【コーカサス旅行記】Day6 アルメニアでデモに巻き込まれて八方塞がり!

旅はアルメニアに入国してところから始まる。

ジョージアの首都トビリシを出発したミニバスは途中アルメニアとの国境を超え、アルメニアの首都エレバンに行くバス。
各都市の位置関係はこんな感じ。

自分はエレバンまでは行かず、途中の「アラヴェルジ」という街でバスを降りた。
このアラヴェルジの街の周辺には世界遺産の教会群が存在する。

世界遺産の教会群を回る公共交通機関は無いようなので、タクシーをチャーターして回るしかない。

ということで、ミニバスを降りたところに、暇そうに知り合いを話しをしているおっちゃんがいたので「タクシー探してるんだけど・・・」と声をかけてみると「どこに行きたいんだ?」といった感じで会話が始まった。

結局のところ、このおっちゃんをチャーターすることとなった。

今回おっちゃんに回ってもらうのは「アクタラ」→「ハフパット」→「サナイン」の各教会で、その後アラヴェルジの南にある街「バナゾル」に行ってもらうことにした。
「チャーター代はいくらだったのか?」は完全に忘れてしまったが、大人一人を1日拘束するには妥当かな?もしくは安いぐらいかな?と感覚的に感じるぐらいだった。
決して「激安だ!」というほどの値段ではなかった。

おっちゃんの車は相当ボロく、ガソリン節約のためか?急な下り坂ではエンジンを切って走行するなど、一昔前の日本のような感じ。
自分はあまり車に詳しくないが、これまで見たことない車だったので「ソ連製の車かなぁ〜?」という感じだった。
仮にそうだったとしたら立派すぎる気もするが…

そんなこんなで早速チャーターしたタクシー(おっちゃんの車)で観光開始。

まずは、ジョージアからバスに乗って来たルートを少し戻る形で「アクタラ修道院」に向かう。

アクタラ修道院の入り口は多少崩れている(もしくはそういったデザインなのかもしれないが)立派な門がある。
そこをくぐると、だだっぴろい敷地ににポツンと佇む教会が現れる。

門から教会まではちょっと距離があるんだけど、その途中にはいろんなスタイルの「ハチュカル」がある。

ハチュカルとはアルメニアの教会にある、石に掘った十字架のこと。
我々が一般的に見るヨーロッパの教会にある普通の十字架が、アルメニアではこれにあたると考えてもらえば良いと思う。
要はこれが祈りの対象となる、

今後、アルメニア旅の中ではこのハチュカルが結構出てくるのでご了承くだされ。

アクタラの修道院は石造りでかなり立派な造りだった。
手を抜くことなくかなりしっかり作られた建物だなぁ〜という印象。

中に入ると、建物自体はかなりの年季を感じるのだが、その建物内に真新しい椅子と絨毯が敷かれていて対称的な雰囲気だ。

建物内部の壁を埋め尽くす歴史的な壁画がかなり美しい。
これはかなり見ものだと思う。

しかも、このアクタラ修道院は、この後訪れるハフパットやサナインと違って世界遺産ではない。
なので、あまり人気がないのか?自分が行った時には全然人がおらず(1人しかいなかった)、かなりゆったりと静かに鑑賞することができたのでオススメだ。

衝撃的なのはこの床。

この床、実はお墓なのだ。
床めいいっぱいにお墓が並んでいるので、不謹慎にもお墓の上を歩かなければならないのだが、死してもなお教会の役に立ちたいという人のお墓らしく、頭が下がる。

さて、アクタラからはタクシー(おっちゃんの車)を拾ったアラヴェルジの街の方へ戻り、途中から山に向かって登って行くと現れる「ハフパット修道院」へ。

ハフパット修道院はアクタラの修道院とは一転して、かなり賑やか。
入り口にはお土産屋が並ぶほど。
しかも大型バスで訪れるヨーロッパからのツアー客の団体とかもいた。

アクタラの修道院は建物がポツンと一つあるだけだったが、ハフパットの修道院は建物がたくさんあった。
石造りのしっかりとした建物はアクタラと同じ感じだった。

こちらも当たり前のように地面はお墓。
故人の肖像画とかが彫られてないだけましだとは思うが、その上を平気で歩くのはちょっと心が痛い。

石造りの建物は大きな窓を作ることができないので、どうしても暗い空間になりがち。
天井に開いた窓から差し込む光で中は独特の空気が流れる感じがした。

左側真ん中の写真でえは、地面びぼこぼこと穴が空いているのがわかる。
アルメニア自体はキリスト教の国だが、周辺にはイスラム教・ゾロアスター教等さまざまな宗教の地域があって、どうしても宗教対立の状況に陥ることがおおかった。

この穴には仮に攻め込まれても、聖書やその他の書類・資料等をこの穴に隠したといわれているのだ。
こんな環境を整えておかなければならないなんて、常に緊張感をもたなければならない地域なんだなぁ〜と思う。

それほど多くはないが、中にはハチュカルや壁画もある。
この辺ももちろん地面はお墓だ。

敷地はそこそこ広く、建物の周りをぐるっと歩ける感じになっているので、建物をいろんな角度から見ることができる。
自分だけのお気に入りアングルで写真を撮るのも良いかもしれない。

この修道院に来るまでには結構な坂を車で登って来た。
ということは、修道院自体は結構高い場所にあるので、結果的に見晴らしの良い景色が広がることとなる。

さて、ハフパットを後にし、次に向かうは「サナイン修道院」。
アラヴェルジの街にさらに戻るような経路をたどる。

途中の車窓から見えたアラヴェルジの街を走る路線バス。 オレンジの特徴的な形状で、屋根に燃料となるガスボンベを積んでいるのが特徴。

日本の道端でこんなバスが停まってたら、完全に廃車となった車が放置されているんだと思ってしまうようなボロボロ具合なのだが、どうやら現役の模様。

サナインとハフパットの修道院は世界遺産に登録されている。
というわけで、入り口にはちゃんと世界遺産を示すプレートがある。

サナインの修道院は背の高い建物が印象的。
ハフパットほどではなかった、それなりに観光客もいて、修道院の前にはお土産屋がいくつかあった。

建物は他の修道院と同様に石造りだ。


アクタラ・ハフパットと基本的には造りが一緒な感じ。
とはいえ、それぞれの修道院ではなんとなく違った特徴があるように感じる。

アクタラとハフパットは上から木漏れ日のように光が差し込む感じの造りだったが、サナインは出入り口が一つに決まってない感じで、ちょうどオープンテラスみたいな感じになっていて、多少の開放感がある。

建物の裏手にまわることもできる。

裏手は基本的に墓地になっている。

墓石にはおそらく亡くなった人であろう肖像画が彫られていて、まるで写真のよう。
これだけ忠実に、しかも石に肖像画を彫れる技術はすごいと思う。

こちらの家族は墓石に崖から落ちる車の絵が彫られていたので、自動車事故で家族ごと亡くなったのではないか?と思われる。

修道院の壁にはアルメニアの文字でなにやら彫られている部分もいくつかあった。
もちろん自分には読めないので、どんな内容なのか?はわかりませんが…。

サナインの次に、すぐ近くにある「ミコヤン」の博物館に行ってみようかと思う。

位置的にはサナイン修道院のすぐ近くで、こんな感じ。

ミコヤン兄弟とは、あの有名な戦闘機「ミグ」を設計した人物。
たぶんここら辺の出身なのではないか?と思われる。

彼らの博物館があるという情報だったので、興味があり行ってみたのだが、残念ながら閉まっていた。
まあ、ふだんから開いているのかどうかはかなり怪しい感じだったのだが…。

博物館の前にミグ戦闘機が展示されているのが、敷地外からでも見ることができた。

さて、アクタラ・ハフパット・サナインの各修道院を見終わったので、ここからさらに南にある街「バナゾル」に向かうことにする。

というのも、ここから直接エレバンに行くことも考えたが、計画段階で3つの修道院を見終わる時間が読めなかった。
最悪見終わるのが夜になってしまうと、エレバンに行けるかどうか?がわからない。
アラヴェルジに泊まれば間違いないのだが、そうなるとエレバンに行くミニバスとかがわかららない。
事前情報によれば、バナゾルからは定期的に確実にミニバスが出ているらしいので、そこまでたどり着いておけば、翌日エレバンには確実に行けるだろう、という目論見(もくろみ)でバナゾルに泊まっておくことにしたのだ。

チャーターしたタクシー(おっちゃんの車)でそのままバナゾルに向かってもらう。
途中、舗装されていない道路とか、工事中で足止めをくらったりした。

そんなこんなで、やっとのこと、バナゾルに到着。

おっちゃんは、バナゾルの街にはあまり詳しくないようで、とりあえず駅前で降ろしてもらい、確保していた宿までは歩いて行くことにした。

宿に向かう途中でシュワルマを売る店があり、そこでテイクアウト。
ついでにヨーグルトドリンクである「アイラン」も一緒に購入して宿で食べる。
具がいっぱいで美味しかった。

さて、確保してた宿でチェックインする時に、彼らのパソコンからなにやら演説をしている動画がライブで流れていた。
「なんでこんなつまんない動画ライブで見てんだろ?」とあまり気にもしていなかったが、この後、この演説が自分の予定を狂わすことになるとは…。

バナゾルの街をあまり観光するつもりも無く、情報も無いのだが、時間があるのでそこら辺をぶらぶらしてみようかと思う。

適当にiPhoneで地図を見ながらあるいていたら、近くに立派な教会があった。
「Surb Grigor Narekatsi」という教会らしい。

コーヒー豆は路地で直接売るタイプみたい。
ジョージアでも同じだった。

アルメニアに入国してSIMを買ってなかったので、SIMを買うことに。

日本でいうドコモやソフトバンクような携帯キャリアは、アルメニアでは「MTS」というキャリアがある。
地図ではもしかしたら「MTC」と書かれているかもしれない(キリル文字で「C」は「S」と読む)。
SIMの入ったパッケージが並んでいて買うだけか?と思ったら、ちゃんと対面式で係員とやりとりをして、何日のプランで何ギガのプランにするか?みたいなことを確認される。
んで、パスポートのコピーを取られ、センターと係のねぇちゃんがやりとりして、やっと買えるという意外としっかりした対応だった。

ちなみにMTSの携帯ショップはこの地図の場所の2件ぐらいを見つけた。
まあ、地図上で「MYS」か「MTC」で検索すればヒットすると思うが…。
いずれもバナゾルの駅から歩いて行ける距離。

さて、日付は変わって翌日。
本日はミニバスでエレバンに向かうことにする。

エレバン行きのミニバスはバナソル駅の前から出る。

駅のすぐ横にもミニバスが停まっていたので「ここか?」と思ったら、駅前の道路を挟んだ反対側の角に停まっているミニバスがエレバン行らしい。
とりあえずそこら辺でブラブラしている男性は係員かドライバーなので「エレバン行きたいんだけど」と言うと、「このバスだ」みたいな感じで教えてくれると思う。

エレバン行のミニバスは席が埋まれば出発となり、基本的に時刻表は無い。
時間に余裕を持って行動した方が良いと思われる。

さて、人数も集まり、いざエレバンに向かって出発。

ところがどっこい、1/3ぐらい走ったところでミニバスは休憩。
んで、運転手が乗客になにやら説明を始める。
もちろん自分は何を言っているのか理解できすチンプンカンプンなのだが、その後ミニバスは何故か来た道を引き返す。

「???」と思って、隣に座っている人に「このバス、エレバンに行くんだよね?」と尋ねると「NO」と。

『???」と思って「何で?」と聞いて見るも、どうやら「道がなんとかかんとか・・・」と言ってよくわからず。
しかも途中で道が一般市民によって封鎖されていて、戻るにも戻れない状況。
かなり待ったが通れる様子はなく、しびれをきらしたドライバは「そこ、道ぢゃ無いでしょ〜!」というあぜ道を強引に回って道路封鎖を切り抜ける。
あぜ道なので地面はボッコボコ。
車内で飛び跳ねて、天井に頭をぶつけるんぢゃないか?というぐらいに跳ねまくる。

その後もところどころで道路封鎖。
その度にドライバーは強引にあぜ道を探して回避する。

「なんか様子が変だ」と思ったが、何故こんなことになっているのか?がわからず。
最後にはバナゾルの中心地までミニバスが戻ることができず、途中で降ろされる始末。

どうやら、ちょっと前から始まったアルメニアの政変でデモが起こり、市民が道路を封鎖したりしているようなのだ。
ネットで調べてみると、大統領が退任後も首相の座に留まり、権力を保持しようとしていることに対しての市民の怒りがデモのきっかけになっているようだった。

そう考えると宿でチェックインしている時に流れていた演説のライブはどうやら、それがらみの演説だったようで、国民が注目していたんだと思われる。

それはそうと、これからどうしたら良いものか?完全に困ってしまった。
この状況では今日はエレバンに行くのは無理だろう。
道路が封鎖されている以上、タクシーをチャーターしても無理だと思われる。

とりあえず今夜の宿を確保しないと・・・と思って、昨晩泊まっていた宿へ。
「今日エレバンに行こうと思ったんだけど、デモで行けなくなっちゃって・・・。今日も泊まれる?」
と聞いて、なんとか宿を確保。

とりあえずネットでできる限りの状況を入手してみても、エレバンに移動できない問題を解決できる決定打となる情報は見つからず。
いつになったらデモは終わるのか?という情報はわからず、サイトによっては10日ぐらい続くかも・・・みたいな記載も。

「こりゃ完全にまいったなぁ〜」と思い、とりあえずFaceTimeで日本にいる妻に連絡。
その後、このままデモが続いて帰れなくなったり、通信環境を失って会社に連絡できなくなったりする最悪の状況を想定して、ネットがつながる間に会社の後輩に連絡し「自分が会社に来なかったら、これこれこうゆう理由で来れないので、上長に言っといて、しかも最悪の場合いつ戻るかわかんないから」と伝えておいた。

とりあえず恐る恐るバナゾルの街に出てみたが、デモ自体は通りがかりの外国人を攻撃したり、火炎瓶がとびかうようなものでは無く、交差点に車を置いて道路を封鎖するぐらいだった。
しかも、夜にはその封鎖も無くなっており、意外とゆるいデモだった。

なんとかバナゾルの街を抜け出してエレバンに行かないと・・・とその方法を考えつつ、貴重な丸一日を無駄にして本日は就寝。

トップへ戻る