【ミャンマー旅行記】Day7・8 スーチーさんちに行ってみた!

話はゴールデンロックからヤンゴンに戻って来て、アウンミンガラーバスステーションからシュエダゴンパゴタに向かっているところから続く。

ローカルバスを降りて、シュエダゴンパゴタの入り口(東口)に向かう。

入り口の両脇には大きな狛犬みたいなのが鎮座しており、入り口から伸びる参道はかなり賑わっている。道路の両脇には単純に食べ物を売る屋台なんかもあるが、お供え物の花なんかを売る屋台も多い。

シュエダゴンパゴタの入り口は東西南北それぞれにある。
我々は東口から入る。
タクシーなんかでシュエダゴンパゴタに向かうと、違う入り口に行くと思う。

さて、今後はこのシュエダゴンパゴタの全体図(この図)が何度も出てくるのでお付き合いください(シュエダゴンパゴタで配布されるパンフレットに載っていた図)。

東口から境内は、こんな感じで長い長い階段が続く。
階段の両脇にはお土産屋やお供え物を売る店がひしめき合っているが、常に人が来る場所だからか?商売っ気はゼロで、全然呼び込みもしてこない。

階段を登りきったところで外国人は8000チャットの入場料を徴収される。
以前来た時は、もっと安かったような気がするが・・・。
8000チャットは正直高すぎるぞ!と思うのは俺だけでは無いハズ。

そんな不満を抱きつつも境内に入ると、中央には立派なパゴタが鎮座する。
さすがに8000チャットを取るだけのことはある。

シュエダゴンパゴタは結構広く、見どころもたくさんあるので、まずどこに行こうか?と迷ってしまうのだが、我々は北側にある「シンイッサゴーナ堂」に向かう。

ミャンマーでは有名な錬金術師である「シンイッサゴーナ」が寄進したと言われるもので、たくさんの立仏が柱のところに立っていて、中央奥にも仏像が鎮座している。

シンイッサゴーナ堂のすぐ手前には「ボーボーアウン堂」がある。
この周辺は結構入り組んでいて、いろいろな「堂」がいくつもあるので、ガイド本と照らし合わせても「どれがどれなのか?」というのがイマイチわかりにくいのだが、よく見ると、それぞれの堂に英語の看板があるので、注意してみれば今見ている「堂」がどれなのか?というのは、なんとかわかると思う。

「ボーボーアウン堂」は、こちらも錬金術師である「ボーボーアウン」が寄進したと言われる「堂」だそうだ。

先ほどのシンイッサゴーナ堂とはテイストが全然異なる。

シンイッサゴーナ堂やボーボーアウン堂の北側にはちょっと小さめのパゴタがあるのだが、その裏側にはシンマティ堂というのがあるので、ぐるっと回って行ってみる。

シンマティ堂も錬金術を取得したと言われるウェイザー・シンマティが寄進したと言われるものだ。
ミャンマーではそんなに錬金術師が多いのだろうか?

近年の目覚しい経済発展を遂げているミャンマーなのだが、街中には結構なATMがあった。
以前来た時にはそんなになかった気がするのだが・・・。
んで、驚いたのは、このシュエダゴンパゴタの境内にもATMが設置されていたこと。
しかも1台だけでは無く4台も。
そんなにお金を下ろす必要があるのか?

とはいえ、街中でうまいことATMが見当たらなければ、シュエダゴンのATMでお金を下ろすってのも一つの手だと思う。
境内には4ヶ所、この図の丸で囲った場所にATMがあり、しかもそれぞれ違う銀行のATMなので、お金を下ろす必要がある人は参考にしていただきたい。

境内ではたくさんの人が一斉に地面のモップがけをしていたりする。
これも功徳を積む一環なのか?

シュエダゴンパゴタはヤンゴンのメイン観光ポイントと言っても過言でない場所なので、なんとなく観光客がメインの場所だと思いがち。
しかしながら、実際のところは地元のミャンマー人もたくさんいる。
寺院へのお参りが生活の一部に完全に組み込まれているんだろうなぁ〜という感じ。

ただ、シュエダゴンパゴタにお参りに来る地元の人の特徴は、どの人もだいたい生活レベルが高そうな人たちばかりという点だ。
服装なんかが割ときっちりしており、ロンジーなんかも高そうな生地のものを着ている人が多い。
なんとなく、ヤンゴンの中心部に住むということは、それなりにステータスが高くないと無理なのかなぁ〜というのが垣間見える。

ミャンマーでは「八曜日」という考え方が一般的で、お寺にお参りする際には結構重要となる。

八曜日とは自分の生まれた日の曜日によって、自分がお参りする祠が変わったりする。
自分が生まれた曜日はGoogleなんかで自分の誕生日を西暦から入力して「曜日」等のキーワードを追加して検索すればすぐにわかる。

八曜日には方角も決まっているので、こんな感じの配置で各曜日の祠が並んでいる。
ややこしいのは、曜日と方角が順番でないという点。

ちなみに、八曜日には対応する動物も決まっている。
そして、それぞれの祠にはその動物の像があるので、それを目印として自分の八曜日の祠を探すのもありだ。

そんなこんなで、我々も自分の曜日の祠でお参りする。
祠に置かれている仏像と、動物の像にお水をかけてお参りするスタイル。

ちなみに、私は金曜日。そして妻は水曜日の祠にお参り。
水曜日は「午前」と「午後」に分かれているので注意が必要。

先ほど「動物を目印にして探せば良い」と書いたが、実はここにも落とし穴があって、よくよく動物をみると「これ何? もぐら?ネズミ?」と、若干判別しにくかったりする。

でも心配する必要はなく、ちゃんとそれぞれの祠の上の方に英語で曜日が書かれている。
ちなみにこれは「水曜・午前」

中央の大きなパゴタをぐるっと囲むように、小さな祠がびっしりと取り囲む。
もちろんそれぞれの祠には、ちゃんと仏像が収められている。

そんなこんなで、祠を眺めながらブラブラして次に向かったのは境内の南西側にあるボーボージー祠とゾージー祠。

「ボーボージー」とは「おじいさん」という意味らしいのだが、パゴタを守ってくれる精霊だそうだ。
パゴタのあるエリア一帯を守ってくれるパワーがあって、人々の厚い信仰を集めているらしい。

ボーボージー祠の前には大きな石が3個あって、願い事をする前とした後でその石が軽くなっていれば、願いが叶うと言われているらしいのだが、自分は正直軽く感じなかったので、おそらく願いは叶わないと思われる。

ゾージー祠は操り人形に登場する「ウェイザー・ゾージー」の装飾を施したお堂らしく、ガイド本の「るるぶ」に載っていた写真では真っ白な屋根飾りが載っていた。

我々はその写真を頼りに探していたのだが、全く見当たらず。
「おかしいなぁ〜」と見回っていたら、どうやら現在ではこの写真のように人形部分に彩色されているようだった。
まあ、色がついていた方がわかりやすいので良いのだが・・・。

続いて向かうは、ゾージー堂から北側に少し行ったところにある「チャンタージー大仏」

チャンタージー大仏の特徴はその大きさだと思う。
とにかく「デカイ」の一言に尽きる。
写真ではなかなか分かりにくいのだが、そのデカさの割に狭いもんだから、写真を撮るのも一苦労で、ちゃんと、全身が映るように撮るのはなかなか難しい。

オレンジ色の布を纏っているのが印象的で、体の造りを見ることはできない。

さてさて、境内をブラブラしながら次に向かったのは、南口の近くにある「翡翠仏」

翡翠仏はその名の通り「翡翠」でできているらしく、結構最近寄進された仏像だそうだ。

ミャンマーは実は宝石大国。かなりの種類と量の宝石が取れることで有名。
そんなミャンマーらしく翡翠で作られた仏様なのだ。

シュエダゴンの境内にある仏様はたくさんあるのだが、それぞれ「○○に効果がある」と言われている像がいろいろある。

そんな言い伝えのある像の一つで「子宝祈願の像」に行ってみる。
場所は南口から少し東側に行ったところ。

この写真で「子宝祈願の像」と言ったら、いかにも中央にある電飾された仏様のように思えてしまうのだが、実はこれでなく、その両側にある二体の像。

元々は豊作祈願の像としてお祈りされていたものなのだが、現在では子宝の像として注目を集めている。
像は二体あって、男児を抱えた像に祈願すると男児を授かり、ハスを持つ像に祈ると女児が授かると言われている。

子宝を祈る人たちでさぞかし混み合っているのだろうと勝手に想像していたのだが、全然人はおらず、我々は普通に通過してしまっていた。

子宝祈願の像からさらに東側に行った奥の方にあるのが「バダシン像」

この像は「ビジネス成功の祈願」に力があるそうで、見た目はかなり立派な像。
真剣にお祈りしている人も結構いた。

シュエダゴンパゴタに来た時はまだまだ明るい時間だったのだが、色々な仏様を見ていたり、途中のスコールで雨宿りしていたりと時間を取られ、気づけはすっかり暗くなっていた。

しかしながら、夜にライトアップされるパゴタはなかなか綺麗で、ミャンマーの人たちが必死にお祈りする気持ちもなんとなくわかるなぁ〜というのが正直な感想。

シュエダゴンを十分に満喫した我々は、43番のバスが走る大通りまで歩いて行き、そこから適当なバスに乗る。43番のバスだったら確実にダウンタウンに行くので問題ないのだが、短気な自分は「まあ、そっち方向に向かうバスだったらダウンタウンに行くっしょ〜」と軽い気持ちでミニバスに乗る。

ちなみにミニバスに乗る時にはドライバーに「ダウンタウン?」と大きな声で聞いてみたが、ドライバーには英語が通じないようで「はぁ〜?」という顔をされてしまった。

しかし、そこは人の良い国民性を持つミャンマー人。バスに乗っている他の客で英語の通じる人が「ダウンタウンに行くよ〜」と教えてくれ、我々は安心して乗ることができた。
ちなみにその彼は、日本語を勉強しているらしく、日本語がかなり上手だった。

ダウンタウンのスーレーパゴタ付近で降りた我々は夕飯を食べに「歩き方」にも乗っている「ダニュビュー」というお店に向かう。

「歩き方」によればダニュビューは「評判の良いビルマカレーのお店」ということだった。
店はオープンカフェ(カフェとはほど遠いが・・・)みたいな造りになっていて、店内に入ると一番奥に並べられているカレーの所に連れて行かれ、カレーやその他の副菜を選ぶ。
んで、テーブルで待っていれば、カレーが運ばれてくるシステム。

我々は店員が勧めるカレーを完全に無視して、その時の気分で食べたいカレーを注文。
ちなみに何を注文したのか?は完全に忘れてしまったが、多分ポークかマトンぐらいだと思う。
まあ、そんなに種類も無く、大体は「ビーフ」「ポーク」「マトン」「チキン」「エビ」「魚」ぐらいが定番。

特にびっくりするほどでもないが、普通に美味いカレーだった。

カレーを頼むとライスとスープ、そして山盛りの生野菜が普通に付いてくる。

我々はカレーだけではちょっと物足りないので、ちょっとした野菜の炒め物も頼んでみた。
まあ、普通の炒め物なのだが、野菜を食べることができてちょっとホッとする。

ここまでミャンマーを旅してきて、うすうすは感じてきたことなのだが、ミャンマーは食事のバリエーションが少ない。もちろん観光客向けの高級レストランとか行けばそんなことはないのだが、現地の一般庶民は、朝はモヒンガー、昼はテイクアウトのモヒンガー的な物。そして夜はカレーだ。

ダニュビューはミャンマーでもちょっとハイセンスなカレー屋のようで、そこそこステータスの高そうな現地人が食べていた。
我々は食べている時も、1組の家族(6人ぐらい)が入ってきて、店に入るなり着席。
座った途端に当たり前のようにカレーが運ばれてきて「えっ?注文した?」と思うほどだった。

おそらくカレーが当たり前でバリエーションはないんだなぁ〜というのを感じ取れる一コマだった。

そんなこんなで、ゴールデンロックから帰ってきて、シュエダゴンパゴタを見ただけの一日なってしまったが、この旅の7日目が終了。明日はこのミャンマー旅の最終日だ。

日付は変わって、この旅の最終日である8日目に突入。

本日は、ヤンゴン市内をあてもなくブラブラしよう!という日にすることに。

この写真はホテルの部屋から撮ったものなのだが、よく見てみると、古い建物と近代的なビルが混在しているなぁ〜というのがよくわかる。
アジアのラストフロンティアとして、ここ数年で急速に発展してきたミャンマー。
発展することは良いことだが、その発展によってミャンマーの宝である、あの優しい国民性がスレてしまわなければいいなぁ〜と思う。

そんな発展を続けるヤンゴンだが、外資の投資も盛んになってきたためか、街を歩いているとこんな感じで「居酒屋」と書かれた店もある。
現地駐在の日本人を狙った店かな?

さて、まずは腹ごしらえから。

ミャンマーの朝食はやはり「モヒンガー」だ。「歩き方」に載っていた「ミャウンミャ・ドーチョー」というモヒンガーの専門店が美味そうだったのだが、歩き方で紹介されていた場所はシュエダゴンパゴタの近くだった。「う〜ん、ここ(チャイナタウン付近)から食べに行くにはちょっと遠いなぁ〜」と思いながらネットで調べて見たら、チャイナタウン近くにもあるようで、早速歩いて行ってみることにする。

ミャウンミャ・ドーチョーの外観はこんな感じで、店内に入ってみると100%地元民だった。

朝から結構賑わっており、次々とお客さんが入ってくるので、味は間違いなさそうだ。

店内に入って席に座ると、注文を取りに来るでもなく、いきなりモヒンガーが運ばれて来る。
メニューはどうやらモヒンガーだけのようだ。
逆に注文に困難しないだけ、言葉の通じない我々のような観光客にはありがたいとも言える。

テーブルの上にはあらかじめ、パクチーやライム等のトッピングが置かれているので、運ばれてきたモヒンガーに自分でお好みの量を載せれば良い。

さて、肝心のお味は?というと、このモヒンガーはかなり美味い。
さすがにモヒンガー専門店ということだけはあるなぁ〜という実力。
この旅の中でも1・2位を争っていると言っても過言ではない美味さだ。

モヒンガーでお腹を満たした我々は、続いてスーパーマーケットに向かう。

というのも、この時自分は少し体調を崩しており、喉が痛かったので飴でも買おうか?と思っていたのである。

「Chinatown City Mart」というスーパーで、先ほどのミャウンミャ・ドーチョーから歩いて数分の所にある。店内は結構な品揃えで食料品の他にも日用雑貨や化粧品の類までしっかりと陳列されていた。ちなみに目的の飴を買うためにお菓子コーナーに行ってみると、こちらもかなりの種類のお菓子が陳列されているのだが、ほとんどのお菓子は輸入品のようだった。

輸入品か?それともミャンマーオリジナルか?というのはパッケージを見れば一目瞭然で、ミャンマーオリジナルのお菓子は、パッケージがかなり貧相。

さてスーパーを一通り見た我々は、スーパーの前の道路で適当なバスに乗ってスーレーパゴタの方向に向かう。

バスは市民の足として重要な役割を担っているようで、ほとんどのバスは結構な乗車率だ。
まあ、料金も安いし、チョイ乗りでも使うんだろうと思う。

ダウンタウンを東西に走る道路はこんな感じで東方向の一方通行と西方向の一方通行になっているので注意が必要。
歩きだったら一方通行は関係ないが、バスに乗るのであれば、行きたい方向に走る道路まで出なければならない。
我々は、東方向に向かうバスに乗車。

「このバスはどこに行くんだろう?」と不安になりながらもバスに乗ったが、スーレーパゴタを過ぎたちょっと先でバスを降りる。まあ、自分の行きたい方向と違う方に向かったら、その時点で降りれば問題ないので気軽に乗れる。

バスの車窓からこんな感じの中国式お寺を発見。

ミャンマーは敬虔な仏教国だが、他の宗教に対しても寛容なようだ。
(ロヒンギャの問題とかは除いて)

スーレーパゴタの東側でバスを降りた我々は、ダウンタウンを南の方向に歩いて行く。
その先にあるのは青空市場。

スーレーパゴタの西側に位置するインド人街やチャイナタウンは結構混沌としていて、カオスな感じが否めない。しかしながら東側の地区はカオスな感じはあまりなく、どっちかと言えばちょっとステータスが高い人達が住んでいるんぢゃないか?と思うような町並みだった。

そんな町並みの先にあるのが青空市場。

道路の両脇にお店(と言っていいのか微妙だが)が並んで降り、結構な賑わい。

まあ、東南アジアでよく見かけるスタイルの市場で、道路の上にシートなんかを敷いて、その上に野菜やらをじか置きするスタイル。

それにしてもこんな量を1日で捌き切れるんかいな?と思うような量ばかりだ。

野菜に限らず、魚や肉も普通に売っている。

ちなみに、バガンの市場では、ひいちゃうぐらい魚や肉にハエがたかっていたのだが、このヤンゴンの市場では全然ハエがたかっていなかったのが不思議。
予想に反して衛生的に結構綺麗な街なのかもしれない。

こうゆうところでは、何となく同じものを売る店が集まるような並びをするのが普通だが、この青空市場は結構フリーダムで、魚の隣で石鹸を売る店が並んだりしていて面白い。

青空市場が並ぶ道路の一番南側でそこそこ賑わった店があったので近づいてみると・・・

カットドリアンを売る店だった。

ドリアン好きの我々は迷わず購入。ここのドリアンはよく見られるような大きなドリアンではなく、手のひらサイズの結構小さめのドリアンだった。

店のおっちゃんがカットしてビニールに入れてくれる。ちなみに我々の時はおもっきし失敗し、下に落としてしまったのだが、謝ることはなく、落ちたやつもそのままビニールに入れた。
まあ、自分も抗議はしなかったが・・・

買ったドリアンをそこら辺の道端ですぐに食べる。

良く熟れたドリアンはねっとりしていて甘くて美味い。
よくテレビなんかで「どぶの臭いがする」とか言っているが、あれは絶対に嘘だ!
正直、個人的には日本でもメジャーになって欲しいフルーツの一つ。

そんな青空市場がある通りのすぐ横には「中央郵便局」がある。

ヤンゴンダウンタウンの見どころはいくつかあるのだが、そのうちの一つとしてイギリス植民地時代のコロニアル建築が挙げられる。中央郵便局はそのコロニアル建築の一つ。

コロニアルとは「植民地」という意味で、植民地時代に見られる建物のことを「コロニアル建築」と言うそうだ。

中央郵便局は、かつて貿易会社のオフィスだったのだが、1930年の地震で郵便局が壊れてしまい、この建物を政府が購入。そして郵便局にしたと言う歴史がある。
現在も郵便局として機能している。

この日は基本的にお休みの日だったのだが、一応内部も見ることができた。
まあ、外観が綺麗ですな。

さて、そんな中央郵便局から、ブラブラと歩いてスーレーパゴタ方向に行く。

スーレーパゴタの南東側には公園のような広い土地があって、その公園のさらに南東の端には公衆トイレがある。ヤンゴンの町歩きをしていて、トイレに行きたくなったら、この場所を覚えておいても良いと思う。

このトイレは有料なのだが、中は予想に反してかなり綺麗。

どのぐらい綺麗か?と言うと、妻が女性用のトイレに入ったら、トイレの中で地元の人が料理をしていたそうだ。
その話を聞いた時「何で?」と思ったが、どうやらコンセントから電気が取れるらしく、その電気でIHヒーターを使い、炒め物をしていた模様。
流石の妻もその光景を見てびっくりしたそうだ。(そりゃびっくりするわ)

さて、そんなびっくり公衆トイレがある公園の東側を北上し、スーレーパゴタの北側にあるバス停を目指す。

ちなみにこの公園の東側、特に北東には中央郵便局以外のコロニアル建築の建物がたくさんあって面白い。

元最高裁だった建物の屋根にはライオンの像が鎮座しているのだが、そういうものを置くところなんか、いかにもイギリスっぽい感じがする。

そんなこんなで、スーレーパゴタ北側にあるバス停から街を北上しようと思う。
バス停は、おとといアウンミンガラーバスステーションに行くために乗ったのと同じバス停、同じ43番のバスに乗る。

ちなみに写真に写っているミニバンは乗り合いタクシー。このちょっと先にバスが停まる。

スーレーパゴタ北側からバスに乗り、街を北上。
次の目的地はシュエダゴンバゴタの北側にある「NLD本部」。
シュエダゴンパゴタ近くの適当なバス停で降りる。

ちなみにシュエダゴンパゴタ付近の道路は時間によっては大渋滞する。
まだ、この写真では大渋滞とまでは言えない。

シュエダゴンパゴタ近くの幹線道路を少し歩き、そこから住宅街っぽい小道を抜けて行くとNLD本部がある。

と書くと、なんだか近そうに思えるが、実際歩いてみると結構な距離だった。

「NLD」とはミャンマーにある政党で「国民民主連盟(National League for Democracy)」と言い、頭文字を取って「NLD」と呼ばれている。
党首はあの有名な「アウンサウンスーチー」さんだ。

ガイド本によれば、ここでNLDに関するグッズ等が売られているということだったのだが、建物の前に行ってみると「本当にグッズなんか売ってる?」と疑問な感じで全然活気がない。
最近になって政権を取ったので、この辺りはすごく活気があるんぢゃないか?と勝手に思っていたものの正反対だったもんだから拍子抜け。

結局、建物の中に入っていいもんだかどうかもわからなかった為、中にも入らず。

さて、気を取り直して次の観光ポイントへ移動。

NLDの総本部がある建物の前の通りから適当なバスに乗って道沿いを北東方向に移動していく。
そこにあるのが「チャウッターヂー・パゴタ」だ。

チャウッターヂー・パゴタは通りに面しておらず、少し小道を登ったところにあるので若干わかりにくいが、そこら辺の人に聞けばたどり着けると思う。

バス停からは割とすぐのところにある(歩いて数分)。
パゴタの前はこんな感じでかなり広い駐車場があるので、それなりに参拝客や観光客が来るんだろうなぁ〜というのが容易に予想できる。

中に入ると「ど〜ん!」と大きくて綺麗な寝釈迦像が現れる。
写真では全く伝わらないとは思うが大きな建物のほとんどを占めるぐらいの大きさ。

この寝釈迦像の特徴はその美しさにあると思う。

肌はとても綺麗な白色だし、目はガラス職人の手作りで輝いている。

横たわった足の形なんかも不自然さは無くとても綺麗だ。

この寝釈迦像は正面だけからでは無く、ぐるっと一周回って見ることができるので、背中側も手を抜くことなくちゃんと作られているのが確認できる。

顔以外にも注目すべき点は足の裏だ。

足の裏に注目すると、格子状に区切られていて、その中には色々な物が描かれている。
これは仏教の世界観を示したレリーフだそうだ。

しかし、自分のようなド素人にはその世界観がどんなものか?というのがよくわからない。

そんな人のために、この足の裏付近にはその世界観を解説した看板がある。
もちろん英語での解説も書いてあるので、一度読んで見てはどうでしょう?

かつてのチャウッターヂー・パゴタの寝釈迦像は、インドと併合された直後につくられ、インドの職人が作ったために、仏像がインド的でしかも寝ていないと大不評だったそうだ。
その頃の仏像の写真が境内に飾られている。

なるほど。今のと見比べれば、当時の職人には申し訳ないが、不評なのも納得できるわ。

境内にはチャウッターヂー・パゴタを寄進した人の写真と像がある。

こんな大きな仏像を寄進するなんて、本当に敬虔な仏教徒なんだなぁ〜と思う。

さて、チャウッターヂー・パゴタから次の観光ポイントに移動しようと寺の前の道を歩いていると、道路になんだか見慣れない黄色い物が落ちていた。

「なんだろう?」と思ってよく見てみると、どうやらスターフルーツのようだ。
見上げてみると、庭先に普通にスターフルーツの木が植えられているようで、枝には実がなっていた。

収穫された実がスーパーや市馬に並んでいるのは見たことがあるが、実際になっているところは初めて見た。しかも畑とかではなく民家の庭先で・・・。
個人的にちょっと衝撃的だった。

チャウッターヂー・パゴタから続いて向かうは「ボージョー・アウンサウン博物館」

ボージョー・アウンサウン博物館は民家が立ち並ぶような細い道を行ったところにあって、バスとかが通れるような道路沿いにあるわけではない。
なので、歩いていくかタクシーで行くかしかなさそうだ。
我々は、テクテクと歩いて行ったが、結構な距離があった。

ボージョー・アウンサウン博物館はそこそこ立派な博物館で、アウンサウンスーチーさんのお父さんに当たるアウンサウン将軍が暗殺されるまで住んでいた家を現在は博物館として公開している。

人が住んでいた家を博物館として公開しているので、すんごく広いわけではないが、当時の人から考えたらかなりの大豪邸だったんだと思う。

ちなみにガイド本にはちょっと遠いところまでバスを乗るぐらいな安い金額の入場料が書かれていたので、安心して行ったら、最近価格改定があったみたいでその10倍ぐらいの金額になっていた(多分外国人料金)。

え〜!まじかよ〜!どうする〜?とかなり困っていたら、優しい係員のおばちゃんが「内緒だよ」と言って1人分の料金で我々夫婦2人を入れてくれた。
多分彼女にとっても「この値段は高いわよね〜」と思っているんだと思う。

これがアウンサウン将軍の像。

現在のアウンサウンスーチーさんの顔を見るとなんとなくその面影がわかるような気がする。

ここで、スーチーさんのお父さんであるアウンサウン将軍とはどんな人だったのか?を少し解説。

アウンサウン将軍は若い頃から独立運動を行なっていた。当時はイギリスが占領していたためにイギリスからの独立を目指していた。

そんな独立運動の活動中に彼はある事情で中華民国へ逃れようとするが、そのタイミングで日本軍と接触する機会を得る。
日本軍は戦争の戦略として、ビルマを独立させ、援蒋ルート(アメリカ・イギリス・ソ連が中華民国を軍事援助するための輸送路)を遮断させようとした。
アウンサウン将軍の独立意思と日本軍の思惑が一致し、彼は日本軍と共闘することとなる。

しかしながら、日本軍はその後の戦略的な失敗で力を失う。それを見た彼は「日本と一緒に戦っていても独立できないんぢゃね?」と思うようになり、日本を裏切り、イギリスにつくことにする。

イギリスも「独立は認めるつもりはないけど、日本軍と戦って潰してくれたら都合がいい」という、いかにもイギリスらしい考えで、彼らを援助。結果的に日本軍は自滅も含めて敗戦。

んで、日本には勝ったものの、案の定イギリスは独立を許さず、イギリスの植民地という立場は変わらず。一応偉くなったアウンサウン将軍は、なんとか独立しようと交渉をするがなかなかうまくいかず。

長い月日をかけてなんとか独立の約束を取り付けたものの、独立する前に暗殺されてしまう。

と、まあ、自分としては「結局、そんなすごいことをした?」と疑問に思うのだが、ミャンマーでは英雄視されているので、その長女であるアウンサウンスーチーさんもあれだけの絶大な支持を受けているのだ。

ここからはかなりの余談で、しかも私個人の意見に過ぎないが、アウンサン・スーチーさんってあれだけ賞賛されるようなことをしたかなぁ〜?という気持ちが否めない。
彼女を賞賛するのであれば、突然びっくり改革を行った「テイン・セイン」を賞賛すべきでは無いのか?

話が逸れてしまったが、ここはそんなアウンサウン将軍が暗殺されるまで住んでいた家。
とはいえ、結局はただの家なのでびっくりするほどの展示物はない。

アウンサウン将軍に関する物の展示や、「スーチーさんが子供の頃ここで寝ていましたよ〜」的な子供用ベッドが並んでいたりする。あとは本棚には本がびっしり置かれていた。革命運動するような人はすごく勉強していたんだろうなぁ〜というのがうかがえる。

ガイド本には推し推しの観光スポットとして紹介されていたが、正規の入場料を払ってまで見るほどか?というのが個人的な感想。

ボージョー・アウンサウン博物館を後にし、我々はアウンサウンつながりとして、スーチーさん家を目指すことに。

ボージョー・アウンサウン博物館からテクテクと徒歩で43番のバスが走る大通りまで行く。博物館から大通りまでは各国の大使館が集まっている地域のようで、途中には日本大使館なんかもある。

大通りに出たら、43番のバスに乗ってダウンタウンとは反対側である北に向かって移動し、インヤー湖付近で降りる。

インヤー湖の東側にはおしゃれなビルが建っていて、多分若者や金持ち向けのショッピングセンターなんだろうと思われる。その辺でバスが止まるのでそこで降り、来た道を少し戻るように歩いて、湖の南側を西に進めばスーチーさん家がある。

ちなみに、このインヤー湖はカップルがたくさんいるデートスポットということで有名。
なるべく写らないように撮ったので、この写真には写ってはいないが、実は湖のほとりにはたくさんのラブラブカップルが一定間隔を空けて座っていた。

日差しの強いミャンマーだけあって、彼らは日傘を常備している。
彼らのテクニックは、あたかも強い日差しを遮るように日傘をさしているのだが、実際のところは、その中に隠れ、周りからあまり見えないようにしていた。まあ、日本みたいなラブホテル的なものもなさそうなので、デートするにも工夫が要るよね。

そんなインヤー湖のほとりにはここでのルールが書かれた看板が立っていて、見れば当たり前な禁止事項が書かれている。
だが、よくよく見ると・・・

・・・(汗)。

これはわざわざ禁止事項として看板に書かなくてはならないほど盛んなのか?

どうでもいいことだが、これは女性が上なパターンですな。

まあ、そんな衝撃的な看板を見ながら、ブラブラとスーチーさん家に向かう。

アウンサウンスーチーさんは、軍事政権下において、長い間自宅軟禁されていた。
んで、その自宅がここだ。
ちなみに自宅軟禁状態においてもしばしば民衆の前に立って演説をしているところなんかもニュースで見られた。その場所がココ。

現在は自宅軟禁を解かれて自由の身だが、入り口には彼女が所属するNLDの文字と旗が掲げられ、活動拠点にもなっている感じがした。

そんなスーチさん家はやはり政治的にも重要な場所なのか?家の周りには警官が何人もいて警備は厳重。そんな場所なので安易に写真なんか撮ったら怒られそうだった。でも一応、そこら辺にたむろっていた警官に「写真を撮ってもいい?」って聞いて見ると「いいよ〜」とあっさりOK。
ちょっと拍子抜けだった。

スーチーさん家の敷地はかなり広く、敷地を取り囲む壁はず〜っと続いていた。
自宅軟禁されていた名残なのか?それとも現在の影響力を良しとしない人たちのテロなんかを警戒してか?その塀の上には有刺鉄線が張り巡らされている。

厳重そうな門が突然ゆっくりと開き始め、周りにいた警官がいそいそと動き出したので「なんだ?なんだ?スーチーさんが出てくるのか?」と思ったが、そんなことはなく、ただただ警察車両が出て来ただけだった。

実はスーチーさん家から道路を挟んで反対側のレストランに行きたかったのだが、この道路が結構な交通量で渡るのがちょっと難しそうだった。
しかし、いいタイミングで警察車両が出て来て、周りの警官が道路を走る車を規制してくれたもんだから、それに便乗して道路の渡り、向かい側にある「Green Elephant」というレストランに行く。

このレストランは入った途端に「こりゃ超高級レストランで、我々が来るようなところぢゃないね」と肌で感じてしまうような高級レストラン。
まあ、ガイド本で見た時にも「これは高いだろう」と予想できたのだが、この時二人ともすごく腹が空いていたのと、周りに食事ができそうな店や屋台が見当たらなかったこともあって、ここで食事を取ることにした。

んで、セットメニューみたいなものを頼んだら「こんなの絶対食べきれないっしょ〜!」というぐらいの量が出て来て、結構残してしまう。

とはいえ、ここまでカレーとモヒンガーばかりの食事だった我々にとってバリエーション豊富なメニューを口にすることができて良かった。

ほとんどが野菜の炒め物だったので「これにそこまでお金を出すか?」と疑問は残るが、それでも味は普通に美味しい。

さて、帰国便の時間も近づいて来たので、お土産でも買おうかと、ダウンタウンにバスで戻る。
手頃なお土産が見つかりそうな「ボージョー・アウンサウン市場」へ向かう。

ボージョー・アウンサウン市場はスーレーパゴタの北西側。ヤンゴン駅の西に位置する。
多少距離があるものの、スーレーパゴタ付近からでも歩けないことは無い。

北側からバスで来た場合は、大きくて立派なホテル(多分スール・シャングリ=ラ・ヤンゴンというホテル)の前ぐらいで降りると、アクセスはまぁまぁ楽。

ボージョー・アウンサウン市場の中ではないのだが、周りの通りもこんな感じで屋台的な物売りスペースが並ぶ。

ミャンマーが他の東南アジアの国とちょっと違うのが、本屋さんが結構多いことだと思う(個人的な感想だが・・・)

ロシアのような寒い国、もしくは夜が長い国では家にいる時間が長くなってしまうので、自然と文学的な物が発達する。しかし、東南アジアのように暑い国ではあまりそういった傾向は見られない。
しかし、ミャンマーに限って言えば、軍事政権下で言論統制があったにもかかわらず、街には結構本屋さんが多く、ちゃんとした店舗もあれば、こんな感じで屋台・平積みの店も結構ある。

ミャンマーの人たちは結構勉強好きな国民性なのかもしれない。こういった国が独裁政権から解放されて自由な国になると、どんどん発展する可能性が高い。今後のさらなるミャンマーの発展に期待が持てる。

そんなことはともかく、ボージョー・アウンサウン市場に到着。

と思ったのもつかの間、この市場は店にもよるが、だいたい午後5時ぐらいで終了する。
んで、我々が到着したのがほぼ5時ぐらい。ということで市場に入るとほとんどの店が店じまいを始めてしまう始末。

そんなこんなで、お土産物はゲットできず。

ちなみにこの市場は基本的に観光客向けのお土産を売る市場で、宝石や置物、ロンジーなんかを扱う店が多く、値段も高い。なので、ミャンマーローカル丸出しなお土産が欲しい人にはちょっとオススメできないというのが個人的な感想。

あと、個人的にオススメな品は「宝石画」。

ミャンマーは色々な種類の宝石が豊富に取れる国で、商品にならないような小さな宝石や、宝石を磨く時に出た宝石の粉がたくさんある。それらを活用して、砂絵のように色とりどりの宝石の色を使った絵画がお土産として売られている。

お土産物としてはかさばってしまうのが難点だが、サイズも色々あるし、他の国では見られないお土産なので、興味がある人は、絵画を扱っているお土産屋を何件か回って、お好みの宝石画をお土産として買っていってもいいんでないかい?と思う。

ホテルに預けていたバックパックを取りに行くため、ダウンタウンを南下。
ついでにそこら辺にあった寺院に寄ってみる。

ガイド本には載っていない寺院で、地図アプリで見てみると「Sri kaali Amman Temple」という寺院らしく、形を見る限り多分ヒンドゥー教の寺院だと思われる。

朝には中国式寺院も見たし、ダウンタウンには結構色々な宗教の施設がありそうな予感。
敬虔な仏教国ではあるが、他宗教にも割と寛容そうだ。

さてさて、この旅で何度も外観を見ているのに、まだ中に入っていなかったスーレーパゴタに行ってみることに。

ダウンタウンの道はこのスーレーパゴタを中心に作られていると言っても過言ではないパゴタなので、ミャンマー人にとってそれほど重要な場所なんだろうと思う。

シュエダゴンパゴタと同じく、スーレーパゴタも夜はライトアップされているので、夜に行ってもOK。とは言え、夜は9時ぐらいまでなので真夜中に行くのは無理。

ちゃっかり入場料を取られるものの、中に入ってライトアップされた黄金のパゴタを近くで見るとやはり綺麗だ。

東西南北にはしっかりと仏像が置かれていて、夜にも関わらずお祈りをする現地の人はたくさんいた。

ここでも自分の生まれた曜日の祠でしっかりとお祈りをする。
今回の旅で色々なパゴタで同じようにしてきたので、かなり慣れたし、動物の見分けも方角を考慮して簡単に見分けられるようになった。

こちらにも幸運のダルマと伝わる「ピッタインダウン」がある。日本のダルマと通じるところがあるんだろうか・・・?

さて、時間はまだちょっとあるものの、安全をみてそろそろ空港に行っておいた方が良い時間だ。空港行きのバスに乗るためスーレーパゴタの南側にあるバス乗り場まで行く。

空港行きのバスは51番のバス。バス乗り場といっても標識とかが立っているわけでも何でもないので、そこら辺は勘で見つけるしかない。多分写真上の銀行の道路を挟んで反対側(写真下)だと思われる。

実は、我々はここでバスを待っていたのだが、51番以外のバスは結構くるのだが、51番のバスがなかなか来ない。

「歩き方」によると、51番のバス乗り場はココになっているものの、
不安になった我々は、同じくバス停で待っていた若い女性に「空港行きのバスってここから乗れるの?」と聞いて見たところ「空港行きのバスはここからぢゃないわ。スーレーパゴタの北側のバス停よ」みたいなことを言われて、「マジで?」と思いつつ、43番のバスを乗ったスーレーパゴタの北側バス停に行ってみた。

ところがどっこい、バス停にある案内を見ると51番の表記はどこにもない。
んで、そこら辺をうろついていると、我々に話しかけてくる現地人のにぃちゃんがいて、彼に「空港行きのバスってどこから乗るの?」と聞いて見ると、やはり我々が最初に待っていたスーレーパゴタの南側にあるバス停からだそうだ。
多分、そのバス停で聞いた若い女性は普段乗らないので知らなかったんだと思う。

そんな感じで時間をロスしてしまった我々は再び南側のバス停に戻って51番のバスを待ったのだが、この一件で時間をだいぶロスしてしまい、結局タクシーに乗ることにした。

というわけで空港行き51番のバスには乗れなかったので、誰か乗った人がいましたらレポお願いします。

そんなこんなで空港に到着。空港ではチェックインカウンターで直接空港使用料を取られるという、あまり無いパターンで料金を取られたりしたものの、チェックインも無事済んで帰国の途に。

我々が利用したターミナル1は多分出来たばかりのようで、まだまだフルで使いきれていない感じがあり、待合所なんか結構ガラガラ。多分、今後の発展を見越して作ったんだろうなぁ〜という感じがする。

さてさて、長々と書いてきた今回のミャンマー旅もこれにて終了。
実は帰りの乗り継ぎ地である北京ではちょうど日本に来ていた台風により、10時間以上のディレイが発生。しかしながらさすがの中国だけあって、何の説明も無し。正確には中国語での説明(中国語も英語もわかるそこら辺の人に聞いてみたところ、説明と言えるほどの説明ではなかったらしいのだが・・・)のみで、さっぱりわからず状態になったりと、相変わらずのトラブルがあったのだが一応無事に帰国。

今回で2回目のミャンマー旅だったのだが、優しい国民性に変わりが無かったところは良かった点だ。
ミャンマーはバガン・マンダレー・ゴールデンロック等、その種類は宗教関連ばかりだが、見所はそこそこある。しかし自分はそれ以上にミャンマーの人たちの優しさにこそ、ミャンマーという国の価値があるんぢゃ無いか?ということを感じる。

あまり海外旅行に慣れていない人にとっては「えっ?ミャンマー? なんか大変そう」と思うかもしれないが、実は旅行者にとってはすごく旅がしやすい国だと思う。
ほとんどの人は旅行者を騙そうとはしないし、英語が理解できる人も結構多い。
なのに、まだまだ発展の潜在能力を秘めている土地だけあって、日本とは異なる東南アジア独特の空気は十分に味わえる。
食事のバリエーションはあまり多く無いものの、トイレなんかは綺麗で清潔。
お腹をくだす確率なんかも低いんぢゃ無いかなぁ〜と思う(我々は結構積極的に屋台とかで食べたが、結局お腹を下すことはなかった)。

そう考えると、すでに発展しきっている感が否めないバンコクとかも良いが、ミャンマーもすごくオススメだと思う。
直行便がもっとたくさん出て、観光客にとっても台北や香港みたいに気軽に行ける土地になるといいなぁ〜と思う。

さてさて、次の旅は冬に訪れる「ロシア」。こちらも2回目になるのだが、今回はロシアだけでなく、ジョージア(グルジア)・ウクライナ・ベラルーシと、かつて「ソビエト連邦」を形成していた国々の冬はどんだけ寒いのか? そして人々の暮らしはどんななのか? について見に行こうかと思う。
世界に衝撃が走ったチェルノブイリ原発にも行って、今どんな風になっているのか?も見て来ますよ! 乞うご期待!

ここまでとこの先のミャンマー旅
Day1・2 完全想定外!日本人にビーサンをパクられる!
Day3 バガンのパゴタで絵画鑑賞?
Day4 時間無いのにバイクがパンク! マンダレーヒルのサンセットに間に合うのか?!
Day5・6・7 実はがっかり?雨季のゴールデンロックはこんなことに!
Day7・8 スーチーさんちに行ってみた!

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