしれない。その点、イスラエルはそんな空気は無いのかもしれない。

さて、美味いパン屋とレストランの位置は図のような位置関係だった。我々は旅行者なので、野菜なんか買う機会がないのだが、ナッツ類が豊富にあって、それらは旅をしながらポリポリと食べれるので良かった。特に「ピーカンナッツ」にハマって結構ず~っと食べていたら、妻に注意された。しかし外側にされているコーティングがナッツとマッチして美味かったのだ。

この辺りにはカフェなんかもあって、敬虔なユダヤ教徒の人達も結構いた。やはり外観が独特なのですぐにわかる。

昼食を終えた我々は、トラムで旧市街へ戻り、旧市街付近に密集する観光名所を回ることに。

こちらでは「ザクロ」が豊富に取れるらしく、旧市街のヤッフォ門付近にザクロの生ジューススタンドがあったので一杯買ってみた。

店の前においてあるザクロは飾りでも何でもなく、実際にこのザクロを半割りにして、絞り機でギュウギュウとしぼって、100%ジュースを作ってくれるのだ。

ザクロジュースは「皮まで絞りました」ってのが分かる感じのあの独特な渋みがあって、なかなか美味い。当然果汁100%なので砂糖とかが加えられておらず、甘さもさっぱりしていい。日本だったら自分で作る以外方法はないので、適度な金額で生ジュースが飲めるのはうれしい。

さて、昼飯とジュースでお腹が満たされた我々は、旧市街を通りつつ、周辺の観光地に向う。途中「黄金のドーム」が遠くに見え綺麗だった。

さて、まず向ったのは、鶏鳴教会。旧市街の南側にある。

ユダヤ人から目をつけられていたイエスはこの場所に連行され、地下の牢獄に留置された。その後、総督「ピラト」のところに連れて行かれ、捌きを受けた。また弟子のペテロが自分に罪が及ぶの恐れて、イエスの予言どおり、鶏が鳴く前に三度「イエスのことを知らない」と嘘をついたのがこの庭で、その話から「鶏鳴教会」と言われている。ちなみに我々が行った時には鶏は一羽もいなかった。

中はさすがに荘厳な空気が流れているものの、エルサレムでは超メジャーな観光地でもあるので、観光客もたくさんいた。観光客はバスで集団で訪れていた。日本人ツアー客もいたのだが、そのうちの一人に妻が話しかけられていた。聞くと、どうやら2日前にペトラで我々を見かけたそうだ。やはりツアーでも個人旅行でもここら辺で行く場所なんか一緒なんだと思う。

教会の中は地下に牢獄的な場所があり、イエスが留置されたんだと思われる場所があった。教会の建物はモダンな感じで新しい感じもしたのに、中の地下には整備されてない感じで壁なんか土壁の牢獄があるのは不思議な感じだった。

この教会にはイエスが連行されて来た時に登ったとされる階段が当時のままで残されている。現在は柵で囲まれているので実際に歩くことはできないのだが、何となく歴史を感じるものだった。

ヨルダンにもイスラエルにも「デーツ」と呼ばれる実がなったいわゆる「ナツメヤシ」が多く生えていて、農業としても育てられていたりする。日本ではなかなか口にする機会が少ないデーツだが、実際にはこんな感じに実っている。ナツメヤシはこんな感じで実が成るんだということをあまり知らなかった我々にとってはなかなか新鮮な情報だった。

鶏鳴教会の近くには「最後の晩餐の部屋」がある。ここはイエスが処刑の前の晩に弟子たちを集めて最後の晩餐を行ったと言われる部屋なのだ。「最後の晩餐」と聞くと、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を思い出すが、全然違った感じで殺風景だった。

観光客はかなりたくさんいたのだが、正直なことを言えば、われわれにとってはどこをどう楽しんだら良いのかについて困ってしまう観光地でもあった。

最後の晩餐の部屋の隣には「ダビデ王の墓」がある。ダビデ王はかつてイスラエルの地をおさめていた王だった。

興味半分でダビデ王の墓がある部屋に入ってみたのだが、ここに入るにはかなりの覚悟を持って入った方がいい。というのも、例えて言うなら「信仰宗教の宗教集団が集会をやっているところに、のこのこ異教徒が興味半分で入ってしまった」的な感じで、入ったとたんに「これ、やばいやつだ」という空気があった。とくにここでお祈りをしている人たちは、ユダヤ教徒のなかでもかなりの信仰心が強い人な感じがあり、若干カルト集団的な感じがある。決して悪い人ではないのかもしれないのだが、覚悟して入ることをオススメする。

ダビデ王の墓がある建物の前にはダビデ王の像もある。ちなみにこのダビデ王はトランプのスペードのキングのモデルとなっているそうだ。

この付近での注意事項は、すごく道に迷いやすいことだ。こんな感じの、日本で言えば「裏路地」的な感じがあって、遠くの目標物を目指したりするのは困難。結果として道に迷うケースが多々ある。

ダビデ王の墓から、我々が次に向かったのは、「ヴィア・ドロローサ」。

イエスは自らを「神の子」と称したことが、当時のユダヤ教律法学者の怒りに触れ、当時のローマ帝国の総督ピラトの下で裁判にかけられて死刑判決を受けた。そして処刑場所のゴルゴダの丘まで十字架を背負って歩いた。この1km程度の道のりを「ヴィア・ドロローサ」という。

毎週金曜日には、フランシスコ派の修道士がヴィア・ドロローサを十字架を担ぎながら更新したりするほど、現在でも大事にされている。ヴィア・ドロローサには、判決を受けた場所から処刑される場所までの間に12個程のポイントがあって、通常は第一ポイントから順に行くのだが、ダビデ王の墓側から向かってしまった我々は罰当たりにも、逆方向に辿ってみた。

これは5番目のチェックポイントで、クレネ人のシモンがイエスの代わりに十字架を背負った場所。書くポイントにはこんな感じでポイントを示す印がある。

これは4番目のチェックポイントで、アルメニア人が建てた苦悩の母のマリアの教会があり、マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる場所。

4番目のチェックポイントのすぐ隣に3番目のチェックポイントがある。ここは、イエスが十字架の重みに耐えかね、最初につまづいた場所。その様子が彫刻として刻まれている。

第2のチェックポイントはイエスが十字架を背負わされた場所。さらに茨の冠を被せられて、ローマ軍の兵士達に無知で打たれた場所だ。

最初のチェックポイントはイエスが死刑の判決を受けたアントニア要塞があったと言われる場所。

ヴィア・ドロローサに伝わる一連の言い伝えは、本当にあったことかどうかはキリスト教徒ではない私が、どうのこうのと言うのは失礼なので何も言えないが、ただ、本当にあったとしたら・・・と考えて各ポイントに立ってみると、感慨深いものがある。

そんなこんなで、いろいろと歩き回っていたら、暗くなり始めてしまった。エルサレム旧市街付近は人も多いので、そんなに危険な感じもしなかったが、暗くなってから歩き回るのはできれば避けたいところ。ということで、宿に戻ることに。

ホテルまでの途中、うまそうなジェラートのお店があって、思わず買ってしまう。酸っぱさが疲れた体に染み渡っておいしいジェラートだった。

順番は前後した気がするが、ホテルのすぐ近くにケバブ屋があって、結構お客さんが入っていたので、テイクアウトでケバブを買う。ケバブが本場の国だけあって普通にうまい。この店のケバブはトルコのドネルケバブタイプ。

昼間飲んだザクロの100%ジュースがうまかったので、そこら辺でザクロを買い、ホテルの部屋で食べてみた。日本でなかなかザクロを食べる機会はあまり無いので、久しぶりにザクロを食べた気がするが、「あ〜!もっと食べやすかったらもっとメジャーな果物になったのにぃ〜!」と思う。

ちまちま食べるのに「イラッ!」として、全て果肉の粒を取り出してから食べることに・・・。さすがにこうすると食べやすかった。あの微妙に渋さが残る味に今日の疲れが癒された気がしたところで、今日は就寝。明日は旧市街をさらに散策して、いよいよ岩のドームを間近で見てみます。

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