【ウズベキスタン旅行記】Day5・6・7 ヒヴァまでの道のり30kmを たった25円で行く方法とは?

昨晩、サマルカンドから乗った寝台列車は、今日の目的地「ヒヴァ」に向う。正確にはヒヴァの北東方向に位置する「ウルゲンチ」という街に向かっている。

昨日の夜12時ぐらいにサマルカンドを出発した列車のウルゲンチ到着予定時刻は昼の1時ぐらい。朝起きてもまだ列車に揺られなければならない。

自分が乗ったのは2等のコンパートメントなのだが、寝台の詳細については「Day4(サマルカンド編)」にて書いた通り。
4人部屋のコンパートメントに自分含め二人だけだったので、結構ゆったりすることができた。

朝になると各コンパートメントに朝食みたいなものを売りに来る人(車掌だったのかもしれない)が来たのだが、言葉が通じないしあまり腹も減っていなかったので買う気はなかったら、同室の兄ちゃんがおごってくれた。

おごってもらったのはこんな感じの「揚げパン」。
中に微妙に「イモ」っぽいものが入っている。
んで、写真をみても分かる通り、薄い生地を揚げたものなので、日本人が朝から食べるには重いかな?といった感想。
べつに不味くは無く、予想できる味で美味い。

そんな朝食をおごってくれた同室の兄ちゃんはこの人。

見た目はイケメンでも何でもないが、かなり優しい人で、部屋の各設備の使い方とかシーツのやり方なんかを教えてくれた。とはいえ、彼は英語をあまり理解しておらず、現地語やロシア語の分からない自分とでは、意志の疎通はかなり困難。
しかし、Google翻訳とかジェスチャ、その場の雰囲気とかをフル活用して意志の疎通を図った結果、彼について分かった事実は以下の通り。

・娘が1人か2人居るみたいで、彼女の写真を見せてくれた。かわいい。

ざっくりとこんな感じ。ちなみにウズベキスタンの人たちと話すと、よく自分の子供の話になって、よく写真とかを見せてくれる。本当にかわいいんだろうなぁ~というのが、言葉は通じなくてもすごく伝わってくる。

あと、こちらでの寝台列車での時間つぶしは専ら(もっぱら)「クロスワードパズル」のようで、自分が出会った人たちは結構クロスワードパズルをやっていた。

そんなこんなで、列車は1時間か2時間ぐらい遅れて「ウルゲンチ」に到着。駅に到着したら同室の兄ちゃんは早速電話していた。急がないとっ!

そんな優しい兄ちゃんと別れて、バスを探す。ちなみにウルゲンチの駅も外観はかなり立派だが、駅舎らしいものは殆ど無く、ただただホームがあるだけって感じだった。

と駅を出ると相変わらずのタクシーの客引き(ウルゲンチが一番多かった気がする)壁を突破して、人の流れに乗っていると、当たり前のようにバス乗り場に到着する。
「歩き方」にも19番のバスと書いてあるが、バス乗り場には19番のバス以外は見かけなかったので、ここに来るバスは19番のバスだけなのかもしれない。
バスは2~3台待機していたので、乗り逃す心配は無用だと思われる。

ウルゲンチに限ったことではないが、ウズベキスタンのバスで、特に駅から出発するようなバスは、かなりギュウギュウの状態で出発する。なので、大きなスーツケースなんか持っていると結構キツイかもしれない。
まあその時はタクシー移動かな。
バックパックも通常通り後ろに背負っていると、多分スリの危険性は低いが、大きなバックパックが後ろにあると周りに対して結構迷惑なので、前側にセットしてから乗ったほうが良いかもしれない。

19番のバスはこんな道順で走り、バザール近くの大通りを走る。

バザールの南東方向にはこんな感じの立派な建物(スーパーかな?)があって、この建物を目印にすると、スマホの地図とか無くてもバザールにたどり着ける。

さて、バザールはタシュケント・ブハラ・サマルカンドで見てきたので若干飽きてきたのだが、今回はバザールを見ることが目的ではなく、この辺でヒヴァ行きのトロリーバスが乗れるという情報を信じてやってきたのだ。
そのついでにバザールも見学することに。

ウズベキスタンの人たちは、冬の間は必要以上に外出しないようにしているのか?街は閑散としているにも関わらず、バザールは例外で結構な賑わい。
食料なんかはもちろんのこと、生活雑貨なんかの扱いも豊富。

バザールの東側の領域に、バスが何台も待機するバスターミナル的な場所があった。
ここにいるバスが近距離バスなのか?それとも長距離バスなのか?は不明。

ここでも、日本ではあまり見かけない物もある。
写真左はメロンなのか?スイカなのか?ちょっと良くわからない農作物があった。
タシュケントやサマルカンドでもあった気がするが、ここウルゲンチのバザールは扱いがすごく多かった気がする。

ウズベキスタンで最もメジャーな肉はラム(もしくはヤギ)だと思われるが、鶏とかも多少ある。しかし鶏については基本的に冷凍物。中国人が見たら許せないんぢゃないか?と思われる。(中国人は新鮮な鶏肉を食べる習慣がある)

んで、ここにもあったハンパない量のパン。
「絶対こんなに売れないよね?」と思うのだが、売れなかったら作る必要もないので、これだけの量が売れちゃうんだろう。
不謹慎だが、もうパンでジェンガとかできそうな勢いだ。

さすがにサマルカンドナンのようなナンは、ほとんど見かけなかったが、ごくごくオーソドックスなスタイルのナンはここでも豊富。
あと、写真のような厚さが無く、平たく大きなナンとかも多く売られていた。

そして衝撃的だったのがコレ(写真上)。サモサを焼く釜がリヤカーみたいな物の上に「ドンッ!」と乗っていてい移動式になっている。
当然釜なので、中には火(炭)が入っているのだが、火災とか大丈夫なのか?と心配になる。

んで釜の写真を、少し離れた所から写真を撮っていたら、この釜の持ち主であるおっちゃんが「お~!にいちゃん、もっと近くで撮れよ~。中も見せてやっからよ~!」的な感じで呼び込むもんだから(多分買わせたかっただけだと思うけど…)、お言葉に甘えて釜の中の写真を撮らせてもらうことに…。

おっちゃんがフタ代わりの毛布をバッと開けた瞬間にものすごい湯気がモウモウとでて、頑張って写真を撮ったが下の写真のように、湯気で何を写したんだか分からない写真になってしまった。
かすかに釜の内部の壁に規則正しくサモサが貼り付いているのがわかる。

ウズベキスタンらしく、店頭でプロフ用の大釜を使ってプロフが作られていた。
もうすでに午後なので、多分作られてからだいぶ時間が経ってしまい、脂たっぷりで美味そうには見えなかったが…。

さてさて、ここに来たのはバザールを見に来ることが目的ではなく、ヒヴァ行きのトロリーバスに乗ることが目的。
ということで、そこら辺にいた兄ちゃんたちにトロリーバス乗り場の場所を聞いたことろ、事前に予想していた場所と全然違い若干戸惑う。

兄ちゃんたちは観光客感丸出しの自分をニヤニヤしながら冷やかしそうな感じで、一見すると感じは悪そうだったのだが、トロリーバスの場所を聞くと「ここをまっすぐ行って右だよ。上にトロリーバスの架線が見えるから」と意外にも丁寧に教えてくれた。

ということで、トロリーバスの乗り場はバザールの西側を通る道路沿いにある。人も結構いるので多分すぐに見つかると思う。
ちなみに「歩き方」に載っていたバス乗り場についての説明が全然よくわからない。サッカー場なんかあったかな?

というわけで、ヒヴァまで行くトロリーバスはこんな感じで緑が美しい車体。
トロリーバスの良いところは、実際に走っているところを見なくても、上に電車のように架線があるので「あっ、ここをトロリーバスが走るんだな」ということがすぐに分かる点。
最悪バス停が見つからなくても、その架線に沿って歩いていけば、どこかに必ずバス停がある。

ちなみに「歩き方」にはヒヴァまで2時間と書かれていたが、実際に乗ってみたらヒヴァに行くときもヒヴァから戻ってくる時にも、どちらもちょうど1時間ぐらいだった。
タクシーで行くよりは、全然時間がかかっちゃうが、耐えられない時間でも無いと思う。

このトロリーバスはウルゲンチからヒヴァまでの一本だけ。
途中でどこか別の場所に行くような分岐は無いので安心して乗ることができる。

地図を見ると、ウルゲンチからヒヴァまでは結構な距離があるので、この距離全部にトロリーバス用の架線をかけているなんて、結構気合が入っていたんだなぁ~と思う。

意外にもトロリーバスの車体はかなり綺麗だし、車内も壊されたり落書きされたような跡は見られない。
後から気づいた事なのだが、ウルゲンチからヒヴァまでと、反対のヒヴァからウルゲンチ間を地元の人は結構利用していて、大きな車体なのだが、結構ギュウギュウの状態で出発することになった。

とはいえ車内のマナーは結構良く、お年寄り等にはちゃんと席を譲る習慣があるようだった。ウルゲンチからヒヴァまでは、およそ30kmぐらいあるのだが、この距離を1000スム(2016年1月現在 約25円)にて移動できるので、超お得。

2日後にヒヴァからウルゲンチに戻る時にも同じくトロリーバスを使ってみた。その時に「トロリーバスはどこまで行くのか?」を調べるために乗り続けてみたところ、トロリーバスはウルゲンチのバザールを超えてしばらく行った所が終点のようで、そこで折り返し運転となった。
空港まで行ってくれればすごい便利なのだが、空港までは行かない模様。架線もなかった。

今回、サマルカンドからウルゲンチは夜行列車で入ったが、計画段階では飛行機で行くことも考えていた(ウズベキスタン国内線の料金はそれほど高くない)

その際、空港からヒヴァまでどうやっていくか?をいろいろ調べていたのだが、ほとんどの人が空港からタクシーで移動しているようだった。この時の相場は数十ドル程度のよう。

実際に自分でやってないので、こんなことを書くのは無責任かもしれないが、空港から最も安く行ける方法と思われるのが、空港からまずタクシーでウルゲンチのバザールまで行く。空港からはミニバスとかでも行けるとは思うが、都合よくミニバスが来るか不明だし、何番のバスがバザールまで行くのかが良くわからないので、タクシーを使った方が楽かもしれない(まあ、バスに乗る時に運転手に「バザール?」って聞けばいいんだけど…)。
個人的な感覚では、空港からウルゲンチのバザールまで10000スム(2016年1月現在 約2US$ぐらい)ぐらいあれば行けるんぢゃないか?と思う(←予想です)。
んで、バザールでトロリーバスに乗り換えれば、あとは25円でヒヴァまで行ける。
そうすれば空港から何十ドルも払わなくでもいいんぢゃない?というのが自分の提案。もちろん時間はかかるが…。

上手く行かなかったらゴメンナサイ。

トロリーバスのヒヴァ側の終点は、イチャン・カラの北東端の所。
「歩き方」の地図に乗っている場所が終点となり、そこからまた折り返し運転(正確には折り返しではなく、ぐるっと違う経路を通って戻る)でウルゲンチへ戻る。

この写真はヒヴァ側のトロリーバス終点の写真。

ウルゲンチのバザールの所にあるバス停は、人も多いし、待合用の椅子とかもあるのだが、ヒヴァ側の終点のバス停には待合所とかが無く、小さなバス停の看板がある程度。
ただ、トロリーバスが複数台停まっている場合が多い(トロリーバス同士は追い越しが出来ない)ので、それですぐに分かると思う。

トロリーバスのバス停は城壁のすぐ隣にあるので、バスを降りると目の前に城壁が現れて圧倒される。

トロリーバスのバス停は城壁の北東端にあるのだが、今日は西門近くの宿を確保していたので、早速向う。イチャン・カラの北側を回って西門方向に向う。

途中、北門の前を通る。それほど立派な門ではないが、この辺りにタクシーの運ちゃんがたむろっていて「タクシー?タクシー?」と声をかけられる。

まだまだ夕方ぐらいなので時間は早く、今日はただただ移動しかしていないのだが、今日はイチャン・カラ内部を観光せず宿でのんびりすることにする。宿の近くにスーパーマーケットがあったので、夕食の食材的なもの(できれば惣菜的なもの)が入手できないか?と思って行ってみた。上手く手に入れば部屋でゆっくり食べれば安くあがる。

スーパーは薄暗かったが、それなりに人はいた。しかし次の日に訪れるイチャン・カラ東側にあるバザールが大きいからか?ほとんどの人はそちらを利用するようで、スーパー自体の品揃えはすごく良いわけではなく、お菓子やインスタント食品、パスタ、乳製品等、バザールではあまり売っておらず、長期間保存できる系の物が多かった。バザールとの住み分けがそれなりにできているってことか?

というわけで、残念ながらその日の晩にすぐ食べるような惣菜的なものは全然ナシ。そういえば2日前にタシュケントからブハラへの夜行列車の中で同室となった兄ちゃんは、味の濃い大きなソーセージをおかずにしてナンをバリバリ食べていたのを思い出した。確かにこちらでは大きなソーセージ的な物がたくさん売られていた。

郷に入っては郷に従えというし、自分も今晩の夕食はソーセージをおかずにしてナンをバリバリ食う事に決定。幸い、サマルカンドで買ったナンが大量に余っていた。ついでにチーズも購入。ソーセージは太くて長いのだが、スーパーでは係員に「このぐらい」と適当な量をアピールすれば、その分をカットして量り売りで売ってくれる。

ソーセージは味が濃く、正直ナンが無いと食べられないと言っても過言ではない感じ。脂たっぷりでちとクドいのだが、それなりに美味しい。チーズは普通。若干柔らかめだが食べやすい味だった。

そんなこんなで、移動だけだったが、5日目は終了。明日はイチャン・カラ内部をのんびり観光する予定。

日付は変わってこの旅は6日目。今日は丸一日時間があるのでゆっくりっとイチャン・カラを観光する。とはいえ、朝から行動してしまう。

ということで、宿からすぐのところにある西門へ。ここでチケットを買う。イチャン・カラの城壁内部は基本的にチケットが無くても見学することは可能。北門・東門・南門はチケットブースが無いので完全にスルーだが、西門にはチケットブースがあるので、そのまま通過しようとすると「チケット持ってんの?」と愛想悪く聞かれる(時もある)。とはいえ、基本的に内部は無料。

しかしながらイチャン・カラ内部にあるメドレセや宮殿、モスクなんかは西門で買うチケットが無いと見れない。しかも観光客が集まる幾つかのメイン的な観光ポイントは、各場所の入り口で別料金を払わなければならないので、若干納得がいかない。

自分のつたない英語で理解したところによると、チケットは当日限定かと思いきや、3日間見れるらしい。だったら、昨日ここに着いた夕方からでも見れば良かったと思うよ(結局時間は全然余ったけど…)。
ここで買うチケットの料金は忘れてしまったが、結構高かった。先に言ってしまうと、ここで買えるチケットで見れる部分は、全然大した事無いものばかりで、単に金銭的な数字が高かったというよりも「割高だった」と言ったほうが正しい。

城壁外の西門の隣(南側)には、ヒヴァ出身の数学者「ムハンマド・アル・ホレズミ」の像があった。ウズベキスタンではこういった像が多いが、単に王様や政治家ばかりではなく、学者や文化人の像も多く、そういう系の尊敬すべき人を大切にする文化があるのか?と思う。

この像のさらに南側には「THE SILK ROAD PROJECT」と書かれた、シルクロードを解説した看板がある。

シルクロードはヨーロッパや中東付近と中国東方までを結んでいた交易路。中央アジアはこのウズベキスタンを通っていて、ここヒヴァやサマルカンドは重要な交易拠点でもあったことが地図で解説されていた。しかし地図のクオリティーが若干低く「もうちょっと金かければいいのに…」と思ってしまうような看板だった。

寄り道をしてしまったが、チケットを買った西門から早速イチャン・カラ内部に入る。

イチャン・カラとはこの地方の昔の都市形態を示し、城壁内部に都市を形成したスタイル。このスタイルはこのヒヴァが有名なのだ。内部は居住区はもちろんのこと、宮殿、モスク、メドレセ、ミナレット等が集まっている。観光はすごく楽だ。

西門からイチャン・カラ内に入ったすぐのところには、こんな感じで内部の地図があった。ちなみに、この地図はタイルで作られていた。このぐらい金をかけたら「お~!」という感じはする。

西門からまっすぐ進むとまず見えてくるのが「カルタ・ミナル」

わざわざ探さなくても、こんな感じで「目に飛び込んでくる」といった感じだ。遠くから見てもその大きさに圧倒される。

カルタ・ミナルの「カルタ」とは「短い」と言う意味らしく「短い塔」ということになる。とはいえ実際は全然短くなく、結構な高さで26mもあるらしい。
本来は109m程度まで高くするつもりだったらしいが、いろいろな事情で結局中断。現在の高さに至るそうだ。

カルタ・ミナルは青が美しいが派手すぎず落ち着いた感じがする塔だった。噂によれば登ることもできるらしいのだが、自分はその事実を帰国後に知ったため、完全にスルー。

カルタ・ミナルは遠くから見ると青がとても美しいのだが、本当に近くに寄るとクオリティーは若干微妙。正直「作りこまれた」感はあまり無い。こうゆうものって、当時の「公共工事」みたいなものだろうから、そうなるとこんなもんなのかな?とも思う。

カルタ・ミナルの隣には「マトニャズ・ディヴァンベキ・メドレセ」がって、入り口の部分には世界遺産のマークもあったのだが、その上にはおもっきし「RESTAURANT」の文字が。若干「???」な感じだったのだが、早い時間すぎて中に入ることもできなかったので、どんな感じなのか?については若干不明。

カルタ・ミナルの北側には「キョフナ・アルク」があるので行ってみた。

キョフナ・アルクは当時の王様(権力者)の居城だった所。城壁に囲まれたイチャン・カラだが、キョフナ・アルクはその中にあってもさらに城壁で囲まれている。

入り口の門は、このスタイルが当時の門としての標準スタイルだったのか?西門・北門・南門と同じような造りで立派だった。

キョフナ・アルクは単に当時の権力者の家というわけではなく、内部には王様としての執事をする場所や、兵器庫・造幣所等もいろいろあったらしい。

そんな中、観光の目玉としてはこの写真の「クリヌッシュ・ハーンのアイヴァン(テラス)」。カルタ・ミナルとは格の違う美しい模様の青いタイルで覆われている。

この建物自体は17世紀に建てられたのだが、一度壊されてしまったために現在見られるものは19世紀に建て直された物。

建物の内部はこんな感じで当時のものを展示した博物館になっているのだが、細かい説明とかが無く、しかも英語表示しているものもほとんど無かったので常に「???」な感じだった。

キョフナ・アルク内には「アク・シェイフ・ババの高台」という見張り塔みたいなものがあって、そこからイチャン・カラ内が一望できるということで行ってみたが、ここに登るのには特別料金が取られる。しかも入り口のおばちゃんは「城壁をグルっと歩ける」的な事を言っていたような気がするが(英語が微妙だった)、実際は全然歩けず納得できない。

ネットでは賞賛している人も結構いたが、個人的には「別に登らなくてもよかったかな」というのが正直な感想。

クリヌッシュ・ハーンのアイヴァンと似たような感じだが、キョフナ・アルク内には「夏用モスク」というものもある。

夏用モスクもクリヌッシュ・ハーンのアイヴァンと同じく綺麗な模様の青いタイルで覆われていて美しい。こちらはモスクなので、多くの人がお祈りできるように広いスペースが備わっていた。

モスクなので、メッカの方向を示すくぼみもちゃんとある。この辺の装飾はかなり手が込んでいる感じがする。

壁の模様はこんな感じ。かなり精巧に作られている感じがする。
さすがに王の居城だけあって、少しの妥協も許されなかったんだろうなぁ~と思う。
(建て直されているので、当時はどうだったのかは分からないが…)

さて、キョフナ・アルクを見終わったら、これと対面するように建つ「ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセ」に行ってみた。

ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセは、その名の通りメドレセ(神学校)だったようなのだが、現在内部は歴史博物館で詩集や武器、当時の国旗などが展示されていた。

ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセからはイチャン・カラ内をふらふらと歩き、南側にある「バフラヴァン・マフムド廟」に向う。

バフラヴァン・マフムド廟はメドレセのような立派な門構えの奥の方にドームがチラ見する廟(お墓)。
混みいったイチャン・カラ内のさらに混みいった感じの地域に鎮座する。

バフラヴァン・マフムドは、毛皮職人・詩人・哲学者、そしてウズベキスタン武道の名手でもあったため、バフラヴァン(強者)と呼ばれていたそうだ。

敷地内への入り口の門は立派だったのに、敷地内に入ったら、正面にさらに立派な建物が見える。
他の施設にはそれほど観光客や地元の人がいなかったのだが、ココにはかなりの人がいた。
しかも地元の人っぽい人が多かった。

靴を脱いで中に入ると薄暗い空間が広がっていて、まず正面に見えるのがムハンマド・ラヒム・ハンの霊廟。
内部は全体が綺麗な模様の青いタイルで覆われていた。

中に入って左側には小部屋があって、そこに入ると正面にバフラヴァン・マフムド廟がある。
正面には格子状のドアがあってその奥に墓石らしきものがあるのだが、人々はその格子状のドアの手前でお祈りする。
結構真剣にお祈りしている人が多く、格子状のドアにはお金等が差し込まれていたりした。

かなり小さめの部屋に真剣にお祈りをする地元の人々。そんな中にド観光客丸出しの自分は「こんなとこに居ていいのか?」という感じで、かなり居心地が悪かった。

さてバフラヴァン・マフムド廟の敷地内には「飲むと男は強くなり、女は美しくなる」という泉がある。これだけ聞けば飲んでみたいところだが、「歩き方」によれば「衛生上飲用は勧めない」と書いてあり「こんなこと書かれたら絶対飲めないよね」ということで飲まず。

冷静に考えれば、水ぐらいで強くなんかなれないと思う。

バフラヴァン・マフムド廟から東側に進むと、一際高いミナレットが見えてくる。
このミナレットの横にあるのが、イスラーム・ホジャ・メドレセだ。

イスラーム・ホジャ・メドレセは、こんな感じで、これまた立派なメドレセ。
ヒヴァのイチャン・カラでも結構重要な観光ポイントだからか?このメドレセの前には何件かのお土産屋が並んでいた。

と、メドレセよりも目を引くのが、このミナレット。ヒヴァにあるミナレットの中で最も高いミナレットなのだ。

ミナレット単体の写真では、その高さが分かりにくいと思うが、こんな感じでメドレセと並べて撮ると、その高さがなんとなく分かると思う。
下の方に微妙に写っている人と見比べれば、その大きさは一目瞭然だ。

ということで、まずはメドレセの中を見学する。

ここでビックリしたのは、このメドレセの中は、かなりまともな博物館になっていたこと。
「どうせお土産屋だろ?」と思いながら入ったもんだから、かなり驚きだった。

メドレセの各部屋は写真右のように長い廊下でつながっていて、各部屋に展示物が展示されている。
残念ながら、各展示物の説明があまり無く、何かしらのコンセプトに従って順番に展示しているような感じでもなかったので「これ、なんだろう?」的に全然わからなかった。

このメドレセは他のメドレセと同様に中庭を備えている。
このメドレセは珍しく1階建ての造りになっていた。

メドレセの横にあるミナレットは別料金を支払えば登れるということだったので、登ってみた。

で、このミナレットを登る際の注意点だが、まず中が超暗いので懐中電灯必須ということ。
自分もこれについては事前情報で知っていたのだが「とはいえ、全然大丈夫ぢゃないの?」と思っていたが、最終的にはiPhoneの懐中電灯機能をフルに使って登っていた。

そして、内部は超狭い。幅方向に狭いことはもちろんだが、上下方向にも狭いので、頭をぶつけそうになるのはもちろんのこと、自分はこの時小さなリュックサック(トレイルランで使うような超ちんけなやつ)を背負っていたのだが、それですら上に当たるぐらいだった。通常のバックパックなんか背負っていたら絶対に登れないと思われる。
あまりにも狭いので、上りの人と下りの人は絶対にすれ違えないと思われる。

で、ミナレットの外観から分かる通り、上まで続くこの狭い空間は超長い。
自分が運動不足ということもあるが、かなり息があがるので、上に着いた時には、息を整えるのが大変で、景色を楽しむどころではない。

そして、これが一番の難関だが、下りが超恐いこと。
冬のジメッとした季節ということもあったのかもしれないが、階段が結構滑り、しかも暗いため、油断すると踏み外す。しかも階段がかなり急なので、踏み外すと命の危険すら感じる。
自分は途中で踏み外し、派手にすっコケて転落している最中「これ、マジで一番したまで転落して大怪我するんぢゃね?」と思いながら落ちた。幸い数段落ちただけで助かったが…。

というわけで、基本超危険なので、足腰に自身のない方にはあまりオススメできない。
しかも、次の写真を見れば一目瞭然だが、苦労して登ったところで確かに景色は良いのだが、目の前に広がる景色は、ただただ土色の景色が広がるだけだ。

というわけで、苦労したミナレットの頂上から見える景色はご覧のとおり。

あれだけの高さから見るだけあって、確かにその景色は素晴らしい。
しかしながら、見える景色の基本は「茶色ばかり」というのは正直な感想。

しかも、苦労しても頂上の展望台はこんな感じで閉塞感があって、窓には当然のごとく格子がしてあり開放感は全然無い。
景色の写真を撮るにも、この格子の外にカメラを出して撮らないといけないってことは、正直に書いておくことにする。

続いて向うのは「ジュマ・モスク」。
ミナレットから少し北に行ったところにある。

ジュマ・モスクに向う途中には、先ほど見たバフラヴァン・マフムド廟の裏手を通ることになるのだが、バフラヴァン・マフムド廟の周りには幾つかのお墓があった。
サマルカンドのシャーヒズィンダ廟群の周りにもたくさんのお墓があった(Day4・サマルカンド編参照)が、有名人の周りにお墓を建てるのが習慣なのかもしれない。

そんなこんなで、ジュマ・モスクに到着。ジュマ・モスクにもミナレットがあるが、先ほどのミナレット程の高さは無い。このミナレットにも登ることができるそうだが、別料金がかかるので、自分は登らず。

ジュマ・モスクはミナレットよりもモスク内部の方が印象的だ。
こんな感じで薄暗い空間に無数の柱が並んでいる。太陽の光は中央にしか当たらないので、神秘的な空気をかもしだしている。

これだけの柱が並んでいると、お祈りの時邪魔ぢゃないの?と心配になる。

この柱には一本一本に彫刻が施されているとガイド本には紹介されていて、実際、写真左のように、細かい彫刻が施された柱が多い。
しかしながら、写真右のように、いくつか「面倒なので、仕事サボりました」的な柱もあることは事実。

さて、続いては、ジュマ・モスクの北東に位置する「タシュ・ハウリ宮殿」に行くことに。

タシュ・ハウリ宮殿は1830年頃アラクリ・ハーンによって建てられた宮殿で、最初の方に見た「キョフナ・アルク」に匹敵する宮殿として建てられたもの。

公務を行う謁見の間やお客をもてなしたり、宴会を行う場所や、ハーレム等で構成されている。
中庭の中央には井戸もあったりする。

タシュ・ハウリ宮殿はキョフナ・アルク程広くはないのだが、その豪華さはキョフナ・アルクより上だと言われている。

というのが、ガイド本に書かれているような内容なのだが、実際、確かに天井等に装飾は素晴らしいが、写真下のようにところどころタイルが剥がれてしまっている所があるのは若干残念。
まあ、こんな近くで写真が撮れてしまうぐらい近づけるので(実際には触れる)、剥がれてしまうんだと思われるが…。

さて、ここでイチャン・カラの外にあるバザールも覗いてみようと思う。
ヒヴァのバザールはイチャン・カラの東側にある。

で、この後イチャン・カラの外側をちょっと散歩するのだが、やはり街中(まちなか)には人が少ない。
しかしながらバザールには「ヒヴァの住人が全員いるんぢゃね?」ってぐらいの人が居た。

何の前触れもなく、いきなりグロテスクな写真を載せて申し訳ないが、決して自分に変な趣味があるわけではない。

海外に行くとこうやって我々が普段口にしている肉には「命への感謝」があることを思い出させてくれる。
日本にいれば「うほほ~い! 肉だ!肉だ!」と言いながら、そういったことを都合よく忘れてしまっているが、実際にはこの写真のような犠牲に上に成り立っていることを忘れてはいけない。

そういった意味でも、こういった風景を見られることは海外旅行の醍醐味だと思うし、
今回あえておもいっきり載せてみることにした。

内陸に位置するウズベキスタンでは、市場でなかなか「海鮮」というのは見られない。
あって、こんな感じで多分淡水魚と思われる魚がひっそりとあるぐらい。

とはいえ、一応地面にビニールは敷いているものの、全然食べたくならない感じで魚が売られているのは、魚がメジャーじゃない国の文化なのだろうか?

ヒヴァのバザールで特に気になったのが、こんな感じで大量の綿花油が売られていたこと。

かつてのソビエト連邦政治体制下では、生産は基本的に計画生産なので「どこで何を作るか?」ということまで決められていた。
例えば、ウクライナでは武器や小麦を主に生産していた。
ソ連崩壊後にはそれぞれの商品を生産していた国が別々になってしまって、結果的にいろいろな問題が出てきてしまっているという一面もあるが…。

そんな生産の役割として、ウズベキスタンでは綿花の生産が盛んであって、現在でも主要産業の一つ。そんな流れもあって綿花油が豊富なようだ。

綿花油は価格が安いらしく、ウズベキスタンの料理として有名な「プロフ」も大量の油が使われているが、その油はこの綿花油が使われている場合が多いそうだ。

しかしながら、日本人の体内にはこの綿花油を消化する酵素が少ないらしく、日本人が大量に摂取すると、お腹を壊すことがあるそうなので、注意が必要。

しかもこの寒さでほとんどの油は明らかに固形化していた。

と、そんなプロフを作る専用鍋か?と思われるものも売られていた。

そして、ここでも見かける「移動式サモサ焼き釜」。さすがにコレを見るのは2度めなので、今回はそれほど驚かなかったが・・・。

何人か地元の人がこのおばちゃんのところでサモサを買い求めていたので、自分も買ってみることに。

ビックリするほどではないが、そこそこ美味い。
どうやらサモサはどこで食べても中身の構成は ほぼ変わらず、味のバリエーションもあまり無い模様。
外の皮が微妙にパイっぽくなっているのが不思議なところ。

さて、バザールを一通り見たら東門の前を通って南門を見に行くことに…。

ということで、まずはバザールのすぐ近くにある東門へ。

東門はそれなりに立派な門で、東門の周辺には特にお土産屋が多く出店していた。

この東門周辺では、かつて奴隷が売買されていたとこのこと。奴隷となった人は近隣の住人や南下してきたロシア人で、奴隷を買っていたのはトルコ部族や草原のカザフ族らしい。

東門から城壁に沿って南下していけば、自然と南門にたどり着ける。
南門もかなり立派な門。
門の両側には立派な塔が鎮座する。

と、南門からさらに南側を見ると、この南門と同じような門が見えたので「なんだ?ありゃ?」と思って行ってみることに。
歩いてほんの数分の距離。

ヒヴァのイチャン・カラは、かつては2重の城壁で囲まれていた。
現在では外側の城壁はほとんどなくなっているが、ここ南門のさらに南側に少しだけ残っている。
そんな外側の城壁付近に南門とそっくりな門があった。
おそらくここが外側の門だと思われる。

そんなこんなで、外側の南門から北上し、内側の南門からイチャン・カラ内部へ再び入る。
イチャン・カラ内をさらに北上していくと、先ほど登ったイスラーム・ホジャ・メドレセ付近に出た。

イスラーム・ホジャ・メドレセ前に出ると、周りがなんだか騒がしい。
なんだ?なんだ?と思って見たら、どうやら結婚式らしく、ウェディングドレスを着た新婦と新郎がこちらの方に歩いてきて、その後ろをぞろぞろとたくさんの親族、もしくは友人といった感じの人達が歩いてきた。

イチャン・カラ内のどこで結婚式をやったのかはよく分からないのだが、イチャン・カラ内を練り歩いて、各ポイントで記念写真を撮るんだと思われる。
そんなこんなで、イスラーム・ホジャ・メドレセ前でも少し立ち止まって記念写真を撮っていた。

新婦の方は晴れ姿の今の自分に自信満々といったオーラが出ていた。一方、新郎の方は全然オーラナシ。
どこの国でも同じなんだなぁ~と思う。

そんな新郎新婦にビッタリ付いて写真を撮る専属のカメラマンは結構大変そう・・・。

そんな予想外の光景を見たら、続いてイチャン・カラ内をさらに北上していくことにする。とりあえず一番北にある北門を目指す。

ここまで紹介してきたメドレセなんかは、ガイド本に載っているような超有名ポイントばかり(もちろんそうゆうところしか自分は書けないのだが…)。
しかしイチャン・カラ内はこれだけにとどまらず、ガイド本に詳細が載っていないようなメドレセなんかはそこらじゅうにある。

はっきり言おう。正直飽きる。

例えば、外国人が日本に観光旅行に来たとする。そして、有名だからといって、期間中ず~っと瓦屋根の日本家屋を見るようなものだ。もしくはお寺や神社を見続けるようなもので、詳細な部分で違いはあるかもしれないが、全体的な構成はどこも同じなのだ。
詳細な違いは日本人でも分かりにくいのに、外国人だったらもっとわからないだろう。
その逆がここで起こっているようなものだ。

というわけで、ウズベキスタンに来たら、あまり頑張ってメドレセ回りとかしなくても良いと思う。適度に感動しているぐらいで抑えておいた方が良い。と思うのは自分だけか?

というわけで、イチャン・カラ内を南門から北門まで歩いてみた。

ここで、北門からイチャン・カラの外に出て、ヒヴァの街を徒歩で歩ける範囲で散歩してみようかと思う。

と、北門から無駄に遠回りをして、とりあえずヌルッラバイ宮殿まで歩いてみた。

と、街ではこの寒い時期に営業しているんだかしてないんだかよくわからないような店がそこそこあって、その中でもウェディングドレスを売る店が何軒かあった。この寒い時期は結婚式シーズンなのか?

ウェディングドレスのディスプレイ方法は至って単純。
外にじか置きだ。

この時期、ウズベキスタンは正直あまり天気がよろしくない。
そんな関係で地面(土)は結構ドロドロしていて、車なんかは超汚いのだ。
日本で言ったら雪解け時期の雪国地方といった感じ。
そんな感じなところに白いウェディングドレスをドン!と置いてしまっているので、微妙にウェディングドレスが汚くなっている。
多分何日も置いているんだろう。
こんなでいいのか?と心配になってしまう感じだった。

ヌルッラバイ宮殿へ行く途中に、こんな銅像を発見。

土台の部分に何も書いてなかった(気がする)ので、誰だか分からないのだが、ウルグベクさんかなぁ~?と勝手に想像する。ウズベキスタン銅像多し。

ヌルッラバイ宮殿は「宮殿」というよりも「立派な建物」と言ったほうが正しい感じ。
外観に派手さは無いので、すごく目立つような建物ではないのだが、よくよく見ると立派。

んで、中に入ると驚いた。

綺麗な絨毯が敷かれていて、壁も天井もまるでヨーロッパを思い浮かばせるような感じの美しい模様で飾られている。
ウズベキスタンでたくさん見てきた模様と全然違う。

観光客が一人も居なかったこともあって、静かなで荘厳な空気が流れていたのも、ここの印象を良くした一因かもしれない。

そして、大きなシャンデリアがあるのも、今までのウズベキスタン旅では全然見なかった物の一つ。これまた豪華。
ヨーロッパの宮殿のようだ。

今まで同じようなものばかり見てきて、少し飽きてきた自分にとっては、かなり新鮮に感じた観光ポイントでもあった。正直オススメ。

と、お腹も空いてきたので、ヌルッラバイ宮殿付近には数軒のチャイハナ(喫茶店のようなもの)があるそうなので、行ってみることに。

冬のウズベキスタンの難しいところは、店が開いているのかどうか?が非常に分かりにくいところ。確かに「歩き方」に書いてある場所に数軒のレストランぽい店があったのだが、どれも「これ、廃墟ぢゃね?」と思われるような感じで、ほぼほぼやっているような感じは無かった。

ところが一軒の店の前で、ねぇちゃんがシャシリクを焼いていたので「やってる?」とジェスチャーすると、どうやらやっているような感じだったので、中に入ってみた。

中に入ると、当たり前のように客が一人もおらず。不安になるわ。

んで、これまた当たり前のように出てくるパン。
ナンではなくてパンだった。
そう、市場で「これ、ジェンガとして遊べるんぢゃね?」と不謹慎にも思ってしまうほど大量に積まれていたのと同じパン。

で、一口食べてみると(食べなくても見た目ですぐに分かるのだが…)、これがビックリするほどパサパサのパンで、口の中の水分をみんな持ってかれる感じだった。
このパンをスープに浸して食べたら、すんごい汁を吸うんだろうなぁ~という感じ。
日本の食パンと全然違う。

続いて出てきたのはスープ。そしてモツ(?)の煮込み。

この日は結構な寒さだったし、この店の中はあまり日が入らない感じだったので、このスープの温かさが体に染みて美味かった。
基本ウズベキスタンのスープにハズレは無いと考えて良いと思う。
ただし、店によってに違いは ほとんど無く、どこで食べても同じという感想でもある。

そして、モツ(?)の煮込みは「いやぁ~、海外でモツはお腹的に危険かなぁ~?」とビビりながらもとりあえず食してみた。
結果的にこの後お腹を壊さずに済んだのでラッキー。

味の方はクセがあるか?と思いきや、全然クセもなく普通に美味い。
中央に乗っていた生のタマネギ(自分はあまり生のタマネギが好きではない)が、ちょっと「ぐにょ」っとしたモツの食感に対して「シャキシャキ」感を与えてくれて嬉しいところ。

スープも煮込みも、先ほどのパサパサのパンを浸して食べるといい感じだった。上手く考えれられているのかな?

スープには、こんな感じで麺みたいなものも入っている上に、野菜も結構入っているので、食べごたえは十分。

んで、この店での注文はかなり苦戦した。

というのも、英語は全く通じ無かったから。
結局のところ、店の前にこんな感じのメニューの写真が並んでいたので、これで注文。
これが無かったら、かなり厳しかったかもしれない。

この店のねぇちゃんはやたら鶏肉のグリルみたいな物を勧めてきたのだが「それって、値段が高いからでしょ」と思って結局頼まなかった。

食事が終わると、またあてもなくイチャン・カラの外をブラブラしてみた。

またまたこんな感じのモニュメントが置かれた公園を発見。
結構狭い範囲に何個もモニュメントがあって「そんなに必要か?」と思ってしまう。
ちなみにどのモニュメントにも「これは○○という人で、○○の理由で建てられています」的な説明は全然無いので、ド観光客には全然分からない。

イチャン・カラの北西側端の方へ向かってブラブラ歩いてみる。

ヒヴァはそこら辺に畑的な土地がたくさんあったのだが、この寒い時期では、さすがに農作物的な物は作っておらず、その代わり土壌改良をしているのか?そこら中で堆肥を撒く作業をしていた(おかげで街中はところどころ堆肥臭かったのだが…)

で、その堆肥を撒く作業は公共工事なのかわからないが、同じ色のベストを着たおばちゃん達が行っていた。
この写真はその風景。

ちなみに、ウズベキスタンのおばちゃんは陽気で、こんな感じで遠くからおばちゃん達の様子の写真を撮っていても、手を振ってくれる。
「どこから来た?」的なことを聞かれるので「ヤポン!(日本だよ)」と答えると、「おーヤポン! おしん!」と、世界中で超有名な「おしん」を口にするおばちゃんが結構居た。すごいよNHK。

イチャン・カラの北西側端には、これまた銅像が。

ブハラでも同じような格好をした銅像があったので、戦争関係のモニュメントなんぢゃないか?と勝手に想像。

ヒヴァの主要な観光ポイントは、ほぼ見てしまったなぁ~と次に行く場所を探してガイド本を見ていたら、イチャン・カラの外に「アブダール・ボボ廟」という場所があるみたいなので、行ってみることに。

今いるイチャン・カラ北西端から、西門へ向かい、イチャン・カラ内を西から東へ突っ切って行く。

相変わらず「歩き方」には情報が載っているだけで、地図は載っていない。というわけで、イチャン・カラから遠いのかと勝手に思っていたら、イチャン・カラのすぐ近くで、バザールの敷地を超えたすぐのところだった。

「歩き方」に書かれていた期待を持たせるような文言(もんごん)とはかなり違ったので、最初は「えっ?これかな?」と思うほどだった。しかし、そこら辺のオッサンに「アブダール・ボボ廟」ってどこ?って聞いたら「ココだ」と。どうやら間違いないらしい。

敷地内には所狭しと墓石みたいなものがたくさんあって、「どれがアブダール・ボボのもの?」とよく分からない感じだった。

アブダール・ボボ廟からは、あてもなくふらふらと北東方向に歩いてみた。
すると大通りを超えた所にローカルなバザールを発見。

当然「歩き方」にも載っていないようなバザールなのだが、こちらは衣料品とかが多く揃ったバザールで、逆に食料品とかはほとんどなかった。

そんなこんなで、ヒヴァの見たい所はほぼ見終わってしまったので、この旅の6日目は終了。

日付は変わって、この旅の7日目に突入。今日はほぼヒヴァからタシュケントへの移動のみで終わる予定。

まずは、適当な時間にイチャン・カラ北東端にある「歩き方」にも載っている、トロリーバスのバス停に向う。
トロリーバスのバス停には常に1台か2台のトロリーバスが居るのでわかりやすい。
ちなみにバスの正面上には「ウルゲンチ」「ヒヴァ」「ウルゲンチ」と現地キリル文字で書かれているので安心。
写真の文字を参考にしていただきたい。

バスは時刻表通りに運行するタイプのようで(時刻表はどこにも掲示されてないんだけど)、ミニバスのようにギュウギュウになったら発車するわけではない模様。

自分が乗った時は発車までまだ時間があるようで、バスの中で座って待っていたら、バスの横でトロリーバスの架線と触れるパンタグラフ(?)の接触部分の消耗部品をドライバーのおっちゃんが交換していた。
メンテナンスはちゃんとしている模様。ちょっと苦戦してたけどね。

ということでヒヴァはから空港があるウルゲンチまでトロリーバスでのんびり移動。
ヒヴァからウルゲンチまでもちょうど1時間ぐらいで到着した。

ウルゲンチまでの道は、ほぼ一本道。
街はそこそこ栄えているが、街と街の間はこんな感じの田舎道的な、のどかな風景が広がる。
途中にちょいちょい住宅街があるぐらい。

さて、最初の方でも少し書いたが、現在目指しているのは空港。
トロリーバスが空港まで行ってくれればいいな と思いながら、とりあえずトロリーバスがどこまで行くのか?を確かめるために終点まで乗り続けてみたところ、ウルゲンチのバザールを超えてしばらく行ったところまでしか行かなかった。残念。

というわけで、トロリーバスの終点からは、てくてく歩いてい空港に向う。

空港までの道は、こんな感じでかなりの大通り。
しかしながら走っている車の数はあまり多くなかった。

道の両側には結構お店とかが並んでいるのだが、こちらもやはり冬だからか?全然空いておらず。
結局バザール付近以外は、結構寂しい雰囲気だったウルゲンチ。

大通りを空港に向かって歩いていたら、半分ぐらい歩いたところで、運よくバスが通りかかり、急いで乗る。
一応乗る時に「エアポート?」と聞いたら「お~、乗りな乗りな」的な感じだったので乗った。
回りの人達はみんなやさしく、席をわざわざ空けて座らせてくれた。

そんなこんなで、微妙に楽をしつつ空港に無事到着。
建物が2つあったので、「どちらかが国際線で、どちらかが国内線だろう」と思っていたら、結局のところ1ヶ所しか入る場所がなかったので、国際線も国内線も同じ建物から出る模様。
相変わらず空港の敷地内に入るにも警察官がセキュリティチェックをする。
しかし、ここのチェックはパスポートチェックだけで、荷物チェックが無いので楽。
当然建物内に入る時には荷物のX線チェックがあるけどね。
X線チェックなので、タシュケントの地下鉄に乗る時みたいに、バックパックの中身を全部出すような必要はナシ。

と、空港で予想の斜め上を行くトラブルがあったら面倒なので、国内線にも関わらず国際線ばりの余裕を持って空港に来てみたところ、全然人がおらず。

とまあ、空港の待ち時間でたっぷり本を読んだりして過ごしたら、とりあえず出発時間になる。
なんとなく手続きとかに時間がかかったりするかなぁ~?と、悪い予想ばかりしていたが、結局のところ何のトラブルも無くあっさり搭乗。

空港には搭乗橋とかあるわけでもなく、建物から飛行機まではわらわらと歩いて行く。
こうゆう感じは個人的にすごく好き。

普通、飛行機が空港に停まる時には建物に向かって停まっていたりするが、この飛行機はすごく中途半端な場所にすごく中途半端な向きで停まっていたので「なんでだろう?」と思ったのだけども、この空港から飛ぶ飛行機が少ないので、着陸したらターミナル近くの適当な場所で停まって乗客を下ろし、同じ場所でまた次の乗客を乗せ、飛行機を牽引することなく、そのまま飛行機の自走で滑走路へ行けるようにしているんだと思われる。

「あ~、地方の空港だったら、その方式、日本でもアリだね」と、ちょっと感心。

ということで、飛行機は時間通りにしっかり出発。
1時間ちょいでタシュケントに無事到着。

今回乗ったのはウズベキスタン航空で、ネット上にはいろいろな意見はあったのだが、全然問題ない感じだったよ。

タシュケントの空港は国内線と国際線はターミナルが分かれている。
国内線と国際線のターミナルをつなぐ通路とかシャトルとかは無く、おもいっきし滑走路を挟んでしまっているので、ターミナル同士の行き来はかなり困難。路線バスかタクシーを使うしか無い。

国内線のターミナルから宿までは、バスで移動するつもりで、国内線のターミナルを出てちょっと歩くとバス停らしきものが見えてくるので、バスを待つ。

バス停に書いてある案内によれば、このバス停にも「歩き方」に書いてある11番のバスが停まるようなので、バス停で待っていると、なかなか11番のバスが来ない。
んで、77番のバスが通りかかり、バスが自分の前で停まったのだが、自分は11番のバスに乗りたかったので、首を横に振ったのだが、運転手と車掌が「乗れ」と。「いや、オレは11番のバスに乗りたいんだよ」と言うと「ハムザ駅まで行って、そこから地下鉄だ」と言うので、とりあえず乗ってみることに。

んで、乗る時車掌に「ぢゃあ、ハムザ駅に着いたら教えてね」と頼みつつも、iPhoneのオフラインマップアプリ(maps.me)で現在位置を確認しながら乗車。
この辺かなぁ?と思っていたら、車掌がちゃんと「ハムザだよ」と教えてくれた。

その後は地下鉄の面倒なセキュリティーチェックを受けつつ、宿へ向う
(地下鉄の超面倒なセキュリティーの件については、Day1・2を参照)

何も考えずそのまま宿に来てしまったが、そういえば夕飯を食べてなかった。

今日は移動だけで大して疲れてはいないのだが、もう気持ちは完全に帰国モードになっていて(明日の夜帰国予定)、そう遠くまで食べに行く気力も無いので、宿のおばちゃんに「この辺でオススメのレストラン無い?」と聞くと、「大通りを渡った向こう側に何件かあるわよ」と教えてもらった。

一応、念のため「何という名前の店か教えて」と言うと「えっ?店の名前なんか気にして見たこと無いわ。とりあえず大通りに出ればわかるわよ」と言われ、とりあえず行ってみると、確かに何件かのお店が並んでいた。

俺:「・・・(汗)」

またかよぉ~! といった感じで相変わらずメニュー無し。ウズベキスタンで地元の人しか行かないようなローカルのレストランに行くと、基本的にメニューが無いので注意が必要。
「歩き方」の食事メニューの写真が載っているページなんかは絶対に持って行った方が良いと思う。でないと注文時にさらに苦労する。

というわけで、メニュー表が無いなか、苦戦しながら注文したのがこちら。

といっても、ウズベキスタンでの食事メニューと行ったら、ラグマン・プロフ・シャシリク・スープがメジャーな所。とりあえずこれのどれかを言えば大抵ある。

あと、左上の「ノリン」という食べ物は、ベトナムフォーみたいな米(?)で出来たような麺にひき肉とスライス肉が混ざっていて、味はすごくしょっぱい。ノリンには自動的にコンソメ的なスープが付属されるので、このスープに浸しながら食べるとちょうど良い濃さとなる。
個人的にはあまりオススメのメニューでは無い。
とはいえ、物は試しなので、一度食べてみたらどうでしょう?

さて、長かった今回のウズベキスタン旅も明日で終了。そして帰国。

明日は帰国便までの時間、タシュケント市街をブラブラとあてもなく歩いてみますよ。

これまでとこれからのウズベキスタン旅
Day1・2 タシュケントでは地下鉄もバスも25円で乗り放題だったぁ?
Day3 ブハラは半日もあれば全部見れちゃうコンパクトな観光地だった!
Day4 シルクロードの街サマルカンドを一日で回りきってみよう!
Day5・6・7 ヒヴァまでの道のり30kmを たった25円で行く方法とは?
Day8 「歩き方」にも載ってない「古本市」の情報を確かめに行ってみた!

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