【パレスチナ旅行記】Day6 緊張の検問所越え!パレスチナ地区へ

今日の目的地はパレスチナ自治区の「ベツレヘム」。ベツレヘムにはイエスが生まれたとされる、生誕教会がある。

ベツレヘムへ行くには、アラブバスに乗っていくのが通常の手段。エルサレム旧市街からアラブバスに乗るには、ダマスカス門近くのバス停から乗る。われわれは「どのバス?」とちょっと迷ってしまったが、この地図のような場所で、ダマスカス門とトラムの駅とのちょうど間ぐらいにある、ちょっとしたバスターミナルみたいなところから乗る。

アラブバスは21番に乗ると、目的の生誕教会近くまで行ってくれるので楽。ほかのバスでも行けるが、イスラエルとパレスチナ自治区との境界線にあるチェックポイントでバスを降りなくてはならず、その先は徒歩かタクシーになってしまうので面倒くさい。

ダマスカス門近くのアラブバス乗り場からベツレヘムの生誕教会近くのバス停まではおよそ40分ぐらいで着く。途中検問所みたいなところはないのがちょっと不思議。

21番のアラブバスでベツレヘムまで行くと、2013年10月現在で7.5シュケルだった。バスに乗るときに運転手からチケットを買う。乗るときに「ベツレヘム?」と聞けば、大体降りる場所とかも分かってもらえるのでそれ以上言わなくても普通にチケットを渡される。

さて、海外でバスに乗ると普通にやってくる鬼門。それは「どこで降りたらいいのかわからん」ということ。我々はエルサレムで現地のSIMを買い、iphoneのgoogle mapで場所を確認しながら乗っていたので、特に困らなかったが、そんなのが無い場合はどうするか?

とりあえず観光客らしき人がたくさん乗っていればラッキー。特に生誕教会はキリスト教の聖地の一つでもあるので、欧米人の観光客らしき人は生誕教会付近で降りる可能性が高い。あと、生誕教会の近くには大学もあり、パレスチナ地区なのでイスラム教、特にスカーフ等で髪の毛を覆った女学生的な年齢の人がたくさん降りていた。なので、その辺を頼りにすれば良い。また、生誕教会付近でいきなりたくさんの人が降りるので、たくさんの人が降りたら一緒に降りる振りをして運転手に「ベツレヘム?」と聞けば良いと思われる。

ちなみに、生誕教会までのバスはエルサレム市街を抜けると高速道路的な道路をしばらく走る。高速道路的な道路を下りると、突然市街地を走り始め下り坂をバスが下り始める。そうすると突然たくさんの人が降りるところがあるので、そこが生誕教会近くのバス停。

何の参考にもならないかもしれないが、最終的に確実なのは周りの人に聞くか、運転手に聞くかだと思う。

バスを降りると坂を上るように南の方向に歩けば、生誕教会の方向。某「歩き方」には、バスを降りるとタクシーの運転手にしつこく声をかけられるとあったが、確かに声はかけられたがそれほどしつこくもなかった。細かい地図は某「歩き方」に載っているので、迷うことは無いと思う。

生誕教会までの途中にはとんがり屋根が特徴の「ルター派クリスマス教会」がある。この教会で道は二手に分かれているのだが、左側の道を進めばよい。

それにしても、本日も晴天で気持ちが良い。

バス停から歩き始めて10分ぐらいで、生誕教会に到着する。生誕教会の前には広場があって、立派な教会な感じがするが、中に入ることができる扉は小さく、かがんで入らなくてはならない。

生誕教会とはイエスが生まれたとされる場所に建てられた教会。イエスの両親だったヨセフとマリアは「人口調査の為」という理由でここベツレヘムに来たとされる。そして、宿を取ることができなかった二人はここでイエスを出産したと伝えられている。

中は広く、数多くのランプが吊り下がっていて幻想的な空気をかもしだしていた。イエスが生まれたとされる場所は中央の祭壇の地下の部分にある。我々もそれが見たいと思ってきたのだが、祭壇に向かって右側にすごい行列が・・・。こ、これはまさか・・・

そう、たくさんの観光客がイエスが生まれたとされる場所を見たいと行列を成していた。とりあえず我々も並んでみたが、全然列は進まず、このままではただの時間のロスになってしまうと、泣く泣く諦める。

教会の床は、ところどころ空いていて、その下には古いモザイク画が覗いている。これはコンスタンティヌス帝の頃のものらしい。

また、中央の教会外陣の横にも、ミサができそうな部屋があり、マリアの像と生まれたてのイエスの像があちこちに飾られていた。

生誕教会を後にした我々は、ベツレヘムの街をちょっと散歩することに。

「ダビデの井戸」という場所があり、とりあえずそこを目指しつつ、バス停方向に戻ることに。

ダビデの井戸は「井戸」らしいものはよくわからなかったのだが、マリア様の像が立っており、何となく「ここかな?」的な感じはある。あと、大きな道沿いにあるわけでもないので、場所的にちょっとわかりにくい。マニアックな場所なのか、他に観光客はゼロだった。

この辺の界隈は細い道がたくさんあって、すごく赴きのある街だった。

建物も教会っぽいものも多くて素敵な街なのだが、道が細い上に単純ではないのでちょっと迷いやすいかもしれない。実際我々はバス停方向ではなくチェックポイント方向を目指していたのだが、なんだかんだで気づいたときには完全に反対方向にあるいており迷った。途中スパイス屋だか何だかよくわからない雑貨屋のアラブ人店主に道を聞いた。英語の通じない店員もいたが、店主らしきおっちゃんはかろうじて英語が通じ、必死で教えてくれた。しかも、教えてくれた道で我々が迷った時の為にメモ紙にアラビア語で目的地を書いてくれて、「迷ったらこれをその辺の人に見せればいいよ」的にくれた。とても親切なおっちゃんだった。

さて、この界隈を迷った風にあるいていると、そこら辺の人に「どこに行きたいのか?」と良く声をかけられる。そして二言目には「壁(ウォール)に行きたいのか?」とも言われる。最初は何のことだかよくわからなかったが、観光客は結構この壁を見に行くらしく、「観光客=壁に行く」というイメージが根付いているのかもしれない。

壁とはイスラエルが建てた、イスラエルとパレスチナ自治区を分離する高い壁のことで、名目上はテロを防ぐためにパレスチナ自治区からイスラエル側に勝手に入れないようにするもの。おかげで今までパレスチナ地区からイスラエル側へ通勤している人などが結構苦労してしまうなどの問題がある、さらに、最近になって大きな問題になっているのが、どんどん建てているこの壁、本当のイスラエルとパレスチナの境界ではなくかなりパレスチナ地区を侵食して建てているということがあり、アラブ人達の怒りを買っているもとにもなっているのだ。

壁はエルサレムから乗ってきたバスを降りたバス停の道路をエルサレム方向に歩いていくとある。そこら辺のタクシー運転手とかが「遠いからタクシー乗ってけ」と言うのだが、確かに近くも無いが歩いていけない距離でもない。20分ぐらいブラブラと歩いていれば壁に到着する。

「観光客は何故壁を見たいのか?」

確かにトラブルのもとになっている壁自体を見たいというのもあるが、そこに書かれているメッセージ性の高い絵が見たいというのが大きいのではないかと思われる。確かに「落書き」的な絵も多いのだが、「これは芸術品だろっ!」っていう作品も多い。

この作品はイスラエル兵をボディーチェックする少女の絵で超有名。この作品は分離壁に描かれているものではないのだが、そのメッセージ性の高さであまりにも有名になっている。

連なった壁の要所要所には、こんな感じで監視塔がある。下からはこの監視塔に人がいるのかは良くわからなかった。

壁にはパレスチナ人のイスラエル人に対する気持ちがよくわかるメッセージが書かれていてたりする。これは「This is illegally occupied land (ここは不当に占拠された土地です)」と書かれている。

壁はこんな感じでず~と続く。

しかも高いので、登って超えるなんてのは無理なのだ。壁に描かれてる絵を見ると、どれも同じぐらいの高さまでにしか描かれていないのがわかる。これは人間の背丈もしくは手を伸ばして届くぐらいの高さだからだ。そうするとこの壁の高さがどれほど高いか容易に予想がつく。

この絵も相当有名なもので、元パレスチナ解放人民戦線(PFLP)の活動家「ライラ・カリド」さんの肖像。

分離壁を分け開けてハートが覗く、平和的なメッセージも見られた。

いろいろな壁画を見ることで、いろいろな人の考えが読み取れて勉強になった。双方の言い分も分かるような気がするし、早く仲良くして欲しい気持ちがある。その時には決して戦火を交えるようなことは無く解決して欲しいと強く願った。

民族紛争について、正直なところ日本人にはほとんど関係ないように見える。そんな幸せな環境に生まれた日本人だから解決できる方法は無いものか?と考えてみたい。

さて、パレスチナ自治区からイスラエルに戻ることにする。壁の途中にチェックポイントという場所があって要は検問所。その検問所で手荷物検査とパスポートチェックを受ける。どんな厳しいチェックを受けるのか?とドキドキしていたが、手荷物検査も甘く、パスポートチェックなんかも超甘かった。施設は古く、手荷物検査のX線装置なんか「正常に動いてる?」といった感じだった。

ただし、これは我々が完全な外国人観光客でイスラエルとパレスチナ問題に全然関係ない人間だからであって、パレスチナ人がチェックを受ける時は、イスラエル側の兵士はわざと厳しくチェックしたり時間をかけたりするそうだ。

チェックポイントを出たところにアラブバスが2台ほど停まっていた。「エルサレム?」と聞くとうなずくので、なんの疑いも無く乗った。料金は5.2シュケルだった。

バスは2~30分ぐらいでエルサレム旧市街に戻ってきた。お昼ごはんを食べていなかったので、マハネー・イェフダー市場に行き、その中にある一軒の小さなレストランで昼食をとった。

これは、ナスをくりぬいて中にひき肉等を詰めてグラタン風に焼いたもの。

何となく中東っぽい感じのピザ。具にひき肉が乗っている。

これは、なかなか日本では食べられない感じで、ぶどうの葉っぱでお米を包み、炊いたもの。独特のクセがあって、苦手な人は苦手だが、全然平気な人はおいしく食べられるのかもしれない。事実、私は苦手だったが、妻は美味しくいただいていた。

昼食後我々はイスラエルミュージアムに向う。まずはトラムで死海に行く時にも行ったセントラルバスステーションへ。

死海に行く時に窓口でチケットを買ったので、同じように窓口に行くと「運転手から買え」と冷たくあしらわれた。とりあえずどこから乗るのか?と聞くと、バスステーションとトラム駅との間の道路に面したところから、14番のバスで行けるという。

死海に行く時にはバスターミナルの専用口みたいなところからバスは出発したが、イスラエルミュージアムがある市内のバスはバスターミナル外の道路にある普通のバス停から出発するみたいで、14番のバスが書かれているバス停で待っているとバスが来た。

バスに乗る時に運転手に「イスラエルミュージアム」と言うとすぐに分かってくれて、チケットをその場で買う。値段までは忘れてしまったが、たいした金額ではなかった。運転手は40歳ぐらいのソバージュが効いたすらっとしたおばちゃんで、サングラスをかけていてかっこよかった。

バスは5~10分ぐらいでイスラエルミュージアム前の交差点にあるバス停に到着。我々がバスの中でミュージアムの話をしていたからか、バスで向かい合わせに座っていたおばちゃんが、バス停に着く直前に「次がミュージアムのバス停だよ」と教えてくれたし、バス停に着くと、運転手のかっこいいおばちゃんが、バックミラー越しに我々に教えてくれた。意外とみんな優しくて助かる。

どの路線を通ってくるのか分からないが、このバス停にはこの写真のように7番と14番と35番のバスが停まるようなので、運よくこれらの番号のバスが近くを走っていたら、イスラエルミュージアムに行けるかもしれない。

イスラエル博物館は、イスラエル建国前のユダヤ民族美術品なんかを集めた国立美術館。特に有名なのは、独特の建物形状で有名な死海写本館。この建物の形は死海写本発見当時、写本が入ってた壺のふたの形をもとにデザインされたもの。死海写本はベドウィンの少年がたまたま発見したもので、今日発見されている聖典のなかでも世界最古のヘブライ語聖典。薄暗い建物の中には死海写本が置かれていた。我々は当然読めないのだが、歴史を感じられる巻物だった。

もう一つ有名なのは、実際の50分の1に縮小された第2神殿時代のエルサレムの精巧な模型。考古学者の教授がわずかな資料をもとに模型作りを始めた。わずかな資料のみが頼りだったので、教授の創作部分も多く、実際の発掘が進むにつれて、手が加えられた部分もあるそうだ。

死海写本館と第2神殿時代の模型が有名なイスラエル博物館だが、実際に見てオススメしたかったのが、考古学棟やユダヤ民族史棟等の出土品等を展示している部分。とにかく量がすごくて、数時間では見きれる感じでは全然ない。展示してある品々も、ユダヤ人ではない我々でも十分興味を持って見ることができるものばかり。我々は時間の関係であまり見れなかったが、ここがこんなに面白いと、始めからわかっていたのならば、計画段階で十分な時間を充てていたと思う。ということで、イスラエル博物館は十分な時間をとって見てもらいたい。

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