【イラン旅行記】Day9 テヘランで知る「なぜイランはここまで世界で嫌われる?」その理由

旅はこのイラン旅の最終訪問地「テヘラン」へマシャハドから飛行機で向かっているところから続く。

マシャハドとテヘランとの距離は結構近く、バスや電車でも行き来が可能な距離なのだが、時間節約のため飛行機を利用。
まあ、バスや電車でいけちゃう距離を飛行機で移動したもんだから、1時間もたたないうちに着いちゃう。

そんなこんなで、飛行機はテヘランの国内線空港「メフラーバード空港」に到着。

乗って来た機材はボーイング747。
かつては世界の空を席巻して来た飛行機だが、現在では旅客機としては退役する機材が多く、これに乗るのはなかなか貴重になってきていると思う。
確かに、自分が乗ったこの機体もかなり古く、所々に見える搭載機器がかなり古くて若干の不安を覚えたが、特に問題はなかった。

かつてはテヘランのメインの空港として機能していたメフラーバード空港だが、現在は国際線の多くは「エマーム・ホメイニー国際空港」へと移行してしまっているので、国内線用の空港として使われている。

まあ、昔からある空港なので、施設は結構古め。

空港から市街まではちょっと離れているのだが、空港直結で地下鉄駅があるので、移動手段には困らない。

イランの地下鉄に乗るのであれば、日本のSuicaのようなICカードを利用するのが便利。
地下鉄駅の有人窓口で「メトロカード」とか「ezpay」とか言えば売ってくれる。
値段は忘れてしまったので、買う時に聞いてみてくだされ。
まあ、最近になって地下鉄の乗車料金やらホテルの一泊の値段やらは数倍にもなっているので、ここで値段を書いたところでアテにならないと思うし。

メトロカードを買うついでにある程度のお金をチャージしてもらうようにお願いした方が良い。
地下鉄やバスの料金は、イラン全体の物価に対してはかなり安いので、それほどたくさんチャージしなくても良いとは思う。

ほとんどの駅では入り口では日本の改札機のような機械が設置されているので、Suica等の交通系ICカードを使って電車に乗るのと同じ感覚。
しかし、駅によっては出口に改札機が無く、こんな感じ(下写真)で壁際に読み取り機がある場合もあるので、出る時には忘れずにこの機械にカードをタッチしよう。

テヘランの地下鉄は作られてからあまり時間が経っていないので、結構綺麗。
世界各国がイランに経済制裁をしているスキに、賢い中国がサクッと作ったらしい。

車内はバスと同様に女性用と男性用に分かれているのは知っていたのだが、ホームも女性専用に分かれていたりした。
男性は女性エリアには入れないが、女性は男性エリアに入れないことはない。

もちろん車両も綺麗。
しかし、テヘランの人たちの大事な足であるので、車内の混雑率は高い場合が多い。
結構おじさんたちに囲まれて立って乗らなければならないケースがあると思うので、大きな荷物を持っている時なんかは注意が必要。
場合によってはタクシーなんかを使った方が良いかもしれない。

地下鉄車内にはちゃんと電光掲示板もあって、次の駅を表示していたりする。

しかしながら、注意点は、その表示が一駅分ズレていたりするという、日本では考えらえないことが結構起こっている。
なので、この電光掲示板はあまり信用せず、電車が止まる毎に、ホームに書かれている駅名を確認して、路線図と見比べて現在自分がどこにいるのか確認した方が良い。

空港から市街に出て、バックパックをホテルに置いたら観光へ。

まず向かったのは「旧アメリカ大使館」。
いろんな歴史上の出来事により、かつて大使館だった場所が観光スポットにもなってしまっているのだ。

1979年に起こったイラン革命により、イランは「反米」路線へと舵を切ることになった。
その象徴として、この旧アメリカ大使館の壁には「反米」を謳った絵がたくさん描かれているのが有名。

ということで、こんな感じの「ブラックだなぁ〜」という絵が描かれている。
これは「アメリカ否定系」の絵。

「アメリカ否定系」の絵ばかりではなく、こんな感じで「イラン崇拝系」の絵もあったりする。

この写真の絵はかなり有名な絵で「絶対見たい!」と思っていた。
しかしながら、どこにあるのかわからず、結局この絵を探して大使館の周りをぐるっと一周してしまった。
んで、結局見つけたのは地下鉄駅の出口の目の前。
「灯台下暗し」ってこういうことを言うのねと感じた。

お金を払えば、敷地の中と建物の中に入ることができる。
敷地にはいくつかのパネルが建てられていた。

んで、近づいてみると「お〜!ブラックなパネルだなぁ〜」と思うものばかり。

基本的にはアメリカとイスラエルを否定するものが多く、その他にはヨーロッパ圏の国やメディアを否定するものが多い。

イランはアメリカのみならず「イスラエル」とも仲がかなり悪い。

大使館だった建物の一部は現在は博物館になっている。
入り口にはかつてここがアメリカの持ち物だったことがわかる「国章」があったりする。

さて、建物内に入ってもブラックな絵が飾られていたりして、ちょっと恐い。

博物館はそれほど広くは無いのだが、特にイラン革命によって、このアメリカ大使館が占拠された時の様子や、大使館の中にあった機器なんかの展示がメイン。

さて「イラン革命とは何ぞや?」という点について少しだけ言及。

イラン革命とは簡単に言えば、1979年に起こった、イラン国民によるイスラム回帰の革命。

革命が起こる以前の東西冷戦時代、イランは「モハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー」という皇帝によって「親アメリカ」の政策を取っていた。
「パーレビ国王」と言った方がピンとくる人が多いかもしれない。
彼の取っていた「親アメリカ」の政策は彼の意思というよりは、アメリカの介入でそうなっていたと言った方が正しいのかもしれない。

しかし、イランは「イスラム教」への思いが昔から強い土地でもあって、これらの親アメリカ政策に反対する人も多かったことも事実。
彼らにとってはその政策は「アメリカの傀儡政権」と考える人も多かったわけ。

そして、親アメリカ政権下で国外追放を受けていた「イスラム法学者」の一人であった「ルーホッラー・ホメイニー」を中傷する記事を巡って暴動が発生。
この暴動はどんどん拡大して、イラン国内各地で反政府デモが起こり、暴動が多発する。

焦った政府はこれを弾圧しようと試みたが見事に失敗。
結局民衆が「イスラム教に従った社会にするんだっ!」という目標のもと、政権を倒したという革命。

結局、「イスラム回顧」と「反アメリカ」とがごっちゃになり、このアメリカ大使館は革命の標的となる。結果的に民衆から暴動を受け、有名な「アメリカ大使館人質事件」が起こる。
ちなみに、この写真は当時この大使館になだれ込む民衆の姿を模したもの。

「イラン革命=大使館人質事件」みたいな感じがするのだが、この事件については映画「アルゴ」なんかでも知ることができる。
ちなみにあの映画はアメリカが制作したものなので、内容は当然のごとくアメリカ寄り。
「イラン=悪」というスタイルで描かれていることは、見るときにちゃんと心得ておかないと、公平な判断ができないと思う。

あの映画を見る限り「お〜、イランって恐い」と思うが、映画の中のシーンにあった、空港での手に汗握る出国のやりとりとかは、実際は無かったらしい。

映画「アルゴ」を見れば、その答えは簡単にはわかると思うが、大使館内の展示にはいろんな「電子機器類」や「シュレッダー」などの展示が多い。

これは当時革命を起こしたイランの民衆が、アメリカがイランをスパイしていると考えていた為。
真偽のほどはよくわからないが、こういった当時使われていた機械を展示することによって「ほらね、アメリカがイランのことをスパイしてたのがよくわかるでしょ」と表現したい意思があるんだと思われる。

さて、旧アメリカ大使館の次は「考古学博物館」へ行く。

旧アメリカ大使館の目の前にある地下鉄駅「ターレガーニー駅」から「エマーム・ホメイニー駅」へ移動。
エマーム・ホメイニー駅から5分ぐらい歩いたところにある。

考古学博物館は、歴史的にも重要な美術品なんかを集めた、イラン最大の博物館だ。

正直なところ、イランの歴史なんかについての知識がうっす〜いので、これがどれだけ重要で素晴らしいものなのか?という点についての判断ができない。
よって、ここら辺は「歩き方」にしたがってみようと思う。

写真左は「パルティアの王子像」そして右が「雄牛の柱頭」だ。
どちらも写真に撮ると綺麗に映らないのだが、実際に近づいて見てみると出来が素晴らしいのはよくわかる。

館内はびっくりするほどは広く無いが、展示品は結構ある。

シーラーズのペルセポリスで見たような階段のレリーフや、珍しいもので「ソルトマンのミイラ」なんかが展示されていた。

「謁見図のレリーフ」

これこそ、自分のようなド素人には「ザ・イラン」と感じるような作品だと思う。

あとは、石板に書かれた文字や器なんかの展示もある。
ここら辺の知識があったら、もっと楽しめるんぢゃないかなぁ〜と思う。

さて、続いては、考古学博物館から頑張れば歩いていける距離にはる「ゴレスターン宮殿」へ。

テヘランに限った話ではないが、イランの街をブラブラ歩いていると、なかなか面白い。
突然こんな感じで「何で?!」とツッコんでしまいそうなオブジェがあったりする。

宮殿のすぐ南側にはテヘラン最大のバザールが広がる。

テヘラン最大どころか、イラン最大、いや中東最大とも言われるバザールが広がる。

確かにバザールには平日の昼間だっちゅ〜のに、ものすごい数の人がいる。
テヘランに住んでいる人は買い物は全てここで済ませるんぢゃないか?ってぐらいだ。

ちなみに、バザール内部は結構迷路のようになっているので、方向に弱い人が安易に入ると、アリ地獄のように出られなくなってしまうかも(大げさ?)

バザール内部には、ガイド本には細かく説明が載っていない程度のモスクもある。

さて、そんなバザールの北側に位置する「ゴレスターン宮殿」だが、入り口の場所がわからず結構迷った。

ゴレスターン宮殿は入場料一発で中の全てが見られるわけではなく、敷地内にある建物に入りたければ、それぞれについて予めチケットを買わなければならない。
これがすげぇ面倒。

ガイド本は一応あるが、「どれが面白そうか?」なんてのは実際に行ってみなければわからないし「じゃあ全部買えばいいぢゃないか!」と思われるかもしれないが、全部買ったらものすごい金額になってしまう。

入場料をもう少し高くしても良いから、それで建物全部が見れるようにして欲しい。

これは「タフテ・マルマル」という大理石の王座。
大理石で作るなんて贅沢だね。

こちらは「ネガー・ハーネ」という、絵画を保存するために作られたスペースで、現在も絵画が保管されているそうだ。
自分はここの分のチケットは買わなかったので、中は見ず。

ただ、ネガー・ハーネの外壁はタイル貼りになっていて、こちらはクオリティーの高い模様のタイルで美しかった。

入場券だけで見られる場所に霊廟っぽいところがあった。
ガイド本には記載がなかったので詳細は不明だが、壁のタイルアートがとても綺麗。
生花だと一年中咲けないので、代わりにタイルで表現したのだろうか?と勝手な想像をするほど、タイルのバラなんかが綺麗だった。

そして、これは「タラーレ・アスリ」という建物で、ヨーロッパからの使節団などを迎えるための建物。
写真はそのうちの「大広間」でかなりの広さ。
写真だと一番奥の方が見えないぐらいだ(まあ、実際は見えるんだけど)

そしてこれは鏡の間。

壁や天井に小さな鏡がたくさん貼られていて、同じく内部に鏡が貼られたモスクの宮殿版といったところ。

鏡の間に最初に入って感動していたら、奥にはもっとすごい鏡の間があった。
正直落ち着かない気がするが…。

ちなみにここは写真撮影禁止なのだが、これはこっそり撮った写真。

内部は見なかったのだが「シャムス・オル・エマーレ」という建物。
2つの塔が印象的だ。

シャムス・オル・エマーレの土台の部分にはこんな感じの絵がかかれている。
音楽隊みたいなのが演奏しているようにみえるのだが、かつてはこんな感じで来賓を迎えていたのだろうか?

「歩き方」には「アブヤーズ宮殿」の民俗学博物館がオススメされていたので行ってみた。

かつてはこんな感じで生活していたのかなぁ〜?という感じの人形で再現した部屋なんかが展示されていた。

あとは当時の人が着ていた格好を再現した展示とかもある。
まあ、現在ではこんな格好の人はさすがにいない。

なんか、ヨーロッパ的な素晴らしい絵も飾られているぞ。

さて、続いては、街の北の方にある「Holy Defense Museum(軍事博物館)」へ行く。

旧アメリカ大使館方向に戻り、さらに北に行ったところにあるのだが、ゴレスターン宮殿からは結構な距離がある。

テヘランではこの写真のマークが地下鉄のマーク。
これって何を表してるのか自分にはよく分からないのだが、とにかく地下鉄に乗るときはこのマークを目指せば良い。

Holy Defense Museum(軍事博物館)の最寄駅は「Shahid Haqqani駅」(歩き方には「Shahid Heghani』と記載されている)。

駅からは結構近くて、歩いて数分の所にある。
Holy Defense Museum(軍事博物館)はこんな感じで細長〜い形状の建物。

軍事博物館の前には屋外に常設っぽい卓球台があって、たくさんの人が卓球を楽しんでいた。
のどかな風景で良いのだが「働けよっ!」と思ったのも事実。

Holy Defense Museum(軍事博物館)の入り口はこんな感じ。
建物に書いてある名前によれば、正確には「Islamic revolution & Holy defence museum (イスラム革命と防衛の博物館)」ということになっており、単純に「War Museum」とかにしない理由は中に入ってから分かることとなる。

とりあえず建物の前にはイランご自慢の戦闘機やヘリ、ジーブや船なんかも惜しげも無く展示してあった。
普通は自国の戦闘機とかの展示だけだが、やらしいことに撃墜したイラク軍の戦闘機なんかも、ボロボロの状態を保ったまま展示してあったりする。

海外に限らず日本においても「戦争博物館」的な施設には積極的に行くようにしていて、旅行記でも何度か出てきていると思うが、自分は決して「軍事マニア」とかではないので誤解されませんように。

正直「正義の戦争」みたいな「戦争」は決して無いと思っている。
しかしながら、長い長い歴史の中では必ず戦争が起こる。
まあ、ぶっちゃければ「歴史」って正しくは「戦争の歴史」または「勝者の歴史」なのだ。

そうなると、各戦争に対しての考え方(是非とか)は当事者もしくは第三者等、立場によって異なってくる。
世界の「戦争博物館」を見比べることによって、各国(その戦争博物館を建てた当事者側)が、その戦争に対して「どう考えているのか?」というのが分かって大変勉強になる。

別にこれは海外に限った話ではなく、日本国内に限っても同じ。
例えば「広島の原爆資料館」と「長崎の原爆資料館」そして「沖縄の平和祈念資料館」を見比べても、太平洋戦争(大東亜戦争)に対しての考え方の違いが鮮明だ。
自分は沖縄の平和祈念資料館を訪れたときには衝撃を覚えた。

さて、話がそれてしまったので、元に戻すと、このテヘランにある「Holy Defense Museum(軍事博物館)」には、まず戦争で亡くなった人への敬意を示す展示品があるところから始まり、そしてイラン革命の背景や内容、そしてその後起こるイラン・イラク戦争の背景・内容なんかが展示してあった。
展示物の数はかなり多いので、端から端までちゃんと見ようとすると、かなりの時間を要すると思う。

特にイラン・イラク戦争は10年近く続いた戦争で、イランにとってもダメージが大きかった。

さて、ここの博物館を見ていて、自分は「なぜイランが世界各国から嫌われるのか?」について、なんとなく納得できる理由を発見した。
それは「核開発」について展示してあった内容についてだ。

そもそもこの博物館がなぜ「Defence Museum」という名前になっているのか?
それは、イラン・イラク戦争のきっかけは、イラン革命で国内が混乱していた状況を利用してイラクが侵攻してきたことに始まる。
ただ、長い戦争の中でイランもイラク領土へ侵攻することにもなるのだが、この博物館の展示では「われわれは侵攻されたんだ」という表現が多い。

長い歴史の中で、イラン・イラク戦争に限らず我々は常に侵攻を受けきた。
だから国を守るために核開発が必要なのだ。

という理論で核開発を正当化していた。
この考えは正しいのかどうか?という点について、自分は言及したくはないが、この考え方がまず世界各国から警戒される大きな要因ではないのか?と思う。
国を守るために戦争をしてきたのだから、この博物館も「War Museum」ではなく、「Defence Museum」という名にして、今までしてきた戦争を正当化しているのではないか?と思うのだ。

そもそも、イランは長い歴史の中でペルシャという時代から、常にこの辺(西アジアから中東付近)で大きな存在感があった。
なので、イランが強大な力をもってしまうと、周辺国のみならずアメリカなんかも困ってしまうのだ。
そういった背景も複雑に絡まって、世界各国は「イラン=危険」というレッテルを貼っているのではないか?と思う。

もともとアメリカのプロパガンダを信じて「イラン=危険=悪」という構図を信じていた自分は、ここまでイランを旅してきて「全然悪く無いぢゃん! てか、むしろイラン人は穏やかで優しいぢゃん!」と感じてきた。
これは間違い無いと思っている。
しかしながら、先ほど書いたような背景で核開発なんかを正当化しているイランの一面があり、それを国民も支持している部分があるから、イランのイメージが良く無いのではないか?と思う。

イランがこの辺の地域で大きな影響力を持つのであれば、核開発をして「Offence」にもなりかねない「Defence」に力を入れるぐらいだったら、周辺各国に「仲良くやろうや!」という働きかけをして、安定した地域になるような努力をしてこの地域を引っ張ってくれるリーダー的存在になればいいのにと、個人的には思う。

ただ、現在イランと仲が悪い周辺国(サウジアラビアやイスラエル)は多く、宗教的・民族的な考えの違いも大きく絡んでしまっているので、一筋縄ではいかないことも理解はできるんだけどね。

さっきも書いたように、Defenceのために核開発を正当化してしまうぐらいなので、当然のごとく、ご自慢のミサイル類も誇らしげに展示してある。

ちなみに、イラン・イラク戦争は最終的にミサイルが主となる戦争となり、イランはミサイル開発にも意欲的な一面がある。

軍事博物館の見学で若干複雑な気持ちになりつつも、この近くに、最近テヘランの人にとってデートスポットとして人気が高いという「Tabiat Bridge」というのがあるのを事前情報でゲットしていたので、行ってみることにした。

博物館の西側に広がる森っぽいところの遊歩道を歩いて行くと橋にたどり着くのだが、あまりにも山道なので「本当にこの先にデートスポットにもなるような橋なんかあるの?」と心配になってくる。

まあ、ちゃんと道しるべもあるし、そこそこ人もいるので大丈夫だろうけど…。

そんなこんなで、森の中を進んで行くと、突然現れる超近代的な歩行者専用の橋。
独特のデザインで、川にかけられた橋ではなく、大通りの上を通る橋だった。

「デートスポット」という情報だったのだが、デート中のカップルはあまりおらず、基本的に家族か友達同士で来ている人がほとんど。

まあ、冷静に考えれば、イランでは婚前前の男女がおおっぴらにデートするってケースはあまりないからね

実はこの段階でけっこう疲れてしまっていた。本日は帰国日だし、これ以上疲れるのはキツイなぁ〜と思っていたのだが、テヘランのシンボル的存在の「アザーディ塔」をまだ見ていない。

本当のことを言えば、今自分がいる場所からアザーディ塔までは結構な距離があるし、わざわざ見にいくのは面倒だ。とういうことで見に行くのはやめようと思った。
しかし、ここでいつもの貧乏性な部分が出て来てしまい「次いつテヘランに来るかわからんぞ」という考えも出て来てしまった。

結局、根っからの貧乏性から抜け出すことができず、アザーディ塔を見に行くことに。

アザーディ塔は地下鉄でのアクセスも可能で、主に国内線で使われている「メフラーバード空港」にも近い位置にある。

地下鉄駅からアザーディ塔に向かう途中にあった像。

相変わらず「なんでこんな像を?」という像。
でも面白くてイイネ。

単なる予想だが、イスラム教は「旅行者」に対して寛容だ。
なので、旅行者を歓迎している「しるし」なのだろうか?

そんなこんなでアザーディ塔に到着。
テヘランのシンボルタワー的な存在だけあってかなりの大きさ。
塔の地下は博物館にもなっているそうなのだが、行った時間が遅かったので中には入れず。

でも、この独特のデザインは本当にとても綺麗だ。

さて、実質1週間ほどでイランのメイン観光地を巡ってきた今回のイラン旅もこれで終了。

もともと「イランは本当に悪い国なのか?」というのを確かめるために来たのだが、結論として、イランは決して悪い国ではなかった。

基本的に外国人や旅行者に対しても優しい。
街は想像以上に綺麗。
施設なんかも壊されたり落書きがあふれているようなことも無いし、施設自体も整っている。
旅行者から変にぼったくったり、盗みをはらたこうなんて雰囲気も全然感じられなかった。

もちろん、長い歴史の中で政治的に強権的な時もあったことは否定するつもりもない。
しかし、だからと言ってイランという国を形成する国民のほとんどが同じく強権的か?と言ったら、全くそんなことはなく、自分のような「庶民」レベルでは、みんなごくごく平和に暮らしていて、戦争なんかしそうにも無い。
そもそも戦争なんか望んではないのだ。

街でよく「どこから来たんだ?」と聞かれるので、当たり前のように「日本から来た」と答える。
すると、多くのイラン人からすると「日本」のイメージは「働きすぎ」というイメージなようで、「何で日本人はあんなに働くんだ?」と聞かれることが多かった。

日本で真面目に働いていない(もちろん普通に会社で働いていますよ)自分にとっては、正直、答える権限はなさそうなのだが、遠く離れたイラン人にそんなイメージされてしまっているのは、ちょっと恥ずかしかった。

イランの人たちは家族との時間を本当に大切にしている気がする。
特に時間があれば、仕事なんかせず、みんなでそこら辺の公園でピクニックをするような文化であることは、実際に行ってみてひしひしと感じた。

そんな雰囲気では、経済的にも強くなれないよなぁ〜と日本人は考えてしまいがちだが、別にイラン人は経済的に世界のトップを目指しているわけでもないし、家族と平和に暮らせらばそれで十分といった感じだった。
個人的にはその考えには賛成だ。

そもそも、イスラム教の社会は、弱者を淘汰する社会ではなく「助ける」という考えが定着している社会だ。
なので、日本のように弱者でも不自由なく生きられるように、十分すぎるほどの経済発展を目指す必要なんか無いのだ。

そんな国、どこかの「大国」が言っているように、本当に「悪」か?

結局のところ誰かから教わった「知識」は、そのまま鵜呑みにせず、自分で確かめてみるってことは、本当に重要だと思う。
他人の意見・捉え方と自分の意見・捉え方は全然違うかもしれない。

一度改めて考えてみる必要はないか?

最後に、正直なことを言おう。
イランはいろんな種類の観光ポイントがあるわけではなく、せいぜい「モスク」「庭園」「遺跡」があるぐらいって言っても過言ではないと思う。
食事もバリエーションがほとんど無く、「ケバブ with ごはん」か「煮込み料理 with ごはん」もしくは「ファーストフード」がほとんど。
なので「積極的にリピートすべき国か?」と言われるとかなりの点でそうとは思えない(あくまでも、個人的な意見です)

でも不思議なことに、自分は「また、近いうちに来たいなぁ〜」と感じる国だった。
今回は妻の仕事の関係で、一人旅だったのだが、是非とも妻を連れてまた来たいと思っている。

現在のところ、パスポートがらみで後々いろいろと面倒になってしまう国であるイラン。
しかしながら、それを超える「何か」が必ず得られる国であると個人的には思う。
機会があれば(というか、機会を作って)是非とも行ってみることをオススメしますよ! 

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