【イラン旅行記】Day3 「世界の半分」と言われていたイスファハーンの広場は本当に「世界の半分」なのか?

さて旅は3日目に突入。
と言ってもまだほとんど観光はできておらず、今日からが本番といったところ。

そんな感じなのに、本日はこのイラン旅のメインとも言える、イスファハーンのエマーム広場へ朝から向かう。
かつて「世界の半分」と言われたエマーム広場は、政治・経済・信仰の場をここ一ヶ所に集めようとした場所なのだ。

街にはたまにこんな感じの看板を見かける。
ペルシャ語が読めないので、細かくはわからないが、多分英語に関する看板だと予想できる。

「反米」というイメージが先行するイランだが、現地の人は意外と英語を喋りたいと思っているのか?

そんなこんなで、エマーム広場へ到着。
まあ、アクセスした方向にもよると思うのだが、自分は西側の入り口からいきなり広場の中心にアクセス。

イスファハーンの街はちょっとゴミゴミしているのだが、そんな中、エマーム広場に入るといきなり広〜い広場が現れて、思わず「お〜!」と声を出しそうになる。

確かにかつて「世界の半分」と言われただけの感じはある。

広場をぐるっと取り囲むように並ぶイラン国旗。
「あ〜、イランに来たんだなぁ〜」と実感する瞬間だ。

そんなエマーム広場の一番南側にある「マスジャデ・エマーム」へ、最初に向かってみることにする。

マスジャデ・エマームの入り口には立派なエイヴァーンがそびえ立つ。

マスジャデ・エマームの見学にはお金が必要。
入り口横の小さな窓口でチケットを買う。

まあ、こういった観光地では当たり前なのかもしれないが、地元民と外国人ではチケットの料金が違う。
ちなみに地元民は約100円。外国人は約600円とかなりの違い。
やらしいのは、それだけ値段が違うのがそうやすやすとわかってしまうと、外国人の不満が募ってしまう。
ということで、外国人がペルシャ語読めないのをいいことに、地元民の料金はペルシャ語(ペルシャ数字)での表記。
そして、外国人向けの料金は英語表記なのだ。
ずるいぞ! イラン人!。

今後、この「入場料の高さ」がこの旅を苦しめることになる。

入場料の違いに不満が募りつつも、とりあえずマスジャデ・エマームを見学する。

マズジャデ・エマームは、アッバース1世の命令で作られたものなのだが、完成には26年もの歳月がかかっているかなりの大作。

入り口のエイヴァーンだけでも5年もの歳月をかけて作られたそうだ。
まあ、そんな長い歳月がかかったのも納得な、イスラム教独特の美しい模様で埋め尽くされている。

そんなエイヴァーンから中に入り、短いが暗い回廊を抜けると…

ど〜ん!と中央礼拝堂が現れる。
もう「立派」との一言に尽きる。

当たり前だが、こちらの建物もびっしりとイスラム独特の模様で埋め尽くされている。
かなり綺麗。

イスラム教は偶像崇拝を禁止しているので、中に入っても「仏像」みたいなものは何もなく、ただの空間でしかない。(厳密に言えば、偶像崇拝についての考え方はイランのような「シーア派」と他の国の「スンニ派」とでは若干違う。イランでは偶像崇拝に対しての考えは若干緩い)

しかしながら、それだけでは荘厳な空気が醸し出せないからか?とにかく、壁や天井をなんとも言えない幾何学模様で飾るのだ。

当然上を見上げると、天井の模様も吸い込まれそうな感じだ。

「頑張らない」風土の土地などでは、「外観だけ立派」という観光ポイントも少なくはないのだが、さすがに信仰の場として力を入れた場所だけあって、イランであっても内部に手抜きは無く美しい。

この礼拝堂はかなりの大きさなのだが、写真にかすかに写る人の大きさと比べてみても、建物の大きさは容易にわかるだろう。

壁面を覆った幾何学模様のタイルだけでは無く、建物の造り自体も美しい。
アジアでもヨーロッパでもない中東的なデザインが独特(イランは中東ぢゃなく、正確には「西アジア」なのかもしれないが…)

さて続いては広場東側中央付近にある「マスジャデ・シェイフ・ロトゥフォッラー」へ。

広場はかなり広いので、広場内をぐるっと一周移動できる馬車のサービスもあって、特に子供連れの家族なんかがよく利用していた。

マスジャデ・シェイフ・ロトゥフォッラーの外観はこんな感じ。
こちらもモスクだ。

先ほどのマスジャデ・エマームほどの大きさはないが、こちらも入り口が綺麗。

さてさて、中に入ってみると、普通こういったモスクは「青」が基調となっているのだが、こちらはもちろん「青」も使われているのだが、時に天井なんかは「オレンジ」が基調となっている感じがあって美しい。

完成までに17年を要したというだけあってその出来はかなりのもの。

もともとこのモスクは一般市民のためでは無く王族のためとして建築されたために、敷地全体はそれほど広くはない。
王族専用として作られたために、装飾なんかも手が抜けなかったんだろうと勝手に予想する。

個人的な予想だが、今のイラン人って日本人みたいにアホほど頑張って仕事をしよう!というタイプには見えない。
どちらかと言えば「まあ、仕事は必要だけど、家族と時間を共にすることの方が大事だよね〜」という感じがする。
そんな国民性があるから、完成までに平気で何十年もかかってるんぢゃないか?と思う。
なんとなく「いついつまでにこれを仕上げなければならない!」なんて気持ちも無さそうだし。
とにかく「最終的に最高のものができればいいんでしょ」という感じだ。

個人的にはそんな考えも好き。

そんなモスクには当たり前のようにメッカの方向を示すミフラーブがあるが、まあイスラム教でないヨーロッパ人にとっては単なる記念撮影の場所だよね。

こういう建物の綺麗なタイルって、遠くから見ると綺麗なのだが、近くで見ると意外と汚かったりするのが普通。
まあ時が経っているというのもあるかもしれないのだが、ウズベキスタンで見たモスクや神学校なんかのタイルは近くで見ると「意外といい加減なんだなぁ〜」という感想を持った記憶がある。

しかしながら、このモスクのタイルはそんなことはなく、タイルのつなぎ目の模様なんかはちゃんと合っているし、剥がれているタイルなんかも皆無。
王族向けだったということや、日々のメンテナンスなんかもしっかりしているんぢゃないか?という勝手な想像。

天井を真下から撮って見る。
もう吸い込まれそうな見事な模様だ。

入り口付近から地下へ降りられるようだったので地下室へ降りてみる。
こちらも青が基調だが、モスク内部の青とはまた違った感じ。

「歩き方」には「地下道や地下室の見学はできない」とあったのだが、普通に入れてしまった地下の空間。
おそらく王族の妻たちが礼拝をした地下の空間だと思われる。

さて、続いては、マスジャデ・シェイフ・ロトゥフォッラーと広場を挟んで反対側にある「アーリー・ガープー宮殿」へ行ってみる。

アーリー・ガープー宮殿の外観はこんな感じ。
上の部分は展望台なバルコニーになっていて登ることができる。

そんなこんなで、まずはバルコニーに行ってみるのだが、バルコニーに登る階段も見どころの一つ。
こんな感じでとても綺麗なタイルが貼られているのだ。

こんな美しいタイルをガンガン踏んでしまっていいものか?とちょっと躊躇するぐらい。
足で踏むところだけではなく、階段を構成する垂直面もちゃんとタイルで飾られている。

んで、バルコニーまで上がってみると…

が〜ん! 「こんなにぃ〜!」ってぐらいの観光客であふれていた。
まあ、観光シーズンだからしょうがないけど…。

バルコニーからはエマーム広場が一望できる。
あまりに広いので、一枚の写真で収めることができない。
来る前の勝手な自分の想像とは異なり、綺麗なイランの姿が見られる風景。

さてさて、これは余談になってしまうが、かつて「世界の半分」と言われたこのエマーム広場は、本当に「世界の半分なのか?」という点について、自分の感想から述べてみたいと思う。

結局のところ「世界の半分ではない!」と言い切ってしまおう。

もしこれが世界の半分だとしたら、どれほど世界は小さいかと思わずツッコんでしまいたくなる。
ただ、そうは言っても、もし自分がこのエマーム広場の造成に携わっていたら…と想像すると、きっと「これは世界の半分だ!」と言ってしまうと思う。

実際にこの造成に加わっていなくとも、確かにここは素晴らしい場所だと思うし、来てみると、今でもその意気込みがすごく感じられる場所だ。
実際には世界の半分ではなかったとしても「そうしたかった」という当時の人たちの気持ちは十分に伝わって来た。

なので、自分としては「世界の半分」を完全否定するつもりは無く、多少認めたい気持ちだ。

バルコニーの正面には先ほど見た王族専用のモスク「マスジャデ・シェイフ・ロトゥフォッラー」がある。

確かにこじんまりとはしているが、綺麗なモスクだなぁ〜と思う。

アーリー・ガープー宮殿の見どころはバルコニーだけではない。

バルコニーには「ペルシア美人の絵」もある。
確かに美しいが、実際に街を歩いている地元のペルシア人女性と比べると、どちらかと言えば「中国寄り」な感じの画風が出ていて、個人的には「実際のペルシア人女性とは違うなぁ〜」というのが正直な感想。
実際のペルシア人方が綺麗に見えるのは、自分がアジア人だからだろうか?

ペルシア美人の絵からさらに奥に進むと、階段があって、そこから最上階の音楽堂に出ることができる。
ちなみに簡単に「階段を登る」と書いただが、実はこの階段が結構大変で、すごく息が切れるので注意が必要。

さて、そんなことはともかく、音楽堂はそれほど広い空間ではないのだが、特徴的なのは壁や天井。
とても特徴的な形をしていて目を奪われる。

この独特な形は、演奏の際に余分な音を効果的に吸収して、美しい演奏を楽しむために計算されたものだと言われているらしい。
よくよくみると、くぼみの形なんかは楽器の形をしているのかなぁ〜と思う。

さて、改めてエマーム広場へ出てみる。
一番広く、そしてわかりやすく広場が撮れるような場所で写真を撮ってみても、その広さはなかなか伝わらないわ。

やはり、興味のある方は直接行ってその広さを実感して見てくだされ。

広場の一番北側にあるのがゲイサリーイェ門だ。

ゲイサリーイェ門はこんな感じで何の変哲もない門なのだが、この門を抜けて奥に行くと、下写真のようなバザールがかなり奥まで続いている。

エマーム広場をぐるっと取り囲むようにバザールが立ち並んでいる(黄色で囲ったところ)

中東独特(イランは中東ではないと思うが)な光景なのかもしれないが、バザールにもたくさんの種類の香水を売る店があったりする。
中東の人たちは日本人があまり持っていない汗腺を持っている人がほとんどで、香水などが重宝される。

バザールをぶらぶら歩いていたら、ちょっと混み合ったスイーツの店があったので寄ってみることに。

んで、そうめんのような不思議なスイーツがあったので買ってみることに。
どうやらこのスイーツはアイスと一緒に食べるのが普通のようだ。

実際に食べてみると、ちょっと不思議な食感で硬さも感じられるようなスイーツ。
味はちょっとミントがかった感じもあるが、あまり味は無く「アイスと一緒に食べる」というのが若干納得できる。
本当ことを言おう。個人的にはあまり好きではない。
多分次は買わないと思う。

でもこれを食べている地元の人は多く、他のスイーツ店でもたまに見かけるので、こちらの人の好みには合っているんぢゃないか?と思う。

さてこのバザールをぐるっと回ってみる。
さすがにイランらしいお土産もあってなかなか楽しい。

普通こういったバザールって、売っているジャンルによってある程度エリアが分けられている場合が多いが、このエマーム広場を取り囲むバザールは特に売る物とエリアは関係なさそう。

もちろん我々が想像する通り、ペルシャ絨毯の店もたくさんある。
しかし、ちょっと驚きなのが、想像したよりも押しが強くない。
別に商品を見ていたところで「買ってきなよ」とか、バザールを歩いていて「うちの絨毯を見てってよ」という声もあまりかからない。
たまに「絨毯があるよ」と声がかかっても「要らない」と言えば、普通に去って行く。

これは全くの個人的見解だが、イラン人はペルシャ絨毯に誇りを持っているんだと思う。
なので、他の国(例えばトルコとか)と違って「観光客からお金をふんだくるための道具」なんてことは考えていないんぢゃないか?と思う。
本当に必要な人に必要なものを適正な価格で売りたいという感じがした。

バザール内部はこんな感じ。通路の両側にずらっとお店が並び、その通路がずっと続く。

スパイスなんかも売られていて、「地層」のようにディスプレイされている。
でもこれぢゃあ、いろんな種類のスパイスが混ざっちゃうんぢゃないか?

「歩き方」にも書いてあるが、広場南東側のバザールには「職人街」とあって、行ってみると薄い金属板に彫刻を施す飾り物を作っている店が結構あった。
その中の一軒の店に入って作業の様子を見せてもらった。

黙々と現地の人がノミみたいなのをカンカン叩いて綺麗な模様を作り出していた。

イランでは「チャイ(紅茶)」も多く飲まれている。
チャイと一緒に出てくるのがこんな感じの、棒に結晶化した砂糖。
イランだけではなく、ウズベキスタンとかでも見られるが、これで紅茶を混ぜながら好みの甘さにする。

しかしながら実際に使ってみると、さすがに最初は外側からは溶けて行くのだが、そのまま溶かして行くと中心の棒の部分から砂糖がごっそり落ちてしまったりする。
ということで、見た目は、自分の好みの甘さに細かく調節できて合理的に思えるのだが、実際に使ってみるとそうでも無く、失敗すると結局のところ単に激甘のチャイになってしまうので注意が必要。

スパイスだけではなく、ハーブ類も売られている。
お店は大体こんな感じ。 

ハーブ類やナッツ類スパイス類が結構豊富。
基本的に乾燥した土地なので、こう行ったものはどか〜んと置いてあっても湿気ってしまわない。
ということでディスプレイも派手。

モスクを青いタイルで飾る技術を利用してか?こんな感じのタイルを売る店もみられる。

イランでは外国人であっても、女性のは肌の露出をなるべく無くし、髪を隠さなければならない。
現地の人は「チャドル」と言って、全身を黒い布で覆う服を着ている人も多い(決して全員ではない)。
あのチャドルは既製品として売られているのか?と思っていたのだが、バザールではこんな感じで「生地」の状態で売られており、基本的に仕立てるようだ。

男性の自分には関係ないのだが、女性だったら良い機会なので、自分のチャドルを仕立ててみても良いのではないか?と思う。
お値段いくらかかるかわからないが…。

さて、ここからは歩いて金曜モスク「マスジャデ・ジャーメー」に行こうと思う。
その途中に「メナーレ・マスジャデアリー」と言うモスクがあるそうなので、ついでに寄ってみることに。

エマーム広場から北側に歩いて行くと、基本的にずっとバザールの中を歩いて行くことになる。
エマーム広場をぐるっと取り囲むバザールは基本的に観光客向けのバザールなのだが、エマーム広場北側に広がるバザールは、地元民向けの物品が多かったので、観光客向けではなさそう。

エマーム広場からは結構な距離を歩いてやっとメナーレ・マスジャデ・アリーに到着。

が、自分が行った時はモスクは開いておらず。
「歩き方」の解説によれば、モスクよりも右側に写っているミナーレの方が有名っぽい。
高い塔が、砂漠の中を歩いていた旅人たちの目印になったらしいのだ。

メナーレ・マスジャデアリーからさらに北東の方向に進んで行くと、突然エマーム広場のような広場が現れる。

この広場は「ギャーム広場」と言うらしい。
ギャーム広場はエマーム広場ほどではないのだが、かなり広い。

しかし、「歩き方」にも細かく解説が載っていないぐらいなので、観光客は皆無。
現地の人たちが少し居るぐらいだった。

広場を突っ切ってさらに進んで行くと、目的の金曜モスク「マスジャデ・ジャーメ」に到着する。

このモスクは世界遺産で、この地域における宗教的な立場としても意味があるモスクなのだが、バザールの中に突然入り口が現れるし、その存在意義からしたらかなり控えめな大きさの門なので、ぼーっと歩いていると見逃しそうになる。

中に入ると、さすがに世界遺産だけあって建物は立派だ。

先ほどまで、エマーム広場の絢爛豪華なモスクを見て来てしまったので、こちらのモスクはかなり地味に見える。
地味と言うよりかは「質実剛健」と言った方が正しいか…。

中に入ってもご覧の通り。
これ、通常のイランのモスクだったら全て青いタイルで埋め尽くされているハズだよね。

北西にあるエイヴァーンはこんな感じ。
エイヴァーンの横にはイランの最高指導者の写真が飾られていた。
この写真に写っているのは「ハーメネイー」氏。
確か反対側には「ホメイニー」氏の写真があった。

ちなみに、イランの「最高指導者」とは基本的に「イスラム法学者」と言われる人で、国民が選ぶ大統領よりも強い権限を持つ。
なので、最高指導者の考えがイラン国家の方針に影響を与えていると言っても過言ではない。

そんな北西にあるエイヴァーンは色彩の派手さには欠けるが、造りに手抜きはなく、こちらも素晴らしい。

この北西にあるエイヴァーンの奥には立派なメフラーブ(メッカの方角を示すくぼみ)があると言うので、行ってみた。

んで、そのメフラーブがこれ。
さすがに写真では色の派手さが無いので、面白みが無い感じだが、実際に見てみると、確かに彫刻が素晴らしいメフラーブだった。

このメフラーブの奥にはだだっ広い部屋がある。
これはどうやら冬用のお祈りの場所。

一面に絨毯が敷かれていてかなり圧倒される部屋だ。
個人的には「たくさん柱が邪魔ぢゃない?」と気になってしまうが…。

イスラム教って宗派が大まかに分けて2種類ある。
「シーア派」と「スンニ派」。
2つの宗派の違いは単に「血統を大事にするか?」と「教えを大事にするか?」の違いなのだが、現在でも宗派の違いにより、にらみ合いをしていたりする国も多い。

そんなイスラム教でイランは「シーア派」。
シーア派のお祈りではこんな感じの円柱状の石を使ってお祈りするのが特徴。
なので、モスクの中に入るとこんな感じでたくさんの石が置かれた台があったりする。

その他にはこんな感じの「柱ばっかりぢゃん!」と言う部屋もあったりする。

「歩き方」に紹介されている「セルジューク時代から残る碑文」とされる物。

この碑文の場所がよくわからず、その辺の人に聞きまくってしまったのだが、結果的に「えっ!そんなとこにあるの?」と言ってしまいそうな場所にあった。
「灯台下暗し」と言えそうな場所なので、行った際には是非探してみて。

さて、マスジャデ・ジャーメーからエマーム広場へ戻ろうとしたのだが、エマーム広場からここまで歩いてくるのはかなり疲れた。
また歩いて戻るのはしんどいので、ここはサクッとタクシーを使う。

イランの物価はそれほど高くないので旅はしやすいのだが、観光地の入場料とタクシーは別。
「この物価でこのタクシー代はないっしょ〜!」と言ってしまいそうになる料金なのだが、日本人である我々が払えない額ではない。
まあ、体力に応じて適宜使った方が良いのではないか?と思う。

さて、エマーム広場まで戻って来たのだが、全然食事をしておらずお腹が空いていた。

イランではレストランは少ないのだが、ファーストフードの店ならそこら中にある。
わざわざイランに来てまでファーストフードなんか食べたくないと思っていたのだが、こんだけファーストフードが発達した環境だったら、一度は食べてみた方がいいんぢゃない?と思って入ってみることに…。

エマーム広場東側にある「アートール・ファーストフード」と言うお店。
「歩き方」でも紹介されている。

店内は予想を完全に裏切り、かなり綺麗。
そして客もたくさん居た。
イランの人にとって、ファーストフードはかなり普通の食事になっているんぢゃないか?と思う。

「歩き方」で紹介されていたメニューを食べようと思って、レジカウンターで注文したら「それ今品切れ。これならあるよ」と違うものを紹介されたので「んぢゃ、それで」と、自分の意思とは関係なく流されやすい性格が思っきし出てしまった注文方法で、とりあえず注文。

レシートをもらって注文した品ができるのを待つのだが、まあ、レシートを見てもさっぱりわからないし、自分が呼ばれているのかも分からないので不安になる。

とはいえ、なんとか食事にありつける。

まあ、フライドチキンにポテトだよね。
別に不味くはないが、やはり予想した通り、イランに来てまで食べるものではないなぁ〜と言うのが正直な感想。

そういえば、この「アートール・ファーストフード」の近くに「Fereni Hafez」と言う店があって「フェレニ」と言うイランのスイーツが食べられる店があると言う情報をネットで得ていたので、ついでに寄ってみた。

「Fereni Hafez(フェレニ・ハフェズ)」はこんな感じのお店。
どうやらロンプラで紹介されているらしい。

んで、とりあえず注文。

フェレニとはこんな感じの白いドロドロした液体っぽいものに、黒蜜みたいなソースをかけた食べ物。

実際に食べてみると、白いドロドロしたものは全然甘さが無い。
黒い蜜はさすがに甘いのだが、この蜜が無いと食べられない感じ。
個人的にはあまり好きでは無い。

さて、腹も満たされたので、続いて向かうは「チェヘル・ソトゥーン庭園博物館」。
エマーム広場から歩いてすぐのところにある。

庭園博物館に向かう途中に自転車のレンタルを見つけた。
確かに地元の人は結構自転車に乗っている姿を見かける。
まあ、もちろん男性ばかりだが。

自分も歩いての移動にうんざりしていたところなので、借りようか?と値段と借り方を係員に聞いてみた。
値段は驚くほど安かった(ほぼタダ同然)のだが、借りるのにはパスポートが必要。
しかしながら、イランのホテルではチェックイン時にパスポートを預け、チェックアウト時に返してもらう決まりになっているので、パスポートはホテルにある。
ホテルまで戻ってパスポートを取りに行くのは面倒なので、結局借りられず。
そもそも「自転車を借りるから…」と言う理由で、ホテルがパスポートを返してくれるかどうかも不明。
使えるかどうか?は分からないが、国際免許証なんか持って行ったら使えたかもしれない。

ちなみに、今回見つけたレンタル自転車のステーションはエマーム広場東側にあったのだが、市街南側にある川にかかる「スィー・オ・セ橋」のすぐ近くにもあるので、自分の行動範囲によってはそちらを利用してもいいんぢゃないか?と思う。

話が逸れてしまったが、庭園博物館の話に戻ると、「歩き方」ではどうやら庭園博物館の北側が入り口のようになっていたので、そちらに行ってみると…

が〜ん! 入り口は東側に変わってるぢゃん!

金曜モスクからエマーム広場まで高くてもタクシーに乗って来ちゃったぐらい歩き疲れていたのに、この微妙なロスは痛い。

と言っても、東側入り口に行くしかないので、てくてく歩いて行く。
まあ、確かに、東側には若干人が集まってるのをさっき見たわ。

ということで入り口は東側なので注意が必要。

さて、早速庭園博物館の敷地内に入ると、中央にはこんな感じのドド〜ん!と大きな池が鎮座している。
この庭園博物館「チェヘル・ソトーン」という名前は「40の柱」という意味らしく、本当は20本しか柱が無いのだが、この池に映った柱を足して「40の柱」ということにしているらしい。
ずるいぞ。

そんなことはともかく、イランの「庭園」と言われる場所にはこんな感じで大きな池があることが共通点。

ここは迎賓館として客人をもてなすために使われた建物で、アッバース2世の命によって1647年に作られたそうだ。
「ペルシア式庭園」として世界遺産にも登録されている。
ということで、観光客も含め、地元の人もしくはイスファハーン周辺地域から観光に来ている現地人と思われる人たちもたくさん来ていた。
(まあ、現地人の入場料は、我々外国人と比べて劇的に安いので、気兼ねなく入れるってこともあるけど…)

宮殿の入り口はモスクの入り口と」同じような作りになっているのだが、こちらはタイルでなく鏡で作られていてキラキラ。

宮殿の中には6枚の大きな壁画が書かれていて、1〜3は西側の壁に描かれているもので、4〜6は東側の壁に描かれているものだ。

基本的に当時の王様が戦っている図(2・5・6)もしくは客人をおもてなししている図(1・3・4)のどちらかだ。
絵の迫力はかなりのものだと思うのだが、何故「戦いの絵」と「もてなしの絵」なんだろう?と思う。

宮殿の外壁にも肖像画なんかが描かれているが、こちらはオランダの画家が描いたもの。
しかしながら、近寄って見ることができない場所にあるので、詳細はよくわからず。

宮殿の裏側に回って見ると、表側とは打って変わって、観光客が全然おらず。
しかも、表側の池はすごく綺麗な水だったのに、裏側にある池はすんごい緑色で藻がたくさん生えていそうな感じの池だった。
人の目につかないところは手を抜くんだなぁ〜と、感じる風景。

さてさて、本日は「世界の半分」と言われた「エマーム広場」を見ることができて大満足。
そして、イランの人たちのホスピタリティーから、ますます「本当にイランって恐い国なのか?」という点について疑問が増すばかり。

もう一日ここイスファハーンに滞在して、明日は川の南側にあるジョルファー地区なんかを見に行こうと思いますYo!

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