【モンゴル旅行記】美仏像を見にモンゴルへ?!旅 後編

旅行時期 2019/9/21〜24

ガンダン寺を観光し終わったら、ここから市街中心よりちょっと離れた場所にある「日本人墓地跡」に行ってみる。
ガンダン寺からの位置関係はこんな感じ。
GoogleMapの経路検索でバスの路線が出ないのがかなり痛いんだけど、「歩き方」によれば27番のバスで行ける。
はっきりしたことは言えないが、おそらく28番・29番のバスでも行けると思うが、本数がそれほど無いかもしれない。

幹線道路から未舗装の道をちょっと登ると、こんな立派なプレートが設置された門が。

その門から丘に向かって未舗装の道をテクテクと登っていく。
ここは市街からかなり離れた場所で人里離れた丘陵地帯という感じだ。

墓地跡に近づいてくると、突然日本文化たっぷりの慰霊碑や地蔵などが現れる。「あれ?ここ日本だっけ?」と混乱してしまうぐらいだ。

この日本人墓地跡は、第二次世界大戦後に、モンゴルで抑留されたままなくなってしまった日本兵の墓地があった場所。
現在では、遺骨は収集されて日本に送られたので、ここにはないのだが、跡地に先ほどの慰霊碑などが建てられた場所なのだ。
このオブジェはおそらく当時のモンゴル領内にて日本兵が抑留された主な場所を示しているのではないかと思われる。

ここにはちょっとした小屋的な建物があったので入ってみた。

建物内部には、当時の抑留の内容や、その後ここを訪れた人たちの名前等が刻まれていた。

さらに奥に進んでいくと、中央にこんな感じの大きなオブジェがある。

このオブジェの下には花束とプレートが飾られていた。このプレートを読むと「日本国政府」とあるので、国の事業としてこの場所が整備されたようだ。

ここに来てみて何となく感じるのは、多分ここには日本人しか来ないんだろうと思う。
人里はなれた丘陵地帯なので、ウランバートルの街が一望できて眺めが良い。

日本人墓地のすぐ南側に「ダンバルジャー僧院」という寺があるようなので寄ってみた。

ダンバルジャー僧院はかつてはかなり多くの僧侶が生活していたのだが、一時廃墟になってしまった。
現在では、それほど活発な活動をしている感じではないが、修復・整備はある程度進んでいる感じ。
「歩き方」にも載っている観光ポイントだが、わざわざこれを見に市街中心から来るほどでもないかな というのが正直な感想。

日本人墓地跡やダンバルジャー僧院がある地区からバスで市街地に戻ってきた。
続いて向かうは国立ドラマ劇場。スフバートル広場のすぐそばにある。

国立ドラマ劇場はカラフルな色使いが印象的な立派な建物。
「歩き方」のコラム的な記述にここでモンゴルの民族芸能をやっているという情報だったので来てみたのだが、全くその気配無し。まあ、海外あるあるなんだけどね。
ちょうど、ここで日本人観光客と出会い(まあ、みんな「歩き方」を見て旅しているんで、行動は一緒になっちゃうよね)、「やってないっすねぇ〜」とお互いに首を傾げていた。

んで、歩き方によればもう一つの「Tumen-Ekh Folk Song and Dance Ensemble」というところでもやっているという情報だった。そちらではすでに開演時間は過ぎているんだけど「とりあえず行ってみる?」ということで、その日本人観光客と行ってみることに。
Tumen-Ekh Folk Song and Dance Ensemble は国立ドラマ劇場から歩いていける距離にある。

すでに開演時間は過ぎていたんで、ダメ元で行ってみたら、なんとか演目の間に会場に入れてもらえた。
さて、モンゴルの民俗芸能とは、歌や踊りなどを披露するもので、いかにもモンゴル的な衣装を着た朝青龍みたいな人が歌ったり、モンゴル独特の鬼のようなお面を被った人たちが踊ったりしていた。

まあ、観客はほとんどが欧米人やアジア人などの観光客ばかり(当たり前か)
個人的にはこういった「作られた観光」みたいなのはあまり好きではないのだが、他の観光客は食い入るように見ていた。
ほとんどは観光客が容易に予想できるようないかにも「モンゴル的」な歌や踊りなのだが、なぜか終盤に近くと、やたらセクシーな格好をした軟体女性がバランスをとりながいろんな演技をするという、個人的には若干「???」的な演出となった。
自分はモンゴルの伝統芸能に詳しくないので、これが伝統文化と関係があるのか?については不明だ。

さて、モンゴルの伝統芸能を満喫したら、日もとっぷりと暮れてしまったので、夕飯食べて寝ることにする。
夕飯はホテルの近くにあった「Mandu House」というお店に行く。

Mandu Houseはそこそこ綺麗なチェーン店っぽいお店で(多分チェーン店ではないと思う)、いろんな種類のマンドゥ(餃子みたいなやつ)がある。
適当に頼んでみたのだが、マンドゥの中身は当然「ラム」。
個人的に、ラムの扱いに慣れているハズのモンゴルだったら、臭みもなくおいしいラムだろうと勝手に想像していたのだが(実際自分が今まで行った中東や西アジアの、ラム肉を主に食べる国では臭みも無く美味しかった)、どうにもこうにも、モンゴルで食べるラムは、どこで食べてもかなり臭い。この店のマンドゥもかなりの臭さで、今までラムの臭さを気にすることはほぼなかった自分でも「これは臭いなぁ〜」と思わず言ってしまいそうなほどの臭さだった。
正直なところ、みせの感じはそこそこ良かったのだが、味の方はあまりオススメできない。

今日は朝から精力的に観光。昨日までで行けなかった観光ポイントに行ってみる。
まず向かったのは「Dashchoilin Monastery」

Dashchoilin Monasteryはお寺なのだが、建物の形状がゲル様式。

ゲル様式の建物は、いかにもモンゴルらしさがあって面白いが、我々が想像するゲルと違うのは、色が鮮やかってこと。

ゲル様式の建物の周りには、建物を取り囲むように配置された大量のマニ車がある。

ゲル様式の建物の中に入ってみる。
建物内には立派な仏像が鎮座する。

建物が円形なので、当然壁もぐるっと一周しているのだが、その壁一面には色鮮やかn宗教絵画が描かれて印象的。

急にモンゴルっぽくない仏像が敷地内にあったりして、若干頭の中が混乱する。

ゲル様式の建物はいくつかあるのだが、そのうちの一つでは、たくさんのお坊さんが一斉に読経しており、さらに一般の人たちが真剣にお祈りをしていた。
自分のような観光客には若干入りにくい雰囲気があった。

Dashchoilin Monasteryからはスフバートル広場近くにある「チョイジンラマ寺院に向かう」

寺院の入り口には、入り口と少し離れた場所に綺麗な彫刻が施された壁のようなものが設置されていた。

入り口のすぐ前に建っているわけでもなく、結構な距離を空けて設置されているので、ただの壁のように思える。
現地でもらったパンフレット的な物には防護壁のような役割であるような記載があったような記憶もあるのだが、忘れてしまった。
日本の戦国時代の城で言ったら「馬出し」のようなスペースを作り出す役割だったのだろうか?

チョイジンラマ寺院の建物は全体的にいんしょうてきで、日本とはちょっと違うが、確実に通じるものを感じ取れる建物だ。
こう考えると、やはり中国を挟んではいるが、日本とモンゴルは共通する文化をもった人種なんだろうというのが改めてわかる。

敷地内の入り口となる門から中に入ると、本堂っぽい大きな建物と立派な門を備えた建物が現れる。
さっそくその立派な門をくぐって本堂の中に入ってみる。

チョイジンラマ寺院は正確には「博物館」。
中には宗教行事で使われるお面や仏像などが、たくさん展示されている。

自分がここに来た目的はザナバザルの仏像を見ること。
しかしながら、ここも入場料は大した金額ではない(せいぜい数百円程度)にもかかわらず、写真の撮影料は何千円というレベルだったので、写真を撮る権利は買わなかった(特にザナバザルの仏像が展示してある場所には見張りのかかりいんを配置するほどの気合の入れようだったので、こっそり撮ることすらできなかった)。
写真はないのだが、やはりザナバザルの作品は素人の自分が見ても明かに「あっ、これザナバザルの作品だよね」と分かるほどの美しさ(曲線美)があって、かなり見応えがあった。

さて、チョイジンラマ寺院から次は街を南下って行き「ボクドハーン宮殿博物館」に向かう。

チョイジンラマ寺院からボクドハーン宮殿博物館へ徒歩で行くにはちょっと厳しい距離にある。なので、路線バスに乗る。
ウランバートルの正確なバス路線図が欲しかったので、事前にいろいろ調べたり、現地到着後もいろいろと探してみたが、結局「歩き方」を超えるような路線図が見当たらず。
路線図が無くともアゼルバイジャンの首都バクーのように、Google Mapの経路検索でヒットしてくれれば良いのだが、それもヒットせず。
写真のように、たま〜にバスの車体に簡単な路線図が貼られている時もあるが、あまり有効な資料ではなかった。
正直、現地の観光協会的なところのネットページでは、どこでも書かれてそうな「観光見どころ」を紹介するぐらいだったら、オリジナルの公共交通機関路線図とかを作成してアップしてもらった方が、旅行者にとってはずっとありがたいんだけどなぁ〜と思う。

ボクドハーン宮殿博物館へ向かうバスを待っていたバス停付近に不思議なものが。
「あ〜、よく見るゲルだね」と思ったら、よくよく見るとしゃりんが取り付けられている。これは移動式のゲルかっ?

ボクドハーン宮殿博物館近くの大きな交差点の脇に、こんなラクダのオブジェが。
ラクダを使ってシルクロードを行商していた昔の様子を表しているのか?と勝手に想像。
今は近代的な建物がたくさん建ってしまっているので、こんな風景があってもなかなか溶け込めないのだが、ちょっと郊外に出たら、こんな風景も溶け込んでしまう放牧の国なんだろうなぁ〜と思う。

そんなこんなで、ボグドハーン宮殿博物館に到着。
入り口は立派な門があって、その門には力強い絵が書かれていた。

現在は博物館になっているが、もともとはモンゴルの活仏である第8代ジェプツンダンバ・ホトクトのボグド・ハーンのために作られた宮殿。
なので、内部には宮殿に置かれいていたと思われる仏像や曼陀羅など、多数の品々が展示されている。

この宮殿博物館にもザナバザルの作品が大小数点展示されている。

こちらの作品においても、曲線の美しさが際立ち、ほかの作者の作品と比べても、素人の自分でも「あっ、これザナバザルの作品だね」と分かるぐらいの違いがある。

境内には「冬の宮殿」と呼ばれる2階建ての建物があって、こちらにも宮殿内で使われていたのであろう品々が多数展示されている。

宮殿内で使われていたと思われる家具などは、大きくてかつ美しいので見応えがある。

さて、ボグドハーン宮殿博物館から次はさらに南にある「ザイサントルゴイ」という場所を目指す。

ザイサントルゴイは丘の上にあって、そのふもとにはおしゃれなショッピングセンターがある。
しかし、そんなおしゃれなショッピングセンターにはにあわzない物騒な戦車が飾られていたり、明かに「戦勝」を祝ってそうなオブジェもあり、ちょっと不思議な感じ。

ショッピングセンターの横には丘の上に上がれる階段がある。ザイサントルゴイはこの階段を登っていかなければたどり着かないのだが、先が見えない階段で、登り始めからいきなりウンザリする階段。
最初は「こんなの楽勝だぜ」と思って登り始めたが、そのうち「これは登山か?」と思ってしまうようなキツさだった。

そんなこんなでやっとこさ目的地が見えるぐらいになってきたところで悲劇が。
なんと、隣のショッピングセンターから連絡橋のようなものが出ていて、そこからアクセスできるようになっていた。
ショッピングセンター内のエレベーターを使えば、こんな苦労することなくアクセスできたのだ。

そんな事実に落胆しつつも、すでにここまで登ってきてしまったので、そのまま観光する。
階段を登りきったところには大きなソ連兵士の像がお出迎えしてくれる。

ザイサントルゴイは、1971年に建てられた戦勝記念の施設。
モンゴル軍がソ連軍と共同で日本やドイツなどを倒したことを記念する施設だ。
建物は円形状の壁で作られていて、その壁には日本やドイツを倒したこと、そしてソ連と共同して戦ったことなどの絵が書かれている。
また中央にはモンゴルの灯「トルガ」が設置されている。
個人的な感想だが、こういった戦勝記念のものってのは、世界中にたくさんあって、いろいろ見てきた。
当時の勢いや国民感情からこういったものを建てるのは仕方がない行為だとは思うが、その後何十年と経過してから敵国であった相手との関係性が変わることは考えないのだろうか?と疑問に思う。
記念碑を作りたい気持ちはわかるが、こういったものを建てる金があるのであれば、将来そういった戦いが起こらないような努力にその金を投入して欲しいと思うのは俺だけだろうか?

とはいえ、ここは苦労して丘を登ってきただけあって、眺めは素晴らしい。

さて、ザイサントルゴイの麓にはおしゃれなショッピングセンター「Zaisan Hill Complex」があるので、特に目的は無いが寄ってみた。
先程も書いたが、ザイサントルゴイに登るのであれば、このショッピングセンターのエレベーターで昇り、連絡橋で渡るのが楽なのでそちらを使うことを是非ともお勧めする。

ショッピングセンターはごくごく普通のショッピングセンター。何となく暗い感じがあってあまり華やかで賑わっていない感じがするのは、やはり経済的に発展しきっていない国の特徴だなと思う。
ちょうどお昼時でおなかも空いていたので、フードコートで食事。
日本で言ったら「焼きそば」的なモンゴルの料理「ツォイワン」を食べたが、ここでも味はイマイチだった。
結局のところ、今回のモンゴル・ウランバートル旅で食べた自分の食事は、正直どれもこれもイマイチと感じたのは悔やまれるところ。

ザイサントルゴイから再び市街中心部へ戻る。
適当なバスに乗れば多分中心部までは簡単に戻れる。
「チンギス大通り(Chinggis Ave)」を北に走るバスであれば「歩き方」に載っている8番のバスでなくとも、市街中心部には戻れる。

スフバートル広場近くにある「モンゴル国立博物館」に行ってみたのだが、ざんねんながら休館日だった。
夏は休みなしだが、冬(9月16日〜5月14日)月曜と日曜が休みのようなので、注意が必要。

国立博物館に入れなかったので、仕方なしに「ビートルズ像」がある場所に行ってみる。場所はノミンデパートのすぐ近く。

ノミンデパートの前の道路を南側に渡ったところにはこんな感じの広場的な通りが南に向かって通っている。

そんな通りのど真ん中には、何故かこんな感じのビートルズ像がある。
リンゴの形をした壁にビートルズの像があるのだが、ビートルズ像があるのは壁の南側。一方北側には何か寂しげな感じでギターを弾く男性の像になっている。
ビートルズ側は華々しい感じで、反対側は寂しげな感じと対照的な感じになっているのだが、一説によれば、ビートルズ側は西側諸国(資本主義体制)を示していて、逆側は東側諸国(社会主義体制)を示しているのではないか?と言われている。

ビートルズ像がある場所からさらに南に行くとサーカス場があるようなので歩いて行ってみた。

この歩行者しか通れないようになっている通りは、ビートルズ像の他にも不思議なオブジェがいくつかある。

サーカス場に到着したが、本日はサーカスの予定は無さそうで、特に何も無かった。
ただ、建物にスタバのマークがあったので、そこら辺の人に「スタバある?」と聞いてみたが、「今日は休み〜」と。
でも、本当にスタバがあるのかどうか?は、正直怪しいと思う。
さて、そんなこんなで今回のウランバートル旅はこれでおしまい。
ガイド本によれば、モンゴル観光の目玉はゲルに泊まって馬に乗って、遊牧民の生活を体験することだと思う。しかし、今回は時間の関係でそんなことは全くしなかったし、ザナバザルの仏像が見たいという目的だったので、ウランバートルをブラブラするだけだった。
正直、ウランバートルだけでは(予想はしていたが)あまり心躍る感じではないなぁ〜というのが正直なところ。食事も美味しいものに当たることができなかったこともその原因のひとつかもしれない。
次回モンゴルを訪れる機会があれば、ガイド本に従って大草原を走り回るような(作られた)アトラクションを体験しても良いとは思うが、それはかなり先の話になると思われる。

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