【ウクライナ旅行記】Day10 母なる大地の記念碑の下に何で戦車が?

ロシアとその周辺国をまわる旅も10日目に突入。

ウクライナはキエフの街とチェルノブイリを見てきたが、本日はキエフの街をもう少しだけ観光して、次の国「ベラルーシ」に移動する予定。

まずはホテルからバスに乗ってキエフの街の南の方にある「大祖国戦争博物館」を目指す。

キエフの街を走る路線バスはこんな感じで結構綺麗なバス。
バスの前には路線番号が書かれているのでわかりやすい。

と言ってもその番号のバスがどこに行くのか?というのがわからなければなんの意味もないのだが…。

そんな時はGoogle mapの経路検索が便利。
キエフの街では珍しくGoogle mapの経路検索にバスもちゃんと出てくるので、目的地と経路を検索すれば乗るべきバスの番号も出てくる。

バス停にはこんな感じの看板も出ているので「このバス停には目的の番号のバスは止まるか?」というのがちゃんと分かる。

キエフの街はGoogle mapの経路検索とバス停のバス番号表示のおかげで、旅行者には結構旅がしやすい街だなぁ〜というのが正直な感想。
地下鉄だけではなく、バスも使えるというのは、旅の幅がグッと広がる。

さて、キエフの街でのバスの乗り方だが、旧ソ連を形成していた国だけあって、ロシアと基本的に同じ。

まずは、バスが来たらとにかく乗る。
すると係員(たいていはおばちゃんが多い)が近づいて来るのでお金を払う。
2017年1月現在でバスは一回3フリヴニャ(約12円)なので超安い。
基本的にどこまで行っても金額は同じ。値段が変わるかもしれないので、ちょっと多めにお金を渡してお釣りを貰えば良い。

係員は小さな紙切れをくれるのでそれが支払い証明となる。
その支払い証明に穴を開けないと、支払い証明がいくらでも使い回しできちゃうので、車内にあるパンチ機で支払い証明に穴を空ける。

パンチ機のスリット状の場所に支払い証明の紙を突っ込んで、上に上がっているレバーをガッシャン(実際はそんな激しい音は出ない)と下げれば穴あけ完了。

穴の空いた支払い証明はこんな感じ。下の方に小さい穴が空いているのがわかる。

今回まず目指した戦争博物館は、キエフの観光ポイントとして有名なペチェールスカ大修道院の南側に隣接する。ということで、戦争博物館を見た後は、ペチェールスカ大修道も見ようと思う。

戦争博物館の南側にあるバス停でバスを降りた我々は、歩いて小高い丘を登り、戦争博物館を目指す。

大祖国戦争博物館の場所はすごくわかりやすく、建物の上にはこんな感じのでっかい「母なる像」が立っている。
ということで、ここに来る時はこの「母なる像」を目指せば良い。
この像は正確には「ローヂナ・マーチ像」と言うそうで、高さはなんと102mもあるらしい。

そして戦争博物館の前には戦車が何台も並んでいる。

さて、戦争博物館の内部はたしか「No Photo」だったと思うので写真は無いが、基本的にこれまでウクライナが巻き込まれて来た戦争に関する展示物が並んでいた。
展示物の数はかなり多いので、全部見ると結構時間がかかるかも。

この博物館の周りには単に戦車だけではなくいろんな石像も置かれている。

兵士が戦っている像はかなりのリアリティーがあって力作。

あまり世界史に詳しくないので、どんな状況を表しているのかはよくわからなかったのだが、市民らしき人たちが抵抗しているような感じの石像もある。

戦争の内容を石像で表現するところはヨーロッパっぽい感じを強く感じるポイントだ。

ここの施設の定義的なものはよくわからないのだが、結構広大な敷地に「平和記念公園」的な感じで存在している模様。次の施設に行くにはそこそこ歩く。

博物館の他には軍事マニアが喜びそうな戦車や飛行機、ミサイルなんかも置いてある場所がある。
ちなみに外に置いてあるにもかかわらずきっちりとお金を取られる。

戦闘機なんかもある。

敷地内にあった看板を見ると、母なる像のや石像の他にもいろんな施設があるのが分かる。
いろんなモニュメントが集まる平和公園と言って良いと思う。

さっきの看板に書かれていた「18世紀のモスクワ門」。

どういう物なのか?の詳細は不明。

さて、私が勝手に「平和記念公園」と呼んでいた施設を後にして、次に向かうは世界遺産でもある「ペチェールスカ大修道院」。
先ほどの施設のすぐ北側にある。

入り口横で、道路に面したところにチケット売り場があるので、そこでチケットを買い、大修道院に入る。
入り口はかなり立派。

入り口を抜けてまず目に入るのは右側に見える大鐘楼。

大鐘楼を超えて奥に進むと見えて来る立派な建物は「ウスペンスキー大聖堂」

ペチェールスカ大修道院はロシア正教ウクライナ支部の総本山となっている程の格式高い施設であるので、大聖堂の内部はかなり立派で厳かな空気が流れている空間だった。

ウスペンスキー大聖堂の奥には「ウクライナ歴史民俗博物館」がある。
この博物館は入り口がどこか?がわかりにくく、我々は若干さまよい歩いてしまった。

この歴史民俗博物館の中には金銀や宝石類で作られた装飾品が展示されていて、その量はかなり豊富。
ガイド本によれば「スキタイの黄金の首輪」と言うのが見ものらしく、実際に見てみると「なるほど〜」と唸ってしまうようなものだった。

ウスペンスキー大聖堂の南側にはトラペズナ教会と言う建物があって、この内部も装飾もかなり見ものだった。

この建物の横には黒い十字架があって、これは帝政ロシアの首相ストルイビンの墓だそうだ。

トラベズナ教会の横には南側が見渡せる場所があって、そこからの景色は綺麗。
川沿いに建つこの修道院の位置関係がよく分かる。

ペチェールスカ大修道院は2つの区域に分かれていて「上の修道院」と「下の修道院」がある。
今まで見てきたのは「上の修道院」で続いて「下の修道院」に移動してみる。

下の修道院は敷地の南側にあるのだが、上の修道院よりも少し下った位置にある。
多分これが理由で「下の修道院」と呼ばれているんだと思う。

上の修道院から下の修道院に移動するには結構下る道をてくてく歩いていかなければならない。 

下の修道院でまず行ってみたのが「十字架昇天教会」。

ここには「近い洞窟」と言う場所がある。「洞窟」と言っても実際のところは「地下墓地」。かつての僧たちの遺体が地下道の脇に安置されていて、ミイラ状になっている。
一応我々のような観光客でも地下道を歩くことができてみることができる(一部行けない場所もある)

地下道には大小様々な遺体が箱に入っているのだが、正直あまり気持ちいいものでものない。
逆に遺体の方にしたって、観光客の見世物みたいな扱いを受けてちょっと可哀想な気もする。

下の修道院でも区域が2つに分かれていて、先ほどの十字架昇天教会は上の修道院に近い方にあるのだが、さらに奥に行った所にも教会があるので行ってみた。

奥には「アンナ受胎教会」等の教会が2〜3個あって、アンナ受胎教会の入り口から、先ほどと同じような地下墓地となっている洞窟に入ることができる。

こちらは「遠い洞窟」と呼ばれているが、基本的に「近い洞窟」と同じようなもの。
やはりあまり気持ちいいものではない。

そんなこんなで、ペチェールスカ大修道院を後にして移動。

ペチェールスカ大修道院の前で自由広場方向に行くバスを待っていたら、バス停の前に何だか記念碑みたいなものがあったので良くみてみると、どうやらアフガニスタンの兵士の像らしい。

と言っても基本的に解説がキリル文字で英語解説みたいなものは無く、詳細は不明。
ソ連のアフガニスタン侵攻がらみかな?

そんなこんなで、バスに乗って、とりあえず独立広場方向に向かう。
何番のバスが独立広場方向に行くか?については、やはりGoogle mapの経路検索で知ることができる。

さて、このロシアとその周辺を回る旅だが、正直旅の最初の方にいたロシアでは「大して寒くないなぁ〜」と思っていた。
むしろ「完全防寒」体制で行った我々の服装では、若干汗ばむぐらいの気温だった(0度付近。場合によってはプラスの温度)。

しかしながら、本日のキエフは完全防寒体制でも「冷えるなぁ〜」と感じるぐらいの気温で、Googleで現在のキエフの気温を調べてみたらマイナス14度だった。

我々は北海道に住んでいるわけでもないので、あまり寒さには慣れておらず、このぐらいの気温でも寒く感じてしまう。
まあ、北海道に住んでいる人とかだったら全然寒くないのかもしれないが…。

腹の減っていた我々は、独立広場付近で「どこかご飯が食べられるところはないか?」と探していた。
すると、キエフでは良く見かけるキャラクターの店があったので、気になって入ってみた。

位置はこんな感じでマクドナルドの隣。
「何の店か?」と期待大で入ってみたら寿司のチェーン店だった。
ちなみにこの店に入ると、ウクライナ人の店員に「いらっしゃいませ」と言われる。

この店のキャラクターはこんな感じで、自分は勝手に「ペリメニ」の店なんだと勘違いしていた。
後から写真をよく見てみると、キャラクターの横のキリル文字に「スシヤ(Сушия)」と書かれてるわ。

「海外で日本食を食べる」と言うネタとしては良いかもしれないが、さすがに味も予想できるし、貴重な一回の食事チャンスを逃すのももったいないので、何も食べずに店を出た。

この店はキエフの街に結構な数の店舗を持っているようで、ホームページ(

独立広場からはアンドレイ坂の方へ向かいたかったので、ソフィア大聖堂のある小高い丘を登って行く。

ソフィア大聖堂の前には「ボグダン・フメリニツキー像」と言う有名な像があるんだけど、一昨日ここを通ったにもかかわらずしっかり見ていなかったので、ついでに見に行くことに。

ボグダン・フメリニツキーはかつてウクライナにあった軍事的組織の指導者らしいのだが詳細は不明。
多分立派な人なんだろうけど…。

さて、ソフィア大聖堂付近からキエフの街をさらに北側に歩いて行くと「アンドレイ坂」と言う坂があるので行ってみる。

以前キエフに来た時にはこの坂の両脇に屋台的にお土産屋がずら〜っと並んでいたので、お土産でも買おうかという目論見だったのだ。

しかし、今回行った時には、季節なのか?曜日なのか?原因はわからないのだが、お土産はポツリポツリとしか無く、予想を見事に外してしまう。

しかし、アンドレイ坂の途中には「アンドレイ教会」と言う立派な教会がある。

外壁は綺麗な水色で立派な教会だ。

アンドレイ坂を歩いていると、こんな感じの壁画が描かれた建物なんかもあったりして面白い。

先ほど寿司屋で何も食べなかったので、引き続きお腹が空いていて、何か食事ができるところを探していた。
ガイド本によると、アンドレイ坂を下りきったところに「プザタ・ハタ」と言う有名なチェーン店があるので寄ってみる。

プザタ・ハタはロシアで言う「My・My(ムームー)」のような学食形式のすでに出来上がって並べられている料理の皿から自分でお盆に取って会計するシステムのレストラン。

ちょうど食事時間だったのか、結構なお客さんで賑わっていた。

たくさん並んだ料理から「あ〜、これが食べたい。あ〜、これも食べたい」なんて欲張っていると、ついついお盆の上はてんこ盛り状態となってしまう。
とはいえ、料金も高くはないので旅行者にはありがたい。

そんなこんなで、キエフとチェルノブイリを3日間で楽しんだ、この旅のウクライナ日程は終了。

この後、ホテルに戻ってバックパックをピックアップ。そして急いで空港に向かい、この旅最後の国となる「ベラルーシ」に向けて移動。

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