【ドイツ旅行記】Day8 世界で一番美味いケバブはベルリンにあったぁ!?

十分満喫したイスタンブールを後にして、今日は朝からドイツ・ベルリンへ移動。

昼間はあれだけ賑やかだったアタキョイの街は、さすがに朝は静かで気持ちがいい。

パムッカレへ移動する時は、同じように朝だったのだが、もっと早い時間だったのでメトロも動いておらず。仕方なしに空港までタクシーを使った。今回の移動はメトロの始発の時間だったので、メトロで空港まで移動。こんな早朝からメトロに乗る人が結構多くてびっくりした。

結構時間に余裕を持ってきたので、ちょっと空港内を探検しようかと、とりあえず出国審査に行ってみたら・・・

が〜ん! 出国審査とセキュリティーで超混んでる。こりゃ遅れたらマズイということで空港内探検は諦めて、出国審査に並ぶ。最初は「ここら辺のハブ空港だから、常にこんだけ混んでいるんだろうなぁ〜」と思っていたが、どうやら、このくらいの時間からがちょうど出発便で混雑する時間らしく、これだけ混んでいた模様。後日さらにこの空港を利用したのだが、その時はこんなに出国審査で混んではいなかった。

と、混んでるのは出国審査とセキュリティーだけかと思ったら、出発する飛行機もこんな感じで行列となっていた。羽田も結構待ちの時間が長い場合があるが、イスタンブールの空港も大変そうだね。

毎度の機内食。あまりにも機内食が続くと、さすがに飽きてくる。

イスタンブールからベルリンまでは飛行機で2時間ぐらい。あっという間に着いてしまう。

お〜!ユーロ圏に入国。このマークを見ると「ヨーロッパだね」と感じる。

ベルリンの空港でちょっと驚いたのは、普通イミグレは各搭乗口から全ての人が一カ所のイミグレに集まるようなシステムをとっているが、ベルリンの空港では各搭乗口に1つか2つづつイミグレが用意されていて、各搭乗口の搭乗橋に並ぶシステムになっていたこと。

効率的かどうか?という点では何とも言えないが、これはこれでアリかもしれない。

ベルリンの空港ともなれば巨大な空港なんだろうなぁ〜と勝手に想像していたのだが、実際は全然小さな空港でむしろ「ちょっと窮屈」と感じてしまうほどだった。

そんな空港をちょっとブラついていたら、ちょうど空港から出るバスの有人チケット売り場があったので、バスチケットを購入。公共交通機関のバス・メトロ・トラムなんかは、共通のチケット。チケットはゾーン毎に分かれていて、ベルリン市内だったら「A」「B」のゾーンを買っておけばほぼ網羅できる。市外になると「C」ゾーンまで買わなくてはならない。

ツーリスト向けには「ベルリン・ウェルカムカード」というのがあって、交通機関が乗り放題になって、且つ美術館や博物館等の決められた観光ポイントに割引料金で入場できる。ベルリンウェルカムカードは48時間券とか72時間券とか5日券とかの種類がある。

と、ここまで聞くと、すごくお得のように感じられるベルリンウェルカムカードなのだが、実際自分が行きたい場所と割引が適応される施設が一致しているかどうかも微妙だし、それなりに値段も張る。なので、何も考えずに飛びつくのはあまりオススメできない。自分が行きたい場所と割引が適用される施設を事前に確認して購入を検討した方がいい。

今回自分がベルリンで行きたかった場所は全然関係ない場所だったし、ほぼ1日しか滞在しない予定だったので48時間券を買うのはもったいないと判断。ウェルカムカードとは別に公共交通機関のチケットは普通に「1日乗り放題券」があるので、今回はそちらを購入。1日券で注意しなければならないのは、有効期限が24時間ではなく「次の日の午前3時まで」ということ。なので、夜ベルリンに到着して1日券を購入してしまうと、若干損した気分になるかもしれない。

この有人のチケット売り場でチケットを購入しようと思って「一日券」と言ったら、何も聞かれることもなくゾーン「A・B」のチケットを出された。今回は別に問題なかったのだがゾーン「C」に行きたい人は、ゾーン「A・B・C」とちゃんとアピールした方が良さそうだ。ゾーン「A・B」の一日券は6.9ユーロだった。

さて、ドイツに限らず、ヨーロッパの国ではバスはもちろん、鉄道でも改札が無いことが多い。正確には改札は無いわけではなく、「自分で改札しなければならない」のだ。

購入した切符にはもともと何も打刻されていないのだが、実際に電車やバスに乗る時に近くに設置してある改札機にチケットを通して乗り始めた時間を打刻しなくてはならない。もしチケットを持っていても、打刻していない(改札していない)と罰金を払わなくてはならないので注意が必要。

駅にはこんな感じの改札機があるので、自分でチケットを挿入して打刻(改札)する。

ということで、これが一日券。上の方に薄〜く日付と時間が打刻されているのがわかる。

これは個人的な意見なのだが、海外の自販機でチケットの購入に自信が無い人は、ベルリンの空港では先ほどの有人チケット売り場で買っておいた方がいいかもしれない。というのも、空港ではほとんどの人がチケットを買うのでこんな感じで自販機売り場はちょっとした行列になる。なので自分の番で購入に手間取ってしまうと何となく「何やってるんだよ。早くしろよ」的な空気を背中にバシバシ浴びて緊張する。そしてその緊張がさらに手間取る原因になるので、有人売り場で買っておいた方が安心だ。

空港ではなく、普通の駅だったらそんなにチケットを買う人が集中することも無いので自販機で手間取っても全然問題ないので心配は無用。空港だけ有人を使った方が楽かもしれない。

ベルリンの空港からバスで市街に向かう。先進国だけあって空港の案内も親切。

空港から市街へは、通常TXLエクルプレスバスで中央駅経由アレキサンダー・プラッツ駅に行くのがオーソドックスな方法なのだが、今回自分は予約したホテルの都合上「128」番のバスで最寄りの地下鉄の駅まで行き、そこから地下鉄に乗り換える。

ということで、128番のバスで5〜10分ぐらいの距離にある「U Kurt-Schumacher-Platz」駅に到着。道はこんな感じだった気がする。地下鉄駅までのバス停は何カ所かあったのだが、空港からこのバスを利用する観光客等はだいたい地下鉄を利用するので、このバス停で降りる。なので大きな荷物を抱えたたくさんの人がわらわら降りるバス停が「U Kurt-Schumacher-Platz」駅と考えて問題ない。

実は今日・明日・明後日ぐらいまでは毎日移動という強行日程。ということで空港近くのホテルを確保して、機動力を良くする必要があった。したがって、ベルリン市街のホテルではなく、空港近くのホテルを探したのだ。

今回は「U Kurt-Schumacher-Platz」駅すぐの所にある「Hotel Berlin」に宿泊。とりあえず、バックパックだけ置いていくことにした。

ホテルの中に飾ってあった写真には、冷戦時代にケネディー大統領がベルリンを訪問した歴史的日の写真が飾ってあった。「このホテルの前をオープンカーでパレードしましたよ!」的なアピール。

さて、バックパックをホテルに置いたら、早速市街地に出る。

東ドイツで使われていたという有名な信号機のデザインを初めて見てちょっと感動。う〜ん、これはカワイイわ。

ということで、地下鉄に乗る。チケットは空港からバスに乗る時に買った1日券が引き続き使える。バスに乗る時に改札機に通しているので改めて改札する必要も無し。

こうゆう支払いのシステムを見ると、ヨーローッパは「性善説」で成り立っているんだなぁ〜という点が少し驚き。これは完全に偏見だと思うが、日本人に対して性善説を適用して、ヨーロッパは性善説は適用できないというのであれば、若干納得できるのだが、実際は逆だ。自分が思っているよりヨーロッパの人たちは正直なんだろうか?

そんなことはさておき、ベルリンの地下鉄は黄色が綺麗な車体だった。機械関係の設計をしているからか、こう言った海外の機械物をマジマジとみてしまうクセがあるのだが、ドイツの鉄道の車体は、さすがにメルセデスベンツのような車を生み出した国でもあるからか、全体に丈夫な造りをしているなぁ〜と思う。

地下鉄で「U Kurt-Schumacher-Platz」駅から、「Kochstraße」駅に向かう。地下鉄でおよそ20分ぐらい。意外と離れている。

ということで「Kochstraße」駅に到着。まずここに来た目的は「チェックポイントチャーリー」と「壁博物館」を見ることなのだ。駅名の看板の下にも「Checkpoint Charlie」と書いてあるだけあって、有名な場所なんだというのが分かる。

地下鉄の駅から地上に出たらすぐの所にチェックポイントチャーリーがある。というか、観光客がいっぱいでちょっと驚き。その後色々回ったのだが、どこに行っても観光客がたくさんで、「あ〜、それだけベルリンという町は観光客で賑わう街なんだなぁ〜」と思った。

チェックポイントチャーリーとは、東西冷戦時代に西側諸国の外国人と西ドイツ外交官のための国境検問所だった場所。現在も検問所らしき建物があるが、これは当時を再現した物。おなじく国境警備員のような制服を着た人もいるが、これも観光客向けのもの。東ドイツ側の制服と西側のそれぞれの警備員と写真が撮れたりする。

チェックポイントチャーリーの「チャーリー」とは誰かの名前なのかと思っていたら、軍とかで良く使われている「フォネティックコード」の「C」にあたる「チャーリー」の事だそうだ。ということで、簡単に言えば「チェックポイント C」と言っているような物だ。その他には「A」にあたる「アルファ」を用いて「チェックポイント・アルファ」という所もあったそうだ(アウトバーン上に設置されていた)

チェックポイントチャーリーの横には博物館がある。いわゆる「壁博物館」と言われているもので、内部は写真撮影が不可。行ってみるとチケットを買うところでかなりの行列が。っていうか、こんだけ観光客がドッサリ来ているのに、チケット販売の対応をしているのが一人だけってのが問題だと思うけど・・・。

壁博物館には主に様々な方法で壁を越えた人の実体験や、実際に使われたもの(気球とか車とか)が展示されていた。もちろん壁ができた経緯や政治的背景、壁の構造などの解説が所狭しと(むしろちょっとゴチャゴチャしすぎと感じるぐらい)展示されていた。特にエンジンルームやトランクを改造して、無理矢理人間が一人入れるようにしている実物の展示なんかは衝撃的。

壁博物館に展示されているものは、ほとんどが冷戦時代の資料やベルリンの壁に関するものなのだが、一部最近の平和を脅かす事象(例えば2014年後半から問題になっているウクライナ問題で多数の犠牲者が出た、キエフの騒乱とか)の写真パネル展示なんかもあった。

ベルリンの壁と冷戦の展示に乗じて、これから起こる世界の平和問題に対して一石を投じようと思っているんぢゃないか?と感じた。

ただ、展示は英語(もちろんドイツ語でも書かれているが)がビッシリと書かれていて、読むのに苦労する感じで疲れてくる。最終的には展示物を眺める感じで終わってしまうのは否めない。

壁博物館から外に出ると、こんな感じのラインがある。これはかつてこの場所にベルリンの壁があったことを示すライン。

こんな感じで車道にも壁があった場所を示すラインがず〜っと続いている。

そして、近くには当時あったベルリンの壁が展示されている。結構な高さで先端は丸くなっているので、フックのようなものを引っ掛けて登ろうとしてもできない感じだった。

ちょっと驚いたのが、壁が結構薄いってこと。大きなハンマーとかで叩いたらすぐに壊れてしまいそうな感じもある。
ベルリンの壁は西側(西ベルリン側)から壁は直接触れるような場所に設置されていた(なぜなら東ドイツ側が設置したから。西側にとっては関係なかったから)。しかしながら、東ドイツ(東ベルリン)側からは、壁までに緩衝地帯等があって直接壁に触れるような場所になかったのだ。なので、壁自体は多少薄くても支障はなかったのかな?と勝手な想像をしたりして。

さて、チェックポイントチャーリーと壁博物館を見終わったら次へ移動。

チェックポイントチャーリーがある「Kochstraße」駅から一つお隣の駅である「Mehringdamm」駅へと移動。

次の目的は「グルメ」。

ドイツにあまり詳しくない自分のような日本人の感覚で、ドイツの名物と言えば「ソーセージ」だ。そんなソーセージを気軽に味わえるB級グルメ的な存在の食べ物それが「カリーブルスト」。どのガイド本にも紹介されてるよね。

そんな、カリーブルストの有名なお店「CURRY 36」が今回の目的。「CURRY 36」も「Mehringdamm」駅を降りたらすぐの所にあるので、すごく行きやすい。

やはり有名な店ということもあって、観光客よりは地元の人らしき人達で混み合っていた。ソーセージのみのメニューもあるのだが、事前の情報だとポテトと一緒になったやつがオススメらしかったので、それを注文。

というか、メニュー表の中で目的のものがどれかがわからなかったので、ちょうど自分の前に買った人が注文したのが、それっぽかったので、その人が持っているやつを指さしたら、店員のね〜ちゃんはわかってくれたようで、無表情で作ってくれた。

ということで出てきたカリーブルストがこれ。極太のソーセージにケチャップが「これでもかっ!」ってぐらいかかっていて、その上マヨネーズもかかっている。そしてそれに埋もれるようにポテトフライが乗っている。見た目はかなり豪快。ということで早速食べてみる。

一口食べて「うまいっ!」と叫んでしまうような美味さだ。ドイツに来るのは初めてなのだが、「いくらソーセージが美味いって言ったって、そんな変わんないでしょ〜」と高をくくっていたのだが、完全に覆された。もう日本で食べるソーセージとレベルが全然違うのだ。こんなにソーセージが美味いんだったら、ソーセージが溺れてしまうぐらいにかけられたケチャップはいらないんぢゃね?って感じ。あっ、ちなみに全体にはさらにカレーパウダーがかけられているので、カレー風味もある。しかし個人的にはケチャップもカレー風味も要らないので、ソーセージのみの味をもっと味わいたいなぁ〜と思うほどだった。

正直このカリーブルストはオススメ。

さて、カリーブルストでちょっとお腹も満たされたところで、次の目的地に行こうとしたら、なにやら行列を発見。よく見てみると・・・

最近話題のケバブ屋ではないですか〜!

このケバブ屋については、以前「世界行ってみたら本当はこんなとこだった!」という番組で紹介されて知っていたのだが、事前調査が甘くてどこにあるのかがわからなかったのだ。ところがCURRY 36のお店のすぐ近くにあるのを偶然発見した。

あまり並ぶ習慣がないドイツ人でも並ぶぐらいの店で、番組では1時間ぐらい並んでやっと購入していた。実は今回の旅でドイツ滞在の時間はかなり短く、ほとんど時間をロスできないような日程だったのだが、「本当に美味いのか?」ということをどうしても確かめたくて並ぶことにした。

お店は屋台形式なのだが、中では3人の店員が手際よく作業をしているのだが、お客さんが多いせいかなかなか列は進まず。それでも自分が並んだ時は30〜45分ぐらいで買うことができた。

屋台形式といっても、やはり先進国だけあって、清潔感は保たれている感じ。

さて、メニュー表はこんな感じだったのだが、ドイツ語で全くわからず。後日ネットで調べてみたのだが、左から「野菜とチキンのケバブ(3.2€)」「野菜のケバブ(2.8€)」「デュラム(ラップのようなもの)(4.3€)」とシンプル。女性には野菜のケバブが人気らしく、「肉が入ってないんぢゃケバブぢゃないぢゃん!」とツッコミを入れたくなるのだが、そんな細かいことは言わないようにする。

ということで、自分はオーソドックスな野菜とチキンのケバブを購入。そして、朝までいたトルコでお気に入りになってしまったヨーグルトドリンクの「アイラン」があったので、それも一つ購入。

ということで出来上がったケバブがこれ。昨日まで食べていたトルコのケバブは、肉がメインで野菜がほとんど入っていなかったのだが、このケバブは野菜がメインで肉はお飾り程度という感じだった。

さて、早速食べてみると、すんごく美味い。ドイツ人がこれだけ並ぶのも納得の味なのだ。まず、野菜は火を通したものと生のものが両方入っている。なので、火が通った野菜は「良い味」を演出し、生の野菜は「良い食感」を演出している感じで味も食感も両方味わえる。そしてそれに合わせて肉の味もしっかりしている。また、パンに塗られた数種類のドレッシング的なソースが複雑な味を演出している。

伝わりにくい表現かもしれないが、昨日まで食べてきたケバブは「男臭い」感じのケバブで、このケバブは「上品でレストランでたべるようなもの」的な感じだ。同じ「ケバブ」というカテゴリーでくくってしまうのは間違っているような感じがする。これはこれで「別の新たな料理」という感じだ。野菜がたっぷりなので、女性に圧倒的な支持を受けているのも納得な感じで、実際に行列に並んでいる人は女性が結構多かった。

カリーブルストに続いて、このケバブも超オススメだ。

しかしながら難点は、Curry 36のお店とこのケバブのお店が超近いので、一回で両方食べるのは結構キツイということ。自分もケバブ後半は結構苦しかった。

ドイツ滞在時間が長ければ、別々の時間に来ることもできるのだが(それはそれで面倒だが)、今回の旅のように滞在時間が短い場合は両方食べなくてはならないのでちょっと厳しい。 まあ、どちらの店も駅を出てすぐの所にあるのでアクセスは抜群なのだが・・・。

後から気づいたことなのだが、ベルリンではメトロの駅にある売店で売っている軽食的なも物が充実していて、超美味そうなのだ。やはりソーセージを豪快に使ったメニューが多く、また、ラップ等は惜しげも無く野菜がいっぱい入っていて健康にも良さそうな感じがする。

日本では地下鉄や電車の中で食べたり飲んだりするのは禁止ではないが、それは世界から見たら結構マイナーで、普通は食べ物のみ物は禁止されているので注意が必要。あまり気にしていないので、思わず水とか飲んでしまうことが多い。食べたり飲んだりしても日本人は社内を汚す人が少ないからだろうか?

ところが、ベルリンに来て初めて地下鉄に乗った時、通路を挟んでまで席を確保して大宴会を開いていたドイツ人グループがいて、「お〜!車内でも大宴会をしてしまうほど豪快でビール好きな国民性なんだなぁ〜!」と納得していたのだが、よくよく見たら車内飲食厳禁ぢゃん!

さて、カリーブルストとケバブで超おなかいっぱいなったので次の目的地に向かう。地下鉄を乗り継いで向かったのは「Warschauer Straße」駅。この駅から行くのは「イーストサイドギャラリー」。

「Warschauer Straße」駅はかなり混雑した駅で何となく若者が多かった。近くに若者が集まるスポットがあるのかな?

駅からイーストサイドギャラリーにまで歩いている最中に気づいたのだが、ドイツでは自転車道が結構しっかり整備されている場所が多いなぁ〜と感じる。といってもいろんな所をたくさん回ったわけではないので、一概には言えないが、自転車も結構多かった気がするから。

そんな感じでのんびり歩くこと5分ぐらいでイーストサイドギャラリーに到着。

と、早速イーストサイドギャラリーで超有名な絵を鑑賞。これは東ドイツのホーネッカー国家評議会議長とソ連最高指導者のブレジネフの熱いキスのシーンを描いたもの。彼らは決してゲイというわけではなく、ソ連には男性同士のキスが文化として存在していたのだ。

とまあ、いきなり個別の説明をしてしまったが、イーストサイドギャラリーとは、冷戦の象徴として現在でも一部ベルリンの壁が残されている場所なのだ。そしてそこに芸術家によるたくさんの壁画か描かれているというわけ。このホーネッカーとブレジネフの熱いキスはそんな中超有名な絵となった。

こんな感じでそれぞれの絵がベルリンの壁にず〜っと続いている。

これは日本に関する絵ですな。

東ドイツでず〜っと作られ続けた「トラバント」という有名な車が壁を突き破って来る絵。

当時、トラバントは東ドイツを象徴する車だった。というか社会主義の計画経済の中では限られた車しか作られなかったのだ。もともと工業製品を作ることが得意だったドイツ人にとっても、資本主義経済の西側では、経済の発展と時代の経過とともに車はどんどん高性能で良いものになっていったが、東ドイツの社会主義計画経済では車は進化することなく、留まったままとなった。したがって、同じ民族が作っていたにもかかわらず、ベルリンの壁が崩壊する頃は西側と東側の車では性能が雲泥の差となってしまっていたそうだ。

ベルリンの壁が崩壊した時、東ドイツ側からこのトラバントに乗って群衆の中を通って西側に入ってくる東ドイツ国民がいたのは印象的だった。

街なかでは、たまにこんな感じのものが走っているのを見かけたりする。これはビールを伸びながら観光できる乗り物。ただし動力は飲んでいる人達の人力なのだ。

各席にはペダルがついていて、ビールを飲んでいる客はそれぞれのペダルをこがないとこれは進まない。んで、運転手が一人いて、彼はこの乗り物をハンドリングする。自分はお酒が飲めないのでこの光景を見ると「そこまでして飲みたいかぁ?」と思ってしまうのだが、実際に乗っているひとは酔っているからかどうかはわからないが、みんな楽しそうだったので、「そこまでして飲みたいんだろうなぁ〜」と思う。まあ、飲みながら直接風に当たってビールが飲めるなんて楽しいけどね。

と、ここで、ほとんどの方が知っているとは思うのですが、一応ベルリンの壁について解説。

第二次大戦が終わり、敗戦国となったドイツは連合国にて統治されることとなり、アメリカ等が統治することになった西ドイツとソビエト連邦が統治することになった東ドイツに分けられた。しかしながら首都であったベルリンは東ドイツ領内にあったものの、ベルリンも西側と東側でそれぞれ統治することになる。西ベルリンは東ドイツの中に存在する街となった。

その後、西側の統治は順調に進み、民主主義が進んでいく一方、東ドイツ側はソビエト連邦が東ドイツにあった資産という資産を根こそぎ奪った上に紙幣を濫発したために、経済は大混乱となる。また、東側で進めようとされた社会主義に危機感を持った東ドイツ国民は東ベルリンから西ベルリンへと逃げ、そして西ドイツへ逃げるという構図になり始めた。

自国民が次々と逃げ出すという事態に危機感を覚えた東ドイツ政府は、突然ベルリンの壁を建設することにした。予告もなしに突然、西ベルリンをぐるりと取り囲むように壁ができたのだ。通常「壁」と言ったら、外的から守るために作るものだが、ベルリンの壁にいたっては、「自国民が逃げないようにするため」という、今考えれば非常に恥ずかしいものだった。

そんな経緯で作られたベルリンの壁。東西冷戦時代はソビエト連邦の指導を受けて行われた東ドイツ政府の方針に嫌気がさし、様々な方法でこの壁を越えようとした東ドイツ国民がたくさんいた。その内容を細かく展示したのが先ほど行った「壁博物館だ」

さて、東西冷戦時代が進んでいくと、ソビエト連邦自体の存在も難しい状態となり、ゴルバチョフ書記長が進めるペレストロイカによって、ソビエト連邦の影響力も小さくなっていった。それに乗じて東欧諸国等は、ソビエト連邦の顔を伺いながら、徐々に改革を進める雰囲気が出てきた。ソビエト連邦が強大な力を誇っていた時には、そんな事を起こせばすぐにソビエトが叩き潰しに来たが、ペレストロイカによる改革にて、そのような空気は起こらなくなってきた。

そんな中、まず民主化に走ったのはハンガリー。ハンガリーはオーストリアとの間にあった鉄条網を撤去し、ハンガリーとオーストリアとの自由な行き来ができるようにした。そこに東ドイツ国民が目をつけ、直接ベルリンの壁を超えられないならば、自由に行き来できる国を伝って行こうとし、チェコスロバキア→ハンガリー→オーストリアと移動して、オーストリアの西ドイツ大使館に亡命を求めるという方法を取るようになった。

これに焦った東ドイツは、この流れを止めるために、まずチェコスロバキアに行けないようにした。ところが時すでに遅しで、東ドイツ国民の怒りが爆発した。

どうすることもできなくなった東ドイツ政府は「出国を希望する者は、出国ビザの申請をすることができ、ビザを取得したら自由に出国できる」という通達を出そうとしたところ、それを発表する報道官が勘違いをして、「即刻、個人旅行・国外移住が自由になった」と報道してしまった。それを聞きつけた(西ドイツの衛星放送を見ていた)東ドイツ国民は一気にベルリンの壁にあった検問所に押しかけ、「移動は自由になった!」と叫び、彼らを止めることができなくなった国境警備が国境を開放してしまい、あの歴史的なベルリンの壁崩壊のシーンとなったのだ。

ソ連の力が弱まっていき、それと時を同じくして始まったペレストロイカによって、周辺の東欧諸国が民主化に走り、民衆を抑えきれなくなった政府が、なんとか沈めようとしたところ、報道官が勘違いの報道をしてしまったことで、火に油を注ぐことになって、国民が一気に移動。結果的に壁は崩壊した。

まさか、あんな平和へ世界が進んだ!と思った瞬間が、報道官の言い間違いで起こったなんて考えると、世界の歴史は本当に微妙なバランスで成り立っているんだなぁ〜と思う。

そんな激動の現代史を見守ってきたベルリンの壁に、現在はメッセージ性の高い絵が描かれることとなり、その歴史を伝える重量な役割を担っている・・・

と、言いたいところなのだが、実際のイーストサイドギャラリーのほどんどは、こんな感じで無数の落書きがされている。実際に有名な絵の上からも落書きがされてしまっているのだ。誰かが落書きを始めると、落書きをすることに抵抗が無くなってくるというのが人間の心理で、結局ここを訪れた観光客もなんのためらいも無く落書きをしていってしまう自体となっていた。

こういったことは、ガイド本には載っておらず、本当に実際に行ってみないとわからないことなのだが、これが現実なのだ。先ほどの日本に関する絵の所には「竹島は韓国の物だ!」とか、それをさらに上から「日本の物だ!」等と書いている跡があった。恥ずかしい歴史を繰り返さないために残されている遺産に、新たな揉め事に繋がりかねない事を書く日本人とその民族の血を持っている自分が恥ずかしくなった。

そんな、歴史的遺産を見ることで得た感動と現状の様子を見てがっかり感のあるイーストサイドギャラリーを後にして、次は「ブランデンブルグ門」を見に行こうと思う。

ということで「Berlin Ostbahnhof」駅に来る。さすがベルリンの主要駅の一つとあって大きい駅だ。

「Berlin Ostbahnhof」駅からは近郊列車の「Sバーン」に乗って「Friedriichstr」駅に向かい、そこから地下鉄に乗ってブランデンブルグ門近くの駅に行こうかと思ったのだが・・・

が~ん!ブランデンブルグ門に行く地下鉄が工事中により乗れず。どうしようか?と
迷っていたら、どうやら代替のシャトルバスが出ている模様。案内と係員聞いたりして代替バスに乗る。一日乗車券だとこういった事態にも関係ないので便利だよね。

代替のシャトルバスは地下鉄駅の所では停まらず、周辺のバスが停まりやすい所で停まるので、若干歩いてブランデンブルグ門に向う。

途中、ホロコースト記念碑があった。一見するとお墓かと思ったが、とりあえずお墓ではなくただのオブジェ。ちなみに「ホロコースト」とは、第二次大戦中にナチスドイツがユダヤ人に対して行った大量虐殺のこと。そもそも、何故ナチスドイツはユダヤ人の大量虐殺を行ったのか?

歴史は第一次世界大戦後までさかのぼる。第一次世界大戦に敗れたドイツは、周辺国から支払い不可能な賠償金を請求される。そこで、ドイツはドイツマルク紙幣を大量に発行したために、ハイパーインフレが起こりドイツ経済はどん底の状態となった。そこで出てきたのが「ヒトラー」。彼は巧みな話術で民衆の支持を得て、”あくまでも民主的な選挙で”トップに立つ。そして次第に独裁政治を行っていく。

現在起こっている「アラブの春」にも言えることなのだが、政権が大きくひっくり返る時には、その状況によっては民主的で正当な選挙が行われたとしても、ある特定の政治団体などが独裁状態にもなり得る結果となる場合がある。それが民主主義の難しいところで、場合によっては日本だって今でもそのような状況になりうるってことを、有権者である我々は心しておかなければならない。

話はそれたが、ヒトラーは独裁政治を行う上で、最悪となった経済状況で巻き起こる国民の不満をどこかに逸らす必要があった。その矛先となったのが「ユダヤ人」なのだ。

ユダヤ人はもともと頭の良い人が多かったが、当時ヨーロッパ諸国の社会状況で就けた仕事と言えば「卑しい(いやしい)仕事」としての金融業だったりした。そこでユダヤ人は成功しお金を得ていた。そのような状況を見てユダヤ人ではないヨーロッパ諸国の人たちは「面白くない」と感じていた。そこに目をつけたヒトラーは「今の最悪な社会状況にあるのはユダヤ人のせいである」とすることで、国民の支持を得たのだ。

なので、ユダヤ人を大量虐殺しても、国民の反発はあまり出なかった。

しかしながら、冷静に考えればそんなことは絶対におかしいことで、第二次世界大戦が終わった後、ドイツ国民はその歴史を反省しているのだ。

このホロコースト記念碑を見ると「果たして日本人はどうなんだろう?」と、自分は日本人なのだが改めて考えさせられる。周辺の国々に次々と侵略戦争をしかけ、罪もない大量の人たちの命を奪った歴史がある。どうゆう結論を出すかは別としても、そもそもその事に対して、真っ直ぐに目を向けているだろうか?

ホロコースト記念碑の横を抜けていくと、ブランデンブルグ門がある。現在ではブランデンブルグ門は東西ドイツ統一のシンボルとされている。

門のところには「free hugs」と書かれたプラカードを持っている集団がいた。どうゆうこと?と思っていたが、彼らと無料でハグができるということらしい。ハグすることで、東西それぞれのドイツ国民が一体となった感動の日を小さく再現できるという目的らしい。考えることが面白いなぁ〜と思った。

ブランデンブルグ門は門であるにもかかわらず、ベルリンの壁があった頃はすぐ裏に壁があったため、通行することができなかった。また、ケネディー大統領が有名な「私もベルリン市民だ」という演説をしたのもこの場所。

自分が行った時はこの門の周辺で何かのイベントが開催されていた上に、この門自体が超ド観光地であるために、すごい人だった。

人の多さもさることながら、門自体も立派だった。日本にはこんな立派な門があるかなぁ〜?と思うほど。

こちらにも、チェックポイントチャーリー付近にあったのと同じようにベルリンの壁があった場所を示すプレートが埋め込まれていた。

そしてベルリンの壁があった場所を示す線はこんな感じでブランデンブルグ門の方へと続いていた。

激動の現代史を見守ってきたブランデンブルグ門。その存在感も存在意義も大きな物だった。

ブランデンブルグ門を後にして次に向かったのは、「ベルリンの壁ドキュメントセンター」。

地下鉄が工事中だったので、やはりバスで「Friedrihstr」駅に戻る。んで、さらに地下鉄で北側へ行こうとしたのだが、北側へ行くラインもやはり工事中。なのでやはり北側へ行くにも代替シャトルバスに乗る。運転手に「○○駅まで行きたいんだけど・・・」と地図を見せながら言ったら、思っきしドイツ語で答えられてしまい、全くわからず。それでも途中「トラム」というのが聞こえ、どこまでかわからないけど行ったらトラムに乗り換えるのかな?と、とりあえず予想して乗る。

バスではiPhoneに入れた地図ソフト(Maps me )で現在地を確認しつつ乗る。んで、近くまで来たら案の定トラムの駅があり、そこから一駅。iPhoneが無けりゃ自分の旅は成立しないんぢゃないか?と思ったりもする。

ということで、ベルリンの壁ドキュメントセンターに到着。こちらは立派な建物なのだが、中に展示されている物の数は控えめ。「壁博物館」は展示物がギュウギュウだったのだが、こちらはゆったりだし、客の数も少なめ。

ベルリンの壁が崩壊するきっかけとなった報道官の当時の記者会見の様子等がビデオで流されていたりしてなかなか面白い。

ベルリンの壁ドキュメントセンターが面白いのは、館内の展示物というより、この建物の屋上から見れるベルリンの壁の状況。

ベルリンの壁はただ壁があったわけではなく、東ドイツ側は壁の前には結構広い緩衝地帯や監視塔、有刺鉄線の壁、深い溝、さらには番犬まで居て、簡単に国民が逃げ出せないようにしていた(そりゃ、国民が逃げないように建てた壁なので当然なのだが…)。

ベルリンの壁が崩壊した後はその全貌が見れなくなってしまったのだが、このベルリンの壁ドキュメントセンターの前には一部その状況が現在でも残されていて、建物の屋上からはその全貌を見ることができる。

なんだか、広い運動場のように見えるが、こんな感じで東ドイツ側ではベルリンの壁に到達するには、この領域を渡らなければならなかった。もちろんあちこちに監視塔が設置されていたので、渡っていると逮捕されるか射殺される可能性が高かったのだ。

今日はトルコからの移動と、短時間でのベルリン観光で少し疲れてしまい、早々にホテルに戻ることに。途中、以前ネットで見たベルリンでのB級グルメの紹介で読んだことのある、テイクアウト式の中華風焼きそばを買ってみた。

中華系っぽい人が作っていたので多少期待はしたが、別にわざわざドイツで食べるほどでもないです。

そんなこんなで、この旅も8日目が終了。

さて、日付は変わって旅は9日目に突入。

今日はベルリンからウクライナのキエフに移動なのだが、飛行機の時間からして、午前中の早い時間までは、何とか時間が取れそうだ。ということで、朝からベルリンの主要スポットを駆け足で回ってみることにする。まあ、朝なのでどこもやってないとは思うが、外観だけれも見れればいいかな、と。

ということで、まずは地下鉄にて「Alexanderplatz」駅に向かう。

ベルリンはドイツの首都にもかかわらず、すごく混雑して混沌とした街ではなかったのが、正直意外だった。ちょっとのどかな雰囲気すら感じられる街だった。しかも朝ともなれば、さらに静かで良い街のように感じた。

「Alexanderplatz」駅のすぐ前にテレビ塔がある。

駅を出たら「ど〜ん!」と圧巻の姿を現すテレビ塔。その高さはベルリンで最も高い建物で365mもあるそうだ。

テレビ塔から数分西側に歩いただけのところに古い教会がある。マリエン教会。

マリエン教会はベルリンで2番めに古い協会だそうだ。レンガ色がきれいな教会だった。早朝なので中には入れなかったのだが、素晴らしいフレスコ画があったりするそうだ。

マリエン教会前にあった銅像と一緒に。ヨーロッパの銅像とか、建物に掘られている彫刻とかは、いちいちクオリティーが高いので感銘を受ける。

マリエン教会から少し南に移動すると「赤の市庁舎」がある。

こちらもレンガ色がきれいな建物。ドイツが東西に分断していた頃は、東ベルリンの市庁舎として使われていた。戦時中はこの建物が破壊されたりしていたため、市の行政機関は別のところに移動していたが、現在統一ベルリンの行政はここで行われている。

街なかでは、こんな感じで貸し自転車のスタンドがあった。こういう施設と自転車にやさしい道路環境が整えば、気軽に自転車を利用できるなぁ〜と思う。

ここら辺は観光名所が目白押しの地域だけあって、街なかにおみやげ屋さんが並んでいた。早朝なので当然開いてないのですが・・・。

青信号のキャラクターは相当人気なのか、店内にはこれだけど〜ん!と展示されている。(歩道側の店の外のガラスから撮った)

青信号のキャラクターを使ったグッズも充実。ちょっと欲しい。

ちなみに赤信号のキャラはこんな感じ。

そんな感じで次にむかったのが「ベルリン大聖堂」

ベルリン大聖堂に向かう途中にあったのが「DDR博物館」

DDR博物館は旧東ドイツ(DDR)の日常生活をテーマごとに展示した博物館で、秘密警察の盗聴システムを見せる部屋や、東ドイツで作られていた自動車「トラバント」に乗ることもできるらしい。早朝なのでまだやっておらず中は見れずじまい。

そんなこんなで、ベルリン大聖堂に到着。こちらは裏側から撮影したのだが、大聖堂が朝日を浴びて綺麗。裏側だけでも十分きれいなのだが・・・

前側に回るともっと綺麗。ちょっと古ぼけて歴史を感じるところが、良い感じだ。

正面からみるとその存在感は圧巻だった。 地下には納骨堂があって、歴代の王族が眠る神聖な場所だそう。

ベルリン大聖堂の前には広くて緑が綺麗な広場が広がっている。そしてその北側にあるのが「旧博物館」。この辺は博物館がいくつもあるのだが、そのうち、旧博物館は特にアンティーク・コレクションを専門として収蔵している博物館。

早朝すぎてどこもやっておらず見れなかったのが残念なのだが、新博物館やベルガモン博物館等、この辺は博物館が目白押し。

旧博物館の裏手には「この界隈にはこんな感じで大聖堂や博物館が並んでますよ」的なオブジェが置いてあった。やることが粋だね。

博物館満載ゾーンからさらに南西に進んでいくと、「ベルリン国立歌劇場」がある。

フンボルト大学前から道路を挟んで反対側にベルリン国立歌劇場が見えてきた。まあ、どっちにしろ時間的に開いているような時間ではないのだが、ガイド本によると「2015年まで閉館」とあったので、現在やっているかどうか?は不明。

やはり、こちらの方の建物は、その造りがいちいち気合が入っているし、彫刻とかの完成度も高い。アジアとは違うなぁ〜と思う。こうゆうところが日本の女性とかが憧れる理由なんだろうなぁ〜とも思う。

ベルリン国立歌劇場からさらに南側に進んでいくと、ベルリンで一番美しい広場と言われるジャンダルメンマルクトが
ある。ここはなかなか面白い造りになっている。

ジャンダルメンマルクトに近づいてくると、2つのそっくりな建物が2つ見えてくる。ちなみに手前の建物が「フランス大聖堂」で、奥の建物が「ドイツ大聖堂」

この2つの大聖堂に挟まれた部分がジャンダルメンマルクトという広場で正面にあるのが、コンツェルトハウス。コンツェルトハウスとは「劇場」で、こちらはベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の本拠地。

このコンツェルトハウスに向かって右側にあるのがフランス大聖堂。

そして、コンツェルトハウスに向かって左側にあるのがドイツ大聖堂。フランス大聖堂とそっくりなので、同一人物の設計なのかと思いきや、違う人の設計だそう。第二次世界大戦にてフランス大聖堂もドイツ大聖堂も激しく損傷してしまったのだが、現在は修復された状態での公開となっている。

ベルリンの早朝散歩はどこもかしこも開いていないので中は見れないという欠点があるものの、早朝なので街に人がほとんどおらず、ゆっくりと鑑賞できるところが良い。基本的に外観のみの鑑賞になってしまうが、ベルリンにある建物のほとんどが外観だけでも十分満足できるような造りなので、外観だけでも満足できるような人にはオススメだ。

ということで、キエフ行きの飛行機の時間が近づいてきたのでホテルに戻る。

途中、地下鉄駅にあったキオスクでラップを購入、野菜たっぷりでカレー味に仕上がったラップは美味かった。

そして、ドイツと言えばプレッツェル。塩味が効いたプレッツェルは美味いのだが、パン好きの自分は「普通のパンの方がいいかなぁ〜」とも思ってしまう。

今回泊まった「ホテル・ベルリン」は空港の敷地にすぐ近く、しかも頭上が着陸態勢の飛行機の通り道のようで、頭上のすんごく近くに飛行機が通るので、飛行機好きにはたまらない場所かもしれない。

ということで、来た時と全く逆の手段で、128番のバスに乗り、ベルリン・テーゲル空港に戻ってきた。

ウクライナ航空はマイナーな路線なのか?LCC用のターミナルのような少し離れたターミナル(ターミナルC)から、ウクライナ航空に乗ってキエフに向かう。ターミナルから飛行機までは、またわらわらと歩いて搭乗。

さて、自分にとって未知の国でもあるウクライナ・キエフ。さて、どんな国なのか? Day9につづく・・・

To be continue・・・

ここまでとこれからの中欧旅
Day1・2 サラエボって本当はどんなとこなんだろう
Day3 国を二つに分ける境界って何?
Day4 自作 vs 本場のサバサンド 勝つのはどっち?!inトルコ
Day5・6 パムッカレは日帰りで十分だったぁ?
Day7 イスラエルの「黄金のドーム」がこんなところに!?
Day8 世界で一番美味いケバブはベルリンにあったぁ!?
Day9 あの騒乱があったウクライナの独立広場は今!?
Day10 ローカルバスで世界遺産へ行こう!
Day11 ヴィエリチカ岩塩抗ってどうやって行くの?
Day12 アウシュビッツで思うドイツ人と日本人の違いとは…?
Day13 最大の見どころワルシャワ旧市街は工事中だったぁ?

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