【ウクライナ旅行記】Day9 チェルノブイリの現状はどうなっているのか?を見に行ってみた!

本当は「愛のトンネル」に行こうと思っていた。

ウクライナには「愛のトンネル」というそれはもうフォトジェニックな場所があるのだが、首都のキエフからは若干遠い位置にある。
とはいえ、どうやっていくのかなぁ〜と色々と調べて、妻にも相談してみたところ、「でも行く時期は冬だからねぇ〜」という一言が。
冬なので、ネットで出ているような写真のように果たして見えるのだろうか?という点に疑問を持ったのだ。まあ、冬の写真もいくつかあったのだが、少ないことは確か。

そんなこんなで、二人で色々と相談していると「チェルノブイリツアー」というものを見つけた。
日本人も結構行っていたりするようで、ツアーバスに乗っかっていれば、事故を起こした原発のすぐ近くまで行けるそうだ。

「まあ、妻は興味ないだろうなぁ〜」と思っていたら「それ、行きたい!」と意外な答えが。
自分も「行けるもんなら行ってみたいし、二人の意見が合ったので行ってみよう!」ということで、ツアーに乗っかることに。

チェルノブイリに行けるツアーを催行している現地のツアー会社はいくつかあるようだが、我々は「SoloEast travel( https://www.tourkiev.com/ ) 」という会社のツアーで申し込んでみた。
「SoloEast travel」のホームページはこんな感じになっていて、一番下の方にカレンダーがあり、そこで目的の日に催行しているかどうか?がわかる。目的の日にやっていれば、そこをクリックして申し込む。
ツアー自体の申し込みは、普通に英語で進められるし、特に解説が必要なほどの難しさは全くない。

ちなみにこのツアーの申し込みは、ネットで申し込んだ段階でツアー代の一部を支払い、残りの代金は当日現金で支払う。
もちろん、事前にネットで全額を払ってしまうこともOK

ツアーは、キエフの自由広場付近の北側が集合場所。

地図で言ったらこんな感じの場所。
自由広場北側にあるマクドナルドを目指せば良い。

ツアー自体はこんな感じのバンで行く。
プライベートツアーもあるが、我々はグループツアー。
8人か9人ぐらいの客がいて、補助席を使わずバンは満員といった感じ。
これにドライバーとガイドが付く。

まあ、チェルノブイリに行くツアーの専用車なので、バンの外側には放射線を想像させるマークやら、若干ブラックな表現の女の子の写真なんかが描かれている。

さて、チェルノブイリと言ったら「ソ連」を思い浮かべると思う。

現在はソビエト連邦は崩壊してしまっているので、現在の国の位置関係で言えば、ウクライナに存在する。ウクライナの首都キエフからチェルノブイリは北側にあり、現在のベラルーシ国境に近い場所にある街だ。

そんなこんなで、バンにひたすら乗り、チェルノブイリの街を目指す。

途中、ガイドがいろんなことを説明してくれたり、車内のテレビで解説するビデオを見たりする。
まあ、毎度のことなのだが、こういう時にはいつも「もっと英語をちゃんと勉強しておけば…」と思う。

あれだけ大きな事故を起こしたチェルノブイリ原発だけあって、おいそれとは簡単に近づくことはできない。
チェルノブイリ周辺の土地はかなり広い範囲で立ち入り制限されている。
ツアーと言えどもその辺は同じで、規制エリア内に入るには、境界のゲートでセキュリティーチェックがある。
と言っても身体検査を受けるようなセキュリティーチェックではなく、制限区域に入った人がその後確実にエリア外に出たかどうか?を確認するセキュリティーのように思える。
要は名簿の確認だ。

制限エリアの境界はこんな感じで、この先にゲートがある。
「ゲートの写真は撮っちゃダメだから〜」とガイドに言われているので、この先の写真は撮れない。

ゲート付近には当時の汚染状況なんかを示しているんだろうと思われる立看板があったりする。

制限エリアはかなり広いので、ゲートを越えてもすぐに原発というわけではない。
森の中の一本道をかなりの距離走らなければならない。

チェルノブイリの街のちょっと手前でツアーのバンは止まる。

どうやら観光ポイントのようだ。
ちょっとした森の中へツアーのメンバーがぞろぞろと入って行く。
獣道(けものみち)みたいな道の横には今にも崩れそうな建物があったりして、中を見学する。

中に入ってみるとこんな感じで完全に廃墟。
ちなみに、この後こんな感じの写真が続きますので、しばし我慢してお付き合いください。

この建物からさらに奥に行ったところには公民館らしき建物もある。
建物の内部はいかにも公民館のような作りなのだが、中は当たり前のように廃墟。

さて、ここは先ほども書いたように制限エリア内。
放射線量はかなり高いのか?と思ったが、数値的にはキエフの街とほぼ変わらず、

ちなみにこのガイガーカウンターはツアーの申し込み時にネットでオプションとして選択できる。
10ドルぐらい余計にかかってしまうので、我々は1台だけ借りた。
正直に言おう。このガイガーカウンター、借りなくても全然OK。
線量が高い場所なんかはガイドが見せてくれたりする。
これで10ドルは地味に高い。

さて、先ほどの建物から車でほんの数分(1〜2分)の所には「チェルノブイリ」のサインがある。

チェルノブイリのサインがこれ。

実は「チェルノブイリ原発」と言うが、実際に原発がある場所と「チェルノブイリ」と言う街は少し離れている。
現在のチェルノブイリの街には原発の事故処理に関係した仕事をする人たちが住み込んでいる街になっている。
なので、原発と関係ない一般市民は基本的にここに住めない。

このチェルノブイリのサインはチェルノブイリの街の入り口にあるんだと思われる。

さて、そんなチェルノブイリのサインからさらに奥へ少し行ったところにオブジェなんかがあるので行ってみる。

このオブジェが何を示しているのか?ガイドが解説していたかもしれないのだが、自分のうっす〜い英語力ではよくわからず。

ソ連を形成していた国にならどこにでもあるレーニン像はここにもあった。

仕事でこの街にいるとしても、やはり生活の中で心の拠り所となる場所は必要だ。
そんな場所として教会があるようなので、ツアーはそこにも寄る。

チェルノブイリにある教会は結構立派。中も見ることができたがちゃんとした教会で荘厳な感じの空気が流れていた。確か内部は写真を撮っちゃダメと言われた気がする。

さて、ツアーはここらでお昼休憩となる。
おそらくツアー会社と契約しているんだろうと思われる宿の食堂で食事を摂る。

食事の内容は特に豪勢な感じでもなく、ごくごく普通に質素な「スープ」「イモ」「肉」と言う組み合わせ。
肉はただただポークを焼いたものだったのだが、このポークは結構美味かった。

1時間ぐらいのお昼ご飯休憩後は原発方向に移動する。
まずはチェルノブイリの街の中にある別のモニュメントへ。

原発の事故当時に消火にあたった消防士を讃えるモニュメント。

このモニュメントは、今思えばこのツアーで見たモニュメントの中で一番素晴らしいと、自分は思っているのだが、何故かこのモニュメントだけ車から降りずに「車内から見ろ」的な扱いだった。

その先には、事故当時に使われた重機類が置かれている場所があるのでそこへ移動。

事故処理に使われていたんだろう重機類が屋外に展示されているのだが、多分レプリカっぽい感じがすごいする。これを見るならさっきのモニュメントをじっくり見させて欲しかったと言う感が否めない。

さて、チェルノブイリの街からチェルノブイリ原発まで行く途中にまたもや寄り道。
続いては「Duga-3」と言う施設に移動する。

Duga-3とはこんな感じのなんだかよくわからない建物。
高圧電線用の鉄柱をものすごい近い間隔で並べたような感じだ。

んで、これの正体はレーダー。
敵国(ソ連にとってはアメリカ)の弾道ミサイルなんかを察知するために作られた。
現在は人工衛星なんかがあるので、こんなでっかい建物を建てなくてもいい。

現在はこんなお気楽なツアーでも訪れでしまうような場所だが、実際に使われていた当時(ソ連時代)はこの存在自体極秘だったそうだ。

このアンテナの隣には学校みたいな大きさの建物がありその中も入る。

これはこのアンテナを操作するための操作施設のようなものだったそうだ。
それと同時にそのアンテナを操作するための授業なんかを行う学校的な部分もあり、我々が入った部屋には、多分講義とかで使われたのであろう教材や資料なんかが転がっていた。

さてDuga-3の見学を終えるといよいよ本丸となるチェルノブイリ原発4号機を見に行くために移動。

途中、保育所の施設だったと言う建物も寄る。当然のことながらここも廃墟。

保育所だったので子供のための人形なんかも放置されているが、それがなんだかすごく恐く感じる。

この保育所の入り口付近に線量の高いホットスポットがあり、このツアーの中で一番高い数字を叩き出していた。

チェルノブイリ原発に近づいてくると、遠くに5号機と6号機の建物が見えてくる。
5号機と6号機は当時建設中で、事故が起こったために最終的に使われることはなかった。

そして別の方向には新しそうなドーム型の建物が見える。これが事故を起こした4号機。

各号機の位置関係はこんな感じ。事故を起こした4号機は一番奥の方にある。

ここではチェルノブイリの事故の詳細については書かないが、以前ウクライナに行った時の旅行記
http://hornets.homeunix.org/2015/05/post-3880/ )に書いているので、興味のある方は是非読んでみてくだされ。

事故を起こした4号機は事故後時間をかけて建物自体を覆う「石棺」が作られた。
しかしながらその石棺も老朽化が進み、さらにそれを覆うシェルターが必要となった。

我々が訪れる直前までそのシェルターは4号機の隣で作られていて、完成後シェルターを移動して4号機を覆った。

と言うわけで、数日前だったらまた違う光景だったんだろうけど、現在はかなり近代的な建物で覆われており、原発事故の悲惨さを伝えるような光景は全く見られない。
なんだか普通の工場の建屋を見ているようだ。

周辺の土壌は除染処理が行われているし、事故を起こした4号機の建屋はシェルターで覆われているので、ガウガーカウンターの数値も全然高くない。

4号機のすぐ近くには当たり前のように記念碑も建つ。
ロシア人は記念碑好きだなぁ〜と思う。
こんなの建ててる暇あったら、事故処理しろよと思うのは俺だけかな?

個人的に「チェルノブイリツアー」=「事故を起こした4号機を見る」という感覚でいたので、もっと見れるところは詳しく見たかったのだが、ツアーは案外あっさりと次の場所へ移動してしまう。

続いて向かうは「プリピャチの街」

プリピャチの街は原発と共に作られた街で、要は「原発が作られるので、そこに従事する人々やその家族が住める街を作った」という感じだ。

街の入り口にはこんな立派な看板的なモニュメントが建っていて、キリル文字で「プリピャチ」と書かれている。

プリピャチの街には現在人は住んでいないのだが、それでも街に入るには検問所があって、そこを通過しなければならい。
とはいえ、この検問所も入った人数の確認ぐらいなものだ。

まずは湖畔にあるカフェだった建物へ。

正直なことを言えば、このツアーはほとんど「廃墟を見る」ツアーだ。
そんなマニアなポイントにあまり興味が無いので、行くとこ行くとこ廃墟ばかりで、すでに廃墟を見るのは飽きていたが、まあ、ここも廃墟。

面白半分で廃墟を見るわけではなく「原発って事故を起こすとどうなるのか?」ということを実際に見ることが目的。
結果的に、一度大きな事故を起こしてしまうと、原発そのもののみならず、広範囲のものがすべて廃墟になってしまうと言うのが結論なのかもしれない。

これは大きな原発事故を経験している我々日本人も、これからの原発稼働の問題も含めてよく考えるべき内容なんだと思う。

カフェ跡から続いて向かうは公民館跡と遊園地跡

まずは道路から見える所にある公民館跡。

こちらも中は悲惨な状況。肖像画みたいなものがあるのもちょっと恐い。

公民館跡からさらに奥に行った所には遊園地だった場所がある。
小さな目の遊園地なのだが、観覧車なんかもある。

この遊園地は事故の直前に完成した。しかし、オープンの日より前に事故が起こってしまったため、この遊園地は結局使われることはなく、こんな状態になってしまった。

遊園地跡からはさらに西の方向に行った警察署跡へ行く。

どの廃墟を見ても、完全に廃墟になっているだけで、面影が無いので特徴が無く、最後には完全に飽きていた。

そんなこんなでツアーは終了。
プリピャチの街からキエフへ戻る。
その前にチェルノブイリの街のちょっと手前にある線量測定所へ立ち寄る。

帰る途中にも事故を起こした4号機の横かすめていく。

そんなこんなで線量測定所に到着。

おそらく管理区域を出るときには測定しなければならないのだと思われる。
機械の中に体を入れ、両手でスイッチっぽい所に手を置くと測定される。

しかしなら「これって、ちゃんと測れてる?」と不思議に思うような感じ。
実は形だけなんぢゃね?と言う感じが否めない。係員っぽい人もいないし、我々だけで測っているだけだし…。

そんなこんなで、チェルノブイリからキエフの街に戻ってきた。
ツアーは集合場所と同じ独立広場付近で解散。

日はもうすっかり落ちてしまっているので、あとは夕飯食べてホテルに帰るだけ。
というわけで、独立広場からてくてく歩いてヴァレーニチナヤ・カチューシャという大衆レストランへ向かう。

年はあけたと言っても、ウクライナもクリスマスは1月7日なので、キエフの街はクリスマスムードが漂っている。

ヴァレーニチナヤ・カチューシャは日本で言う「ファミレス」と言った感じのレストラン。
気軽に入れる感じの雰囲気で、しかもメニューはこんな感じの写真付きなので、文字が読めない我々のような観光客にとってはすごくありがたいお店だ。

パンの中にマヨネーズで味付けされたサラダとニシンのマリネ的な物を注文。
どちらも美味い。

そして当たり前のようにボルシチ。
ボルシチは現地では日本でいう「味噌汁」的なポジション。

そしてこのレストランではペリメニ(水餃子的なもの)の種類もかなり豊富だった。
味は普通に美味い。

そして「サバ」のメニューがあったので頼んでみたのがこれ。

サバと野菜をオーブンで焼いた料理で、日本ではあまりこういった感じの調理方法はしないなぁ〜という感じ。味噌煮とか照り焼きといった料理に慣れてしまっている我々のような日本人には少し味が薄くあまり美味しく無いなぁ〜と感じた。

しかしながらサバや野菜の味を生かした料理とも言えるんぢゃ無いか?とも思う。

さて、明日はキエフの街をもう少し探検してみようかと思いますよ。

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