【イラン旅行記】 Day4 イランなのに「アルメニア人」について学んでみた!

さて、本日はイスファハーン二日目となる。

昨日はイスファーン観光の目玉である「エマーム広場」とその周辺をブラブラしてみたのだが、本日は川を渡って南側の「ジョルファー地区」という場所に行ってみる。

ジョルファー地区へ行くには、バスに乗るのが便利。
バスはエンゲラーブ広場付近から出ていて、91番のバスに乗ると行ける。
ちなみにこの地図に書かれているバスの経路は「歩き方」に載っている「ハキーム・ネザーミ交差点」を通る経路とはちょっと違うので、注意が必要。

朝のエンゲラーブ広場はこんな感じ。
ここら辺からジョルファー地区へ行くバスに乗れるのだが、南バスターミナルに行く時にも同じ場所から乗れば良い。

バスの番号を「91」番と書いたが、これは自分がそこら辺の人に「南バスターミナルへ行きたいんだけど何番のバスに乗ればいい?」と聞いたら「91番だ」と教えてもらっただけなので、他の番号のバスでも行けるとは思う。
基本的にイラン人は親切なので、どんな人に聞いても教えてくれると思うので、聞いてみてくだされ。
聞かれた本人がわからなくても、その人がさらに他の人に聞いたりしてくれるので、確実に答えにたどり着けますよ。

「Towhid St.」と「Eastern Nazar St.」との交差点付近でバスを降りると、ジョルファー地区付近となる。
ここからは歩いて「ヴァーンク教会」を目指す。

歩いてものの5分ぐらいで、ヴァーンク教会に到着。

ここら辺は住宅街のようになっていて、結構入り組んでいる。
そんな中突然大きな塔が出現する。
入り組んだ場所に高い塔なので、全体像の写真を撮るのがかなり困難。

もっと広い敷地なのかと思ったら、敷地自体は広くない。
しかし、中庭みたいな場所がある構造で、それほど窮屈には感じない。

入り口から右手に鐘楼が見える。
んで、その奥にあるのが「大聖堂」

「大聖堂」というぐらいなので、かなり立派な建物かと思っていたら、結構こじんまり。
最初敷地内に入ったときには「あれ?大聖堂ってどこだ?」と思ってしまったほど。
他の建物と同じぐらいの大きさなので若干戸惑う。

そんな感じで存在感があまり大きくない大聖堂なのだが、中に入ってみると、そこはさすがに教会だけあって荘厳な雰囲気。
ジョルファー地区でのメインの見どころだけあって、たくさんの観光客が来ていた。
外国人も多いが、地元の人もそこそこいる。

内部は壁一面にいろいろな壁画が描かれていて、それこそヨーロッパの教会を思い浮かべる。
イスラム教の国で、モスクばかり見て来ただけあって、新鮮に感じる。

とはいえ、遠くから見るとヨーロッパ的な壁画なのだが、近くに寄って絵のテイストを確認して見ると、ヨーロッパのそれとは異なり、結構独特のテイスト。
むしろちょっとおかしく感じてくるぐらいなのだ。

建物の構造もなんとなくモスクっぽいところもあって、ちょっと不思議。

壁という壁全てに絵が描かれていて、柱にも描かれている。
とにかく絵と模様で埋め尽くされた教会なのだ。
神聖な場所に人物像(偶像)を描くなんて、イスラム教ではありえないので、イランではなかなか貴重な光景。

ヴァーンク協会にはアルメニア博物館も併設されているので見てみることに。
博物館は敷地の北東側に位置する。

そんなに広くないのに、ちゃんと案内板があるので、それに従って向かうと博物館がある。

中に入って見ると、こんな感じで古い聖書なんかがたくさん展示されていたりする。

「歩き方」にも紹介されている、世界最小の聖書。
これ作ってどうすんだろ?

博物館内部はこんな感じ。
大聖堂より広いんぢゃね?というぐらいの吹き抜け2階建構造。

顕微鏡が置かれている場所があって、熱心にのぞいている人がいた。
その後ろにも顕微鏡を覗くのを待っている人がいたので「なんだろ?」と思って、自分も覗いてみた。

さすがに顕微鏡で見えるものを写真には撮れなかったのだが、覗いてみると、一本の細い線に文字が書いてあった。
これは聖書の言葉を髪の毛に書いてあるそうなのだが、個人的には「お〜!すげぇ!」と思うより、むしろ「なんでこんなことしたんだろ?」と思う。
そうすることで何らかのご利益があるのか?

博物館の中には先ほど見た大聖堂の内部の絵もある。
結構忠実な絵だった。

そして印刷機

おそらく、こんな感じで書物を先ほどの印刷機で大量に刷っていたんぢゃないか?と想像される。
もちろん全然読めないのだが、昔のアルメニアで使われていた文字なのか?

昔のアルメニア人の服装を示したんだと思われる展示とか

どういった価値があるのか?はちょっとわからないが、食器っぽいものなんかも展示されていた。
やはり、内容がよくわからないので、ガイドなんかは必要かも…。

さて、ヴァーンク教会の敷地内には「アルメニア人虐殺祈念碑」があるらしいので、ちょっと見てみることに…。

敷地内にはアルメニア人の服装を実際に着たモデルが立っていたりした。

普通、観光地のこういうのって「あ〜!写真撮ったらお金取られるやつだね」というのが定番だが、ここでは別にお金は要求されず、他の観光客もガンガン写真を撮っていた。

敷地内には何人もモデルっぽい人が居て、特に何かをするわけではなく、そこに居るだけ。
多分彼女たちは写真を撮られるためだけに、一日中ずっと座ってるんだろうなぁ〜と思うと、ちょっと気の毒な気持ちになる。

そんなこんなで、アルメニア人虐殺の祈念碑へ。

アルメニア人虐殺とは、現在のトルコ付近にあった「オスマン帝国」の中の少数民族であったアルメニア人が虐殺された出来事で、特に第一次世界大戦の時期のそれを指す。
「何でそんなことになったのか?」という背景については、いろんなサイトに書かれているので、そちらを参照してくだされ。
まあ、いろんな民族や宗教が複雑に絡み合う場所においては、民族同士での小さないざこざが元になって大きな歴史的事件となってしまうことは、世界中のどこの場所でも起こること。
ある意味、単一民族でしかも島国に生まれた我々は、幸せなのかもしれない。

ヴァーンク教会を見学して感じたことなのだが、ここはイランの中でもアルメニア人地区と呼ばれる「ジョルファー地区」であることは最初の方でも書いた。
そして、そこに存在するヴァーンク教会は基本的に「ジョルファー地区に住むアルメニア人のための教会」という位置付けだったんだろうと思われる。

そして、教会がいつしか観光地になることで、世界中であまり知られていない「アルメニア人」について、観光客に知ってもらい、その文化そして歴史なんかを知ってもらおう!という魂胆が、そこかしこでひしひしと伝わってくる。

なので、アルメニア人博物館があったり、アルメニア人の衣装を着たモデルは写真を撮ってもお金を要求しなかったりする点を鑑(かんが)みれば、合点がいく。

事実、自分もその戦略に見事にハマってしまい、今まで全くノーマークだった「アルメニア」という国について興味が湧いた。

アルメニアはキリスト教を国教とした最初の国で有名だし、民族としての意識や団結力も非常に強いらしい。
また、美人が多い国ということでも有名だそうだ(誰が判断しているのかは不明だが…)

さて、ヴァーンク教会を一通り見学したら、同じくジョルファー地区には「ベツレム教会」や「マリアム教会」という教会があるらしいので、そちらに行ってみることに…。

ジョルファー地区はイランの一般的な街とはちょっと違った雰囲気を肌で感じることができる街並みだった。
ちょっとヨーロッパっぽい雰囲気もあるが、やはりイランの雰囲気も混ざっている不思議な感じ。

ベツレム教会とマリアム教会を目指して歩いて行ったところ、曜日のせいなのか?もしくは時間のせいなのか?はよくわからないが、どちらも閉まっていて見ることができず。

そんなこんなで、ジョルファー地区から戻ることにする。

来るときはバスを使ったが、川の南側の雰囲気も知りたかったので、歩いて戻ることに…。

イランの街ではバザールとかでも八百屋とかをあまり見かけなかったので、一般人はどこで食材を買ってるんだろう?と不思議だったのだが、ようやく一軒の八百屋を見かけた。

やはり、乾いた土地だからか、野菜の種類はあまり多くない感じがする。

イスファハーンの街は、街の造りにもこだわりがありそうで、大きな車道に挟まれた部分にこんな綺麗に整えられた歩道が整備されていた。

そんな感じでブラブラと歩いていると、美味そうなザクロジュースを売る店を発見。
立ち寄ってみた。

ザクロジュースって言ったら、中東とかで結構見かける飲み物。
半分に切ったザクロをぎゅ〜っと押しつぶして絞り出した生搾りが一般的。
ここのジュースもそれだと思って注文してみたら、どう見ても生搾りではなく、甘さもあまりなく酸っぱめ。
かなり残念なジュースだった。

川ぞいにある公園には不思議なオブジェがあったり…

昼間っからピクニックをしている人たちの姿をたくさん見かける。
イランに来る前には全く想像していなかったのだが、イランはかなり平和な気がしてきた。

公園でピクニックをしている人はたくさんいるが、テントを張ってキャンプをしちゃダメみたい。

二日前にも、見たスィー・オ・セ橋まで戻って来た。
夜(夕方)見た時にはかなりの人だったが、そこまでではないが昼間もたくさんの人が居た。

スィー・オ・セ橋からさらにエマーム広場方向へ歩いたところにある「ハシュト・ベヘシュト宮殿」に向かう。

イスファハーンの街にはこんな感じで、自転車のオブジェがいくつか見られた。
確かに自転車に乗っている人も多い。
自転車を使うことを推奨しているのかな?

本日は金曜日。
イランのようなイスラム教の国では金曜日がお休み。

ということは分かっていたのだが、さすがにバザールぐらいはやってるだろうと思っていたのだが、予想に反してバザールまで閉まっていた。

そんなこんなでハシュト・ベヘシュト宮殿に到着。

宮殿の前にはこちらも立派な池と噴水がある。
昨日から、各観光ポイントでの入場料がかさんで来ているので中には入らず。
とは言え、外国人(主にヨーロッパからの)観光客もたくさんいた。

ハシュト・ベヘシュト宮殿から、さらにエマーム広場方向に歩いて行き、昨日見た「チェヘル・ソトーン庭園博物館」のすぐ隣にある「自然史博物館」に行ってみる。

自然史博物館の入り口はこんな感じ。
モスクのような造りが特徴。

まあ、それ以上に建物の前にある恐竜のオブジェの方がもっと特徴あって気になる。

んで、実際に中に入ってみると、動物の剥製など、いろいろな物がぎっしりと展示されていた。

しかし、そのぎっしりぶりは並の博物館とは異なり「これ、物置きぢゃね?」ってぐらいのぎっしりぶり。
写真下は鳥の剥製が収納されている展示ケースなのだが、「ここまで置くか?」というぐらいぎっしり。

剥製の種類もいろいろで、頭が二つある牛だがヤギだかわからない動物もいたりする。
どういうコンセプトで陳列されているのかは、全く不明。
解説も基本ペルシャ語だし。

自然史博物館という名前が付いているだけあって、展示されているのは動物の剥製ばかりではなく、植物・地質(石とか)の展示も豊富にある。
しかしながら、その展示の方法は「博物館」というよりは「高校の文化祭」のレベルと言った方が正しい感じだ。

自然史博物館の北には「マスジャデ・ハキーム」というモスクがあるようだったので、歩いて行ってみた。

しかしモスクは開いておらず、結局中は見れず…。

イランではあまり熱心にお祈りしている人を見かけないなぁ〜と思っていたのだが、このモスクの外にある植え込みのところで必死にお祈りしている人がいた。
真面目にお祈りする人もいるんだ〜とちょっと感心。

さて、腹が空いてきたので、ここらでご飯にしようと思う。
エマーム広場南東の端にある「Bastani」というお店へ。
「歩き方」に載っているお店だ。

入った瞬間に感じてしまったのだが、このレストランはヨーロッパ系の観光客の団体が利用するような高級店で、完全に観光客目当てのレストランだった。

とりあえずチャイ(お茶)を頼んでみたところ、こんな感じで運ばれて来た。
イランらしく、こんな感じ(写真下)でいろんなタイプの砂糖から好きなものを選ぶことができる。

ミネストローネのようなスープを、台車に乗せて各テーブルに回っている店員がいた。
自分の席にも来て「要るか?」と聞いて来たので、一応もらってみた。
押麦みたいなものが入ってて、味は普通に美味かった。

さて、注文したのもは、キャバーブとご飯。
昨日の夜に食べたものと変わらないのだが、メニューがそれぐらいしかないのだ。
「キャバーブとごはん」もしくは「煮込み料理とご飯」の組み合わせがイランのデフォルトスタイル。
基本的にそれ以外のメニューを見つけるのはかなり困難。

この辺からすでに「イランは食のバリエーションが少ないのでは?」と気づき始めた。

さて、ご飯を食べて、一旦ホテルに戻って休憩していたら、すでに夜になってしまっていた。
今日でイスファハーンは最後だし、そういえばライトアップされたエマーム広場が綺麗だという情報を読んだこともあったので、夜のエマーム広場へ行ってみた。

確かに夜のエマーム広場はライトアップされていて綺麗。
夜になっても人の数は少なくならず、結構賑わっていた。

昼間に訪れた「アーリー・ガーブー宮殿」や「マスジャデ・シェイフ・ロトゥフォッラー」なんかもこんな感じにライトアップされている。
まるで浮き出ているようだ。

ライトアップされた夜のエイヴァーンはキラキラしていて美しい。
さて、明日はイスファハーンを離れて「ヤズド」という街に移動しますよ。

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