【ジョージア旅行記】Day7 スターリンって本当はどんな人?彼の故郷「ゴリ」へ行って確かめてみた!

以前、テレビか書籍だったか忘れたのだが、ジャーナリストの「池上彰」さんが言っていた。
ジョージア(グルジア)という国に「ゴリ」という街があって、その街はスターリンが生まれた地だった。
そこに「スターリン博物館」があって、そこにはかつてスターリンが移動の時に使った列車が置かれていると。

スターリンは非常に懐疑的な人間となってしまい、いつ誰が自分の命を狙っているかわからないと考えていた。
なので、飛行機は一切乗らず、長い距離でも移動は列車。
しかもその列車は完全防弾仕様になっていて、厚い鉄板で覆われた車両だと。

そんな情報を聞き、自分はその列車がどんなものなのか?そしてスターリンが生まれた「ゴリ」という街はどんなところなのか?を確かめに行きたくなったのだ。

ゴリは今いるトビリシから北西に位置していて、バスで1時間ぐらいのところにあるらしい。
というわけで、今日は1日かけてゴリに行ってみようと思う。

まずはホテル最寄の地下鉄駅「ラステーブリ駅」からスタート。
地下鉄駅は大きな「M」のマークが目印だ。

ゴリへ行くには先ほど書いたバスによる方法と、電車でも行けるらしい。

車酔いに弱い我々は、もし良い時間に電車があれば電車で行きたい。
電車は国鉄の「トビリシセントラル駅」から出ているそうなのだが、まずはそこに行ってみる。
トビリシセントラル駅へは、地下鉄のステーションスクエア駅で降りれば良い。

トビリシセントラル駅は結構古そうな感じの駅。
建物自体は立派。
まだ早い時間だったからかもしれないが、周辺は生活用品を売る小売店がたくさん並んでいたが、まだあまり開店しておらず、そして客もあまりおらず。

地下鉄の駅と国鉄の駅の位置関係はこんな感じ。繋がってはいないが、すぐ近くにある。

んで、駅の切符売り場でゴリ行き電車の時間を聞いたら、夕方しかないとのこと。
もちろん今日一日日帰りで行ってこようと思っている者にそれはありえないので、電車はあっさり却下。
というわけで、バスで行くことに決定。

バスはトビリシセントラル駅からさらに北にある「ディドベ駅」にあるバスターミナルから出るので、地下鉄でディドベ駅へ。

ディドベ駅を出たら、バスターミナル(バスと言ってもミニバンだけど)がある。
どれが「ゴリ」行きかよくわからず、うろうろしていると、妻がそこら辺のおじちゃんに「ゴリ」と言うと、おじちゃんが「ゴリ行きならあれだよ」と教えてくれた。
んで、我々が乗ったミニバンがこれ。

バス(ミニバン)は客がいっぱいにならないと出発しないタイプ。
んで、乗り込んで待っていると、フロントガラスがふと目に入り「なんか線がいっぱい入っているなぁ〜」と思ったら…。

バリバリに割れてんぢゃん!

まあ、海外ではこういったのもデフォルトだったりするんで、それほど驚きはしないけど…。

我々が乗ったミニバンがたくさん停まっているところから、さらに奥に行ったところには黄色いバスがたくさん並んでいた。
黄色いバスはトビリシの街中でたくさん走っていたので、多分これらは街中を走るバスで中長距離バスではないと思う。

実はゴリ行きの手段は事前に調査をしていた。
それによると、ゴリまでは3ラリとのことだった。
しかし、我々が乗ったバスは「5ラリだ」という。

まあ、騒ぎ立てるような金額でもないので、5ラリ払ったが、事前に下調べした乗り場の感じが違うなぁ〜とも思っていた。

んで、これはゴリから帰ってきて気づいたことなのだが、我々が下調べしたバス乗り場は違う場所だった。
正確に言うと、下調べしたバスは「ゴリ行き」のバス。
んで、我々が乗ったバスは「ゴリ行き」ではないが、ゴリも通過するバス。
最終的にどこ行きのバスだったのかはわからないが、終点までの料金を請求されたってわけ。
まあ、バスの運転手にしてみれば「途中で降りたって場所を取るんだから、みんなと同じ料金ね」って言う考えはわからんでもない。

ゴリに行くには、ディドベ駅の改札を出て右に進む。ちょっとだけ地下道みたいなところを歩いて外に出たら目の前にミニバンがたくさん停まっている。
我々はそのバスに乗ってしまったのだが、そのバスには乗らず、地下道を出て外に出たらすぐに右に曲がる。

そしてそのまま進む(北の方向で線路沿い)と、市場的な場所があるのでそこを超えてさらに進むと、その先にゴリ行きのバスが停まっている。

実際の見た目はこんな感じ。
地下道を抜けて外に出ると上写真のような風景が広がる。左手方向にミニバンが見えるがこのミニバンには乗らない。
右側を見ると下写真のような光景があるので、こちらの方向へ進む。

しばらく進むとこんな感じであまり活気のない市場があるので、そこをさらに進む。

んで、そのまま進めばこんな感じのチケットブースがあるので、そこで「ゴリ」と言えばチケットが買える。
ちなみにこちらで買えばチケットは事前情報通り3ラリだった。

ミニバスのフロントガラスにはこんな感じでジョージア文字が書かれている。
これが「ゴリ」と読むらしいので、参考にしてくだされ。

というわけで、結局ゴリ行きではないが、ゴリにも寄るバスでトビリシからゴリへ移動。
乗車時間は1時間ぐらいだったような気が…。(記憶が曖昧でごめんなさい)

トビリシは首都なので、結構都会なのだが、トビリシを抜けるとすぐにこんな感じの乾いた荒野が広がる。

ゴリで降りる乗客は我々だけだったようで、ゴリにはスターリン博物館ぐらいしか観光地が無いので、言っても無いのに強制的にスターリン博物館の前(正確には裏手)で降ろされた。

乗ってないのでわからないが、ひょっとするとゴリ行きのミニバンだったら問答無用でゴリのセントラルバスステーションで降ろされるかもしれない。
スターリン博物館とセントラルバスステーションの位置関係はこんな感じ。

博物館の裏手でバスを降ろされたのだが、そこにはスーパーマーケットらしき店があった。
その店のガラスにはスターリンの写真が…。
ちょっと期待が高まる。

博物館の裏手からぐるっと回って、これまた裏口っぽい入り口から博物館に入る。

上の写真でちょっと分かりにくいが、後ろの大きな建物が博物館の本館。
んで、色が同じなのでさっぱりわからないとは思うが、手間のちょっと小さめの建物がスターリンの生家(とそれを覆う屋根)。

外には早速スターリンの像がお出迎えしてくれる。

さて、事前情報ではガイドも無く、説明もロシア語ばかりなので、さっぱりわからないということだったのだが、博物館の中に入ってチケットを買うと「あと5分ぐらいで英語ツアーが始まるから、そこで待ってて」と聞いてもいないのにチケット売り場のおばちゃんが言ってきた。
どうやら良い時間に来たようだ。

一日に何回やるのか不明だが、英語の無料ガイドツアーが開催されている模様。
余計な情報だが、我々が行った時のガイドは女性のガイドだったのだが、日本人が想像する「いかにもロシア人!」って感じの、超無表情のクールすぎるガイドだった。

ガイドは一通り説明してくれるのだが、我々のうっす〜い英語力では、全ては理解できず。
んで、ガイド終了後も自由に見学できるので、ガイドの解説が理解できなくても心配は無用だ。

博物館の中はこんな感じ。
何部屋かに分かれている構造で、それぞれの部屋で大体スターリンの青年期・権力掌握初期・最盛期・世界大戦時・そして死ぬ直前といった感じで時代分けされている。

若き日のスターリンの姿はこんな感じ。

こういった絵を見ると、我々が知っているスターリンの像からは予想できないほど、青年期はイケメンだったんぢゃ無いか?と思う。

若い頃のスターリンは仲間と一緒に革命活動をする社会運動家だったようだ。
これらはその当時の仲間とか師匠とか。
下写真の左上にはレーニンの姿も確認できる。

彼は青年期の社会活動時代にはこのような機関紙の発行もしていたそうだ。

しかし、こういった活動は国家権力とかに目をつけられやすいので、バレないようにこんな感じの地下深くに印刷所を作って作成していたらしい。

実際のソビエト革命を達成したのは「レーニン」。
スターリンはレーニンの後がまとして頭角を表した人物なので、レーニンと一緒に写る写真や絵などが飾られていた。

レーニンの後がまとして権力を掌握し始めた頃の姿。
写真が小さくて分かりにくいが「国民のために活動してますっ!」というのを強調したような写真が多い。
おそらくそういったイメージを国民に植え付けるためのプロパガンダ画像では無いか?と思う。

権力を掌握し始めた頃の画像は、こんな感じで国民から慕われているような画像も多い。

中国の「毛沢東語録」のような「レーニン語録」の本が、各言語に翻訳されて並べられていた。

そのうち第二次世界大戦に巻き込まれる。

まあ、この辺はソ連も「被害者」的なところはあるのかもしれないが…。

スターリンは異常な程、他人に懐疑的だったことは有名だが、自分の身内に対しても懐疑的だったらしい。
中央上の人物はスターリンの息子。
彼も父親の懐疑的な性格で命を落としている。
左下の女性は最初の妻だったかな?

これは晩年近くのスターリンの姿。

晩年近くは顔に異常をきたしていたため、あまり写真などを撮らせなかったらしい。

そして死後の姿の絵。

死後の内容を展示した部屋の中央には、スターリンのデスマスクが展示されている。
あまり近くまでは近寄れないようになっている。

スターリンの行って来た行為に対しては賛否両論あることは周知の事実だとは思われる。

彼の死後、遺体は当初レーニン廟に並べて安置されていたが、しばらくしてからのスターリンの評価により、現在では赤の広場の別の場所に安置されている。

博物館の中には「お〜!その写真、教科書とかで見たことがあるよ〜!」と思わずいってしまいそうな写真もたくさんある。

スターリンの死後の展示をした部屋の次の部屋には、各国からスターリン宛に送られた品物の展示がある。
主にソ連を形成していた国や、中国などの当時思想を同じくしていた国からの贈答品。

メインの展示室から少し離れた階段脇の部屋には執務室を再現した展示もあった。

そして、スターリンが着ていたと思われる服なども展示。

さて、博物館本館の説明が一通り終わると、本館から外に出て、本館前にあるスターリンの生家の説明が。

スターリンはここ「ゴリ」で生まれた。
ゴリに住んでいた期間はあまり長く無いらしいのだが、その生家が今でも大事に保存されている。
生家自体はしょぼくれたボロくて小さな建物。
保存をしっかりするために、現在では一回り大きな建物で、生家自体を守っている。

そして、博物館本館の横に置かれているのが、スターリンが移動の際に使っていたと言われている貨車。
自分が一番見たかったものだ。
こんな感じの緑色の貨車で一両だけ置かれている。
おそらくスターリン専用の貨車だったんだと思われる。

中に入ることもできる。

車両の端が通路となっていて、通路から各部屋にアクセスできるような構造になっている。
ここら辺は現在のロシアの寝台特急と同じ造り。

スターリン専用の部屋(左写真)や、バスタブ付きの風呂の部屋(右写真)なんかもある。

一番奥には会議室があって、その他には専属のコックが作るんであろうキッチンも完備。
列車版の「エアフォースワン」っていったところだろうか。

さて、実際に見てみたかった列車の感想だが、実際に見ると、普通にガラス窓だったり、それほど頑丈とは考えいにく外装だった。
まあ、実際の鉄板の厚さとかはわからんが、感じ的に…。

あまりにも期待しすぎたのがいけなかったのかもしれないが、それほど頑丈には見えず、ごくごく普通の貨車にしか見えなかったのが若干残念。

さて、予想外のガイドにより多少スターリンについて知識が深まった博物館見学は、満足できるものだった。

このままトビリシに戻っても良いが、多少時間があったので「ゴリ城」という城跡に行ってみることに…。

スターリン博物館からは歩いていけちゃう距離。

ゴリ城は小高い丘の上にあって、遠くから見るとなんとなく城壁らしきものがある。
石畳の道を登っていくと、中に入ることができる。

さすがに小高い丘にあるので見晴らしは良い。
小さなゴリの街が一望できる。

しかし、敷地内(城壁内)にはな〜んも無い。
何かの足跡を示す物もほとんど無いので、我々のように基礎知識を何も持たずに来てしまうと、ただの展望台に登っただけ状態となってしまう。

というわけで、ゴリ城からの景色を楽しんだだけになってしまったが、トビリシに戻るためにセントラルバスステーションに歩いて行く。

ゴリのバスステーションの前にはこんな感じの奇抜なデザインの建物があるので、この建物を目指せば良い。

バスターミナルと言っても、だだっ広い駐車場にミニバンがたくさん停まっているだけなので、バスターミナルなのか、ただの駐車場なのかわかりにくい。

ただ、ジョージアではバスステーションと市場はセットのようだ。

バスステーションの入り口にこんな感じのチケットブースがあるので、ここでトビリシ行きのチケットを買う。
もちろん帰りも3ラリで買える。

ゴリ行きのバスにはジョージア文字しか書かれていなかったが、トビリシ行きのミニバンのフロントにはジョージア文字だけでなく「TBILISI」と英語でも書かれているので、心配は無用。

ただし、こちらも当然のように満員にならないと出発しないパターン。
我々は最後の方だったらしく、空いてる席に座ると、夫婦2人がバラバラに座らなければならない状態だった。

そんなこんなで、ゴリの観光はこれにて終了。
明日は、この旅3カ国目となる「ウクライナ」の首都「キエフ」に向けて移動ですよ。
次の旅行記も乞うご期待!

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